ヨネクラジムに米倉会長を訪問、思わぬ応対に感激の極み…
ヨネクラジムに行った(7月30日)。何年振りのことだろう…普段でも目白駅に降りることはないので、駅の変わりようには驚いた。多分、25~26年位は経っているだろうか、ジムへの方向はなんとなく分かるが念のため交番で聞いた。 なんと線路を跨いで、歩道用の立派な橋が出来ていた。橋を渡るとヨネクラジムだった。
昔と変わらないたたずまい。懐かしい。この日も東京は猛暑で、汗だくで辿りついた。3時頃、米倉会長はそんな中、選手を指導していた。短パンにTシャツ姿で、私を迎えてくれたのだが、顔から汗が吹き出して、シャツはぐしょぐしょに濡れていた。「暑いですねぇ、上着をぬいてください。二階に行きましょう、涼しいから…」
二階の会長室はパネルが所狭しと飾ってあった。ペレスとの調印式のものがデスクに立てかけてあった。パスカル・ペレス、白井義男からタイトルを奪った選手。米倉会長は昭和34年8月、このペレスに挑戦して判定負けした。「若き日の会長ですね。」と指をさすと、会長はニッコリほほ笑んだ。「もう75歳ですよ。」
昔話をしたあとで、やっと私は今日の用件を切りだした。先刻手紙は認めていたのだが、この度TBSから発売されるDVD「日本ボクシング不滅の激闘史!」の制作委員会のメンバーをお願いしたいと。なにせ11時間にも及ぶ謂わば日本のボクシング史である。ご指導、ご協力を仰がなければいい作品はできない。その旨をお話したら、快諾を賜った。
特に白井義男さんの映像の話に触れると、「カーン博士に私も良くしてもらいましたからねぇ、DVDが楽しみだよ。白井夫人とは昔から懇意にしているから、いろいろ思い出も多いですよ。夫人も嬉しいでしょう。」
それからカーン博士の人間性に及び「日本のボクシングを”打たれずに、打つ”近代戦法に変えたのは、紛れもなくカーン博士。白井さんもカーンさんと巡り合えなかったら、世界チャンピオンになれなかった。カーンさんも、白井さんに巡り合えて、夢を実現できた…本当に二人三脚で掴んだ世界王座でした。」
話の間中、時折、トレーナーとなにやらやりとり。「すみませんねぇ、いま駅前までアイスコーヒーを買いに行かせたので、もう少し待ってください。何分男所帯なもんで。」私は恐縮した。聞けば一昨日(7月28日)に南アから帰国したばかりだという。嶋田の世界タイトル挑戦で。嶋田は2回にスリップダウンした折に、左足太ももを痛めたのが響いて判定負けした、という。まだ時差ボケが残っているよ としきりに首を振っていた。そんな折の訪問、悪い気がした。
過去に柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志と5人の世界王者を育てた米倉会長に、かくも丁重に応対されるとは、恐縮千番。ついつい長くお喋りしてしまった。挙句の果ては、線路沿いの近道を駅まで会長が送ってくれた。私が「脳梗塞」を患った事に触れたことで、心配したのかも知れない。駅まで7~8分炎天下、会長と昔話に耽った。忘れ得ぬ出来事になった。
感激したのはいうまでもない。手を振ってお別れした。
何ともいえない幸せな気分に浸った。
これもDVDがとりもつ縁だから、と肝に命じる。