長野聖火リレーで感じたこと 警備体制は間違っていなかった
長野での聖火リレーは、欧米のような走者が襲われたり、倉庫に突如消えたり、はたまた進路変えたり・・・と、兎も角ぶざまな事態には至らなかった。だから一般マスコミのような「聖火リレー大混乱!」と思わない。確かに警備はものものしく、中国国旗とチベット国旗が沿道を埋め異様な光景ではあった。それでも妨害を最小限度に押さえ込んだ。長野の警備はよく出来ていたと実感した。
大騒ぎする程の大混乱もなかった。予定通り終わり、次の韓国にバトンタッチされた。これが最も大事なことだ。国家の対面が保てた。
いろいろ批判、意見もあるだろうが日本国が一旦、引き受けたからには責任もって「聖火」を次の国へ渡す・・・それがための警察の厳重な警戒体勢は、致し方がない事だ。米国や、フランスのように中途半端な警備が、収拾のつかない混乱を惹起した。国の警備の在りように問題あり、と言わざるをえない。無責任きまわりないと思う。
結果はフランスのように、政府の重鎮が相次いで中国に出向いては聖火リレーの不始末を陳謝している。確かに中国のチベット弾圧は私も遺憾に思うけれど、だからといってオリンピックにからめて、妨害、ボイコットしようとするのは賛成できない。政治と五輪はどこかで線引きしなければならない。それがないと収拾つかなくなる。聖火リレーは平和の象徴として、ともかくも五大陸を回る。”厳粛な儀式=セレモニー”なのだ。それはそれで、尊重しないと、行事というものは全て存在意義をもたなくなる。長野の警備は、かような困難状況かで、実によく警備されていた。それほど不快感も残らない。安全無事に聖火リレーを遂行するの責任は、一先ず果たされた。私自身は率直そんな感慨を抱いた。よかった。率直な気持ちだ。
北京五輪まで100日余り、4年に1度の祭典を私は楽しみにしている。