「柔道一直線」の永島先生宅を訪問 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

「柔道一直線」の永島先生宅を訪問

 「柔道一直線」という漫画は、雑誌やアニメで皆さんもよくご存じと思われます。あの巨人・梶原一騎作、永島慎二画で一世を風靡したものです。もちろん、現在も根強い人気を誇る超ロングセラー。最近では2年前、ネコ・パブリッシングから全7巻に渡って、小社制作によって発売しております。アッパー創業のお祝いにと、梶原一騎先生の篤子未亡人が、プレゼントしてくれたものです。それが縁で、永島先生宅を訪問し、出版の許可を快くいただいたのです。
 当時、永島先生は体調を崩されていたこともありあまり他人に会いたがらないと聞いていましたが、まるで天使のような笑顔で接してくれました。ちょうど、「柔道一直線」を併せてパチンコ&スロットでも発売したい、という話もあって窓口となるべくセイブシステムリンクの沢村忠さんも同行しました。“キックの鬼”が来たというので、先生はことのほか喜んでくれました。二階のリビングで、30分以上も格闘技のことを話し合ったことが今でも忘れられません。沢村さんも、いたく喜んでおられました。
 雑誌が無事発表され、そのお礼に「柔道一直線」特製Tシャツをお送りすると、シャツを着て微笑しておられる写真をハガキに貼って私のもとへ送ってくれました。
 その先生が永眠されたのは今年6月10日のことでした。密葬ということで焼香にも行けなくて、お借りした原画類もそのままになっていたため、吉川編集長を伴って先週お宅にうかがいました。
 残暑厳しい昼下がりで、小百合夫人が変わらぬ笑顔で迎えてくださいました。で、私と沢村さんに、劇画の複製を立派な額に入れて「主人からです」とプレゼントしてくれた。
そのうえ、お持ちした白黒の原画を我が社に寄付していただいた。「物欲があまり無かった人ですから、主人となんらかつながりがあった人には、お礼の印として何かしら差し上げているんですよ」と…。それにしても大事な原画をポンと他人に無償で贈ることなんて、誰でもできることではない。
 「私は幸せ者でしたよ。主人と結婚して、ほんとうに幸せでした。漫画家っていう方は、みんな仲よくて、何かあると心配しあって。主人は油絵から紙ヒコーキまで、趣味もたくさんありましたから毎日充実した人生を送りました。今は鎌倉のほうに安らかに眠っております。ついでがあったら、お墓へいっていただいたら本人も喜ぶと思います。」
 ちなみにお墓の在所は、鎌倉二階堂、瑞泉寺です。
 永島先生、安らかにお眠りください。そしてお世話になりました。合掌。