6月をよき月にした愉しい1日―山本さんの来社、島さんの誕生会 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

6月をよき月にした愉しい1日―山本さんの来社、島さんの誕生会

 7月4日、今日は「UPPER」第2号の発売日。生憎の雨ですが、お買い上げよろしくお願い致します。
 さて、6月はあわただしく、かつ公私共に心休まる日がなかった1ヵ月であった。そんな月末の30日、午後(昼)ターザン山本さんがひょっこりと社に現れた。例によってピンクの帽子を被り、笑顔で右手を挙げて。「UPPER」の第2号を見たくて、出来立てを取りに水道橋駅から歩いて来たという。「一番最初に見たいんだよね。これはいい表紙だよ、これ凄いよ。売れますよおぉぉ。DVD付きで880円、これ安いよおぉ。1000円でも売れますよおぉぉ」
 こちらがテレ臭くなるほどお褒めに預かった。正直、内心はうれしいのだが・・・。
 ちなみに今号で、山本さんにはお忙しい中、八面六臂の活躍でUPPERを助けて頂いた。座談会に、巻頭PRIDE速報総評、そしてヒクソン論まで。まさに縦横無尽とはこの事。「朝4時に起こされて、原稿を書かされたもの・・・オレもよく頑張るよなあぁぁ」
 お蔭様で、第2号は編集子が思い描き、望んだような雑誌ができました。DVDもTBSが特別にPROMOTION版を作ってくれました。
 いずれにせよ、「誰よりも一番最初に自分の書いたものを見たい」という山本氏の、そのライターとしての気概、心意気に只々圧倒されました。見識、教養、文章力は言うに及ばず、格闘技ライターとしての一番大事なファイティング・スピリットこそ我々は見習わなければと思います。「ターザン山本の前にターザン無く、ターザンの後にターザン無しか」
 その日、私はかつての名キックボクサー島三雄(本名:榎木三雄)氏に誘われて、東西線で西葛西駅まで出掛けた。知人の女性の誕生日のお祝い会だという。出掛けてみれば、島君自身7月1日は54歳の誕生日という。併せて誕生祝いの酒盛りとなった。北口駅前の「花水季」で島氏の同業者(運送業)の目黒社長夫妻、それに整備会社経営村上社長、そして昔目白ジムで後輩だった辻社長(協立テック)が集まった。気の合う仲間ばかり。
 自然、島さんの現役時代のことなど辻社長も加わって大いに盛り上がる。目黒社長と村上さんも、島さんをとても信頼していて、もう何十年もの親友のように会話が弾む。私が昭和48年8月、バンコク・キティカチョン・スタジアムでの日・タイ8階級東洋王者決定戦の模様を語るとみんな静かに聞き入ってくれた。サイアム・シーソトーンから右ストレート一閃ダウンを奪ったときの状況は、我ながらいつも興奮してしまうのだ。あれは、まさしく「島時代」がキックのリングに訪れた狼火のような一発だった。
 島時代は1年半後に、藤原敏男時代へと引き継がれて行くのだが、まぎれもなく島時代は存在した-と私は語った。こんな話を老編集者と現役を引退して、何十年も経って酒をくみ交わしながら語れる幸せを私はかみしめた。
 二次会は「案山子」(かかし)というサパークラブ。ここは女の子たちが素朴で、テキパキとしていて本当に感じがいい。いつもお客が絶えないのは、料金も安心して飲めるからだろう。ママも、控えめで感じがよい。島君の行きつけの店でいよいよ盛り上がったが、私は11時30分で店をあとにした。
 「1ヵ月で1日でもいい日があったら、その1ヵ月は素晴らしかったと思いなさい」
これは尊敬する黒崎健時の言葉。と考えると6月の締めの一日が、山本さんの来社、そして島さんとの誕生会と私にとって、すこぶる愉しい1日だったのだから、6月もいい月だった・・・と自分に納得した次第です。
 「UPPER」第2号は本日発売デス!お忘れなきように・・・。