修行の尊さ・・・出家の道ははてしない。 | upminiのブログ

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今朝は、この冬一番の冷え込みとなりまして、気温2度・・吐く息も白い極寒の朝、臘八大摂心6日目となりました。

本日仕事は休日であり、師僧のお寺では、「摂心」は在家の方中心のため、朝2柱、夜2柱の日程で行われますが、本日は私の人生初の、朝4時から夜の9時まで続けて坐る、修行道場に準ずる日程で、坐らせていただきたいと師僧にお願いして、快く引き受けてくださりました。

4時より最初の3柱目まで坐りましたが、朝食の後の4柱目から「結跏趺坐」の足の痛みが重石の如く、のしかかってきました。
これまで「結跏趺坐」には自分では少し自信がありましたが、時間が経つにつれ痛みはます一方です。
7柱目にはあぶら汗が出るほど痛みはピークに達し、今はまだ在家の身分なので、足を崩し楽になりたかったですが、それを自分に許すとこれからの修行生活にはとても耐え切れないと思い、歯を食いしばって坐り続けました・・・

さらに、心身と冷え込む堂内、連日の睡眠不足により襲い掛かる睡魔・・・
禅堂の中心に「文殊菩薩」さまが祀られてますが、坐禅の時は「聖僧さま」とおよびします。
前回の記事の中で、「文殊菩薩」さまを、「菩提樹」さまと、誤って表記致しまして、この場で訂正致します。
「文殊菩薩」さまの「知慧」は仏教用語で、煩悩を消滅させ、真理を悟る精神の働きをいいます。
まさに、「文殊菩薩」さまが私の坐禅姿を見守ってくださり、「警策」で励ましてくださってます。
本日は、師僧の警策が一段と熱が入り睡魔に襲われそうになった時は、とてもありがたい励ましを頂きました。

そして、午後からはの12柱目までは、寒さ・足の痛み・睡魔を感じるのを通り越し、目の前の壁に視線を落とし、呼吸を整え、今はここに坐ること以外何も要求されたなく、なんだか自分の体が何処かに行ってしまったような不思議な時間でもありました。

今日の摂心を行う前に、自分に言い聞かせたことがあり、とにかくあと何柱だとか、今何時だとか、時間は気にせずに一回一回の目の前に意識を集中させるようにしましたが、やはりあとどのくらいで終わるのか、時間が気になることがありました。

そして、夕方からの9時までの14柱目までは、意識が朦朧として、これまでの私の十数年の坐禅の経験など全く凌駕するほどの凄まじいものがあり、これからの「出家」の道は想像をはるかに超える厳しい世界であることに、身震いを感じ身の引き締まる思いです。

本日は、師僧が弟子である私に貴重なお時間を与えてくださり、感謝いたします。
合掌