人間は、年齢と共に精神が「成熟」するとも「老化」するとも限らない。

大人(自分も含めて)の未熟さや幼稚さを目の当たりにすると、なんだかとっても疲れてしまう。一方で、若い時分に感じていた純粋で前向きな気持ちを思い出す機会は、いくつになっても活力の源になったり、少し立ち止まって考える時間を与えてくれたりする。

残念ながら今の自分の日々の生活では前者の対応に追われていることが多いが、まあそれについてここで書いても大して面白くありません。後者の話をしよう。

私は、特に音楽に詳しいわけではないけど、音楽は心の栄養素のひとつだと思っています。何を聞いているか、何を聞きたいと思うかで、自分の精神状態を客観視することはできている気がする。私は疲れている時は、「新規開拓」ができなくなります。心に余裕があったり心が躍っている時は好きなアーティストの新曲情報を追いかけたり、YouTubeのおすすめを聞きに行く方だけど、最近、そういうの…ない。そういえば、昔に比べると「新曲を待つ」ということ自体が減ったなあ。いますけどね、たった一人。新曲を心待ちにしているアーティスト。


今は、ずっと好きな曲や、当時はそうでもなかったけど今聞くと刺さるなあという曲を聞いています。

 

出逢い(光GENJI)

 

 

光GENJI×大江千里

といえば、7枚目のシングル『太陽がいっぱい』(1989年)が最も有名ですよね。私は『太陽がいっぱい』が大江さんとの初タッグだと思い込んでいたのだけれど、『出逢い』は『太陽がいっぱい』より数か月前に発売されたアルバム『Hey!Say!』に収録されていた。なんと記憶の曖昧なことよ。

『みつめていたい』(1990年)も大江さん作で、これと『太陽がいっぱい』は、出逢い、めぐり逢いの喜びを元気いっぱいに飛び跳ねながら表現するような、陽に振り切った楽曲。

 

対して『出逢い』は、その名の通り、出逢って、恋に落ちた若者の姿が思い浮かぶ歌だけれども、太陽ではなく星空の下に舞台がうつったためか、どことなく儚さ切なさが滲む展開を見せる。あどけなさが残る歌声が、甘くてピュアで繊細な想いを見事に表現した初期の名曲のひとつです。

 

光2人の「お兄さん声」は特に初期は7色入り混ざってもよくわかるのに、あれ?『出逢い』では聞こえないなあ、ものすごく影に徹したコーラスなの?と思っていたら、『出逢い』はGENJI5人で歌っているのですね(今さら知った、wikiで)。


『Hey!Say!』 は持っていたはずだけれど、『出逢い』は当時それほどヘビロテしていた記憶がない。でも最近になって、自浄作用なのか、勝手に頭の中に流れてくる。特にこの、

(やり場もなくて 行方も知らない)
(こわれそうな もどかしさを)
(なくせやしない)
(急がないで)
(君の瞳を見つめ続けたい)
(ときあかせるね)
(出逢いのわけを 永遠のわけを)


突出したエンジェルボイス、晃くんのパート。ミュージカルのステージで、ひとりだけちょっと別の場所に立ってスポットライトを浴びて歌っているような存在感である。

「~オールにこめて」でエンジェルくんが合流してグループ歌唱になり、

最後は、不動のセンターがひとりで締める。

星が海に落ちるまで
もうしばらく君のそばにいるね


毎回同じようなこと言うけど、10代の諸星少年は波に揺れる小舟に乗って歌っている感がある。そこがまた人の心を揺さぶるのですが。

 

今はこの状態でも抜群の安定感で歌えそう。

 

 


リリースから、34年。

『出逢い』は今年の8月、かーくんと晃くんのライブのアンコール前に流れ、途中から二人がステージに出てきて歌ってくれました。

 


当時の音源(光GENJIとしての歌声)とすっかり大人のアーティストになった今の二人の歌声が交錯。音楽家ってすごいね。いやあこれはどうあがいても年若いアイドルが歌わんとダメでしょ!って言う曲(『出逢い』もそうだと思ってた)も、ノスタルジーの領域を飛び越えて、ちゃんと現在進行形で魅せるんだから。

 


人生のどこかの地点で出会ったとしても、その出会いに感謝することはできなかったり、一度離れてしまえばそれまで、という人もたくさんいる。そんな中で、ずっと一緒、またはくっついたり離れたりしながらも、時が来ればお互いの元に戻って来る関係、そういう出逢いは、奇跡と呼んでいいのだと思う。