わたし、庭でトウモロコシを作っています。

 

皆さんのようにマメではないので。

時期をずらして植えるとか、できないの(怠惰

 

だもんで。同じタイミングで一度に「完成」してしまって。

ここ1週間ぐらいが「おいしく食べられる」タイミングですw

 

なので、収穫して茹でて、実家の父母、近所の叔母に茹でたばかりのトウモロコシをおすそ分けしたりして。

 

これがまた、とても喜ばれます。

毎回おすそ分けは1人に1本だけなのに。

(いや、むしろ高齢者にはそれが丁度いい量なのかも。)

 

それでですね。

叔母。80歳。

今日もトウモロコシを渡したところ。

うっかり、涙ぐんでいて。

 

え?どうした?と思ったら。

 

戦後すぐ、食べ物が何もないようなとき、農家さんまで歩いて歩いて。

腹を空かせてもうダメだってぐらいのときに、ヨレヨレでたどり着いた先で。

死ぬかと思いながら食べたトウモロコシの味。

それを思い出したんだ、とのこと。

 

お、大袈裟… とは思ってしまったものの。

80歳ぐらいになると、そういうものなのかもしれないな、と思うなど。

 

食べ物の記憶。

他のこまごましたことより、五感に残る記憶が強いのかな。

 

いずれ、収穫してすぐ茹でたトウモロコシは、その辺のスーパーのものでは再現できない美味しさがあるので、庭の面積の三分の1ぐらいを使ってでも、毎年欠かさず植える、風物詩でございます。

因みに残り三分の1が枝豆。

もう三分の1がその他あれこれ(インゲンとか小松菜とかきゅうりとかトマトとか)です。

 

そんな80歳の叔母、さきほど「今日のトウモロコシもとてもおいしい!」とLINEで報告をくれました。

80歳でLINEできるの、すごいな…

激動の時代を駆け抜けた世代、いろいろスゴイ。