某ひろゆき氏なんかがよく使う、「無敵の人」ってありますでしょ。

守るものが特にないから、もう自暴自棄でなんでもアリになってしまう人。

しかもその人から被害を受けた側は、その人から何の弁済も賠償も受けられない(その人は無職だったりお金も何も所有するものが無かったりするから)っていう。

 

なんかこう、今の若いみなさん(小学生とか中学生)を見てると。

 

もしかして。

このままいくと、無敵の人が量産されるんじゃないかな、って。

 

勉強をろくにしないから全方向に理解力がない。

理解力がないので、自分の立ち位置もわからない。

自分がどれだけできていないかもわからないので、努力しない。

(できていないと分かったとしても、我慢強さがないので、努力できない。)

叱られないせいか、人に対して不快な言動のまま育つ。

他責だけいっちょ前。

 

先日見かけた「あちゃー」案件は。

友だちの私物を「借りる」と言い張って、事実上、盗んだようなことをした子が。

将来の夢は?と聞かれて、警察官、って答えたこと。

その子はほかにも、人を押して転ばせるとか、危険なあれこれをやらかしまくる子なんですが。

 

おそらく、その子は、自分はいろいろ「できている」とお考えのようで。

まったく自分を客観視できていないというか。

自分が実際に何をしているか、わからないからこそ、警察官になりたい…と。

 

ルールを守れない子は、ルールを守らせる側にはなれないんだよ…

 

なんだか、今の世の中、昔よりずっと親切丁寧で、優しい人もルールを守る人も増えた感じはしているんですが。

無敵の人予備軍も、確実に存在するのではないかな、と思うなど。

 

できてない人に、できてませんよ、だから頑張りましょう、っていうのが、確かにやりにくい世の中なのかもしれませんね。

「(本人は)こんなに頑張ってるのに!」ってキレられるともう、それ以上は言えないご時世というか。

そして、できてない人も「できてる風」になんとなくふんわり体裁よくしちゃう、偽りの優しさみたいなのもあるせいかな、と思ったりして。

 

無敵の人とその予備軍に、これからより多くの税金が使われることになるだろうなと、ひとり悲観しておりますよ。

 

外国人を気安く「これからの日本の労働力にしよう」などと思わないでくださいよ、と切実に願いつつ。

(外国人の方が、そもそも文化や言葉の壁がある状態からのスタートなので、「無敵の人」により近い立場なことが多いのでね…)