こんにちは!

アラフォーからのライフスタイルを
提案する 山口朋子です
 

昨日、公開初日で映画「アイ・アム まきもと」
を観てきました。

 

初日ということもあり、平日でしたが
まずまずの入りでした。

あらすじは、公式サイトからお借りすると
 

 

小さな市役所に勤める牧本の仕事は、
人知れず亡くなった人を埋葬する「おみおくり係」。


故人の思いを大事にするあまり、
つい警察のルールより自身のルールを優先して
刑事・神代に日々怒られている。

ある日牧本は、身寄りなく亡くなった老人・
蕪木の部屋を訪れ、彼の娘と思しき少女の
写真を発見する。

一方、県庁からきた新任局長・小野口が
「おみおくり係」廃止を決定する。

蕪木の一件が“最後の仕事”となった牧本は、
写真の少女探しと、一人でも多くの参列者を
葬儀に呼ぶため、わずかな手がかりを頼りに
蕪木のかつての友人や知人を探し出し訪ねていく。

工場で蕪木と同僚だった平光、
漁港で居酒屋を営む元恋人・みはる、
炭鉱で蕪木に命を救われたという槍田、
一時期ともに生活したホームレス仲間、
そして写真の少女で蕪木の娘・塔子。

蕪木の人生を辿るうちに、
牧本にも少しずつ変化が生じていく。
そして、牧本の“最後のおみおくり”には、
思いもしなかった奇跡が待っていた。
 

 

映画の中でもはっきりとは描かれていませんが、
主人公の牧本(まきもと)は、
発達障害の中年男性(48歳)です。
おそらく、自閉症スペクトラム。

48歳で、妻子も恋人もいない。
馬鹿正直に仕事はやるけれど、
人にどう見られているか考えないし、
その場の空気も読めないので、
煙たがれることもあります。

 

女性に「いくつですか?」と聞いて
答えてもらえなかったり、
相手の話を察することができないので

「なぜですか」と何度も聞いてしまいます。

現実社会にもこういう人はけっこういます。
発達障害のグレーゾーンの人って
実は大勢いるんですよね。

 

えらそうに書いているMOMOも、
発達障害を自分で疑い、
IQを調べ、言葉の意味を理解し、推測する力などを
数値で測りました。

私は、自閉症スペクトラムではありませんが、
ADHD(注意欠陥多動性障害)の
スクリーニング検査で
ADHDの傾向があることを指摘されました。

(検査結果は数値で表され、
明らかに平均よりも衝動性が高いと出ました)

特に耳から入る情報を一時的に保持する能力に欠け、

(つまり忘れっぽい)
何かをしている時に別のことを始めてしまい、
当初やっていたことを忘れてしまう。

(調理中などは危険!)

気が散りやすく、物理的に情報量の少ない
場所で作業する必要があるという結果でした。

私自身、自分のそういう傾向は把握していて
大事なことは忘れないように
メモしたり、アラームをかけたりして
生活上、支障のないようにしていますし、
自分の特性とうまく折り合いをつけていると思っています。

相手の気持ちを察することはできるので
ビジネスでも特に問題はありません。



でも、自閉症スペクトラムについては、

相手の言動を察することができないため、
対人関係に支障をきたすケースが多いのです。

私の知り合いにも、自閉スペクトラム症の
方がいますが、自分のルールに固執しすぎて、
変化に対応することができず、
何かに強いこだわりや執着を持ち、
集団生活が苦手です。

この映画のまきもとも、
まさに自閉症スペクトラムそのもので
集団行動ができないため、
彼ひとりの係(おみおくり係)が作られ、
ひとりでなんでも行動しています。

 

障害者枠で雇用されているのか、
上の人からも「彼の特性を考慮して」
というセリフがありました。

 

身寄りのない人が亡くなった時に
親族を探して連絡をする係のはずが、

自腹でお葬式をあげ、お骨と遺影を
自分の机の下に保管するまきもと。

それは、「お葬式は、亡くなった方のため、
きちんとお見送りしてあげたいから。
お骨と遺影は、ご遺族の気が変わって
取りに来てくれるかもしれないから」
と、人としてとても真っ当なことをしているのです。

 

でも、市役所の上司は、

そんなことは無駄だと、「おみおくり」係を
廃止してしまいます。

職を失うことが決まったまきもと。

彼は自宅でも、立ったまま料理を食べ、
きれいに調理器具を洗い、
おみおくりした方たちをアルバムに整理し、
飼っている金魚に餌をあげ、
毎日同じ洋服を着て

(5着ずつ同じ服を綺麗にハンガーにかけ)

毎日同じ仕事をするルーティンの人なのに、
職がなくなる。

 

彼にとってはそれはパニックになる出来事です。

最後の仕事で、彼は身寄りがなく、
孤独死した人(宇崎竜童)の
友人や親族、元恋人などを探し出し、
事前に買っていた自分のお墓までも
残された娘のためにあげてしまいます。

まきもとの行動は、効率的ではないし、

現代の評価だと
無駄で意味がないことに見えるでしょう。

 

一見価値がないと思われるまきもとの行動ですが、
彼自身も48歳まで独身で、
いわば身寄りのない存在。

まきもとは、身寄りのない人々に
自分を重ね合わせて、彼らに敬意を払い、
自分にできる最大限のことをしていたのです。

その姿は、不器用だけれど
私にはとても美しく、尊いものに見えました。

理解はできないし、共感もできない。

でも、人としてリスペクトしたくなる
存在が、まきもとなのです。


そしてこういう人は、日本中、世界中に
たくさんいます。

心が美しく、言われたままに受け取り、
純粋に行動する人たち。

 

でも、彼らの人間的評価を、知能とか
仕事の成果や年収で見るとけして高くない。

彼らは対人関係が苦手なため、

結婚してもうまくいかないことが多く、
そもそも結婚できない人も多い。

だから、親が亡くなると、
身寄りがなくなってしまう。

映画の中でも何度か孤独死する老人が
出てきますが、そういう現実があるのでしょう。

 

 

映画の終わりで、まきもとは職を
失いますが、あるものを得ます。

(失うものは職だけではないのですが、

それはネタバレになるので映画を見てね)

 

そのあるものこそ、現代では

大切なのではないかと私は思いました。

それは数値やお金や評価では

けして計れないものです。

 

目にも見えないし、誰にもわからないけど
本人だけはわかるもの。

だから、まきもとは一見困ったちゃんですが

彼自身は幸せだったのではないかと思えるのです。

 

 

生きづらさを感じている多くの方へ
この映画をぜひ見てほしい。

生きづらくても、誰も認めてくれなくても
(現にまきもとは誰にも認めてもらえないのですが)

それでいいんだと思える不思議な後味の良さが
この映画にはあるのです。

 

 

まきもと演じる阿部サダヲが最高です。

エンドロールの宇崎竜童の歌もよかったなー

 

★4.2(5段階評価)