おはようございます。

MOMOです晴れ



我が子の妊娠を知ったとき、

すべての母親は

「この子が無事に生まれてくれさえすればいい」

と思うはずです。私もそうでした。

そこには、条件付きの愛情ではない、無条件の愛がありました。


生まれて来た子は、誕生しただけで祝福されるべき存在だったはず。

眠る姿もかわいいし、あくびをしても、泣いても

「生まれて来てくれてありがとう!」と思える存在でした。


うちの娘は、2800gで生まれ、検診のときも

毎回、「小さめ」「体重が少ない」「身長も平均より小さい」

と保健婦さんに言われていました。




やがて、2ヵ月では、ママを目で追うとか

5ヵ月で寝返りをするだとか、育児書や保健婦さんや

言われるうちに、ほかの子と自分の子を比べ始めます。


ちゃんと発達しているのかな」「他の子と比べて遅れていないかな」

そもそも、この考えが違っていることに、

当時の私は気づきませんでした。


刺激が少ないんじゃないかと、絵本を読み聞かせたり、

音楽を聴かせたり、いろいろなおもちゃを買い与えてみたり。


自分がしている育児に自信がないので、

常に「正しそうな情報」を拠り所にしていました。


育児に、唯一の正解がない、なんて当時は知らなかったんです。

初めての育児でしたしね。まさに、「足し算の育児」。


そして、我が娘は、発達が遅い方だったようで、

母子手帳の身長・体重グラフのページは、いつも最下層にいました。

「お母さん、母乳が足りてないみたいだから、ミルクをあげてね」

と言われて、無理矢理ミルクをあげてみたり。


「正しさ」「他の人と同じ」を求めた育児をした結果、

私が陥ったのが、産後うつ

「ちゃんとやろうと思っているのに、できない」

「他の子と比べて、小さいし、発達も遅れている」・・・



この時、だれか先輩ママにでも相談していれば、

「そんなの大丈夫よ~気にしなくて!」

って言ってもらえたのでしょうが、ママ友もいなく、

夫も仕事で忙しくしていてマンションで育児書片手で

一人での育児は、ストレスフルでした。



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今なら、わかります。

子育てに「ちゃんと」とか「正しい」とかないんだと。

「これをすればいい」「人と同じなら安心」ではなく、

その子がその子らしくいるのを見守るだけでいいのだと。


結局、私は、誰かにお墨付きをもらって、安心したかっただけでした。

「ちゃんと育児をしている自分」を認めてほしかったのでしょうね。


子どもが、親の言う事を素直に聞くからいい子、とか

言う事を聞かないから悪い子とか、

オムツがすぐに外れたからいい子か、

じっとしていられないのは悪い子とか、


子ども達には、どんどん「条件」が付けられ、

「これをするといい子」「これをするとだめな子」

と親も子も、自分たちに枠をはめてしまうようになります。



子どもは、誰しもが親の興味・関心をひきたいもの。

褒められれば嬉しいから、またやろうと思うし、

怒られても、(無視されるよりは遥かにいいので)

また怒られようと問題行動を繰り返し起こすようになります。



まだ学校に入る前に、子どもの中には

「こうすると、お母さんが喜ぶ・怒る」というパターンができます。


私(MOMO)は、年子の弟がいるので、

「私が、自分でお着替えできると、

赤ちゃんのお世話で忙しいママが喜んでくれる」

と3歳くらいから、自分ひとりで寝たり、着替えたりするようになりました。

ほんとは寂しかったのですが、ママに褒められたかったんですね。

なので、「なんでも自分でやる」「人の手は借りない」

というパターンが見事に出来上がりました。


一方、その後、弟が2人生まれ、いちばん下の弟は

なかなか母親にかまってもらえない時に、

泣き叫んだり、だだをこねたりするくせがつきました。


そうすると、母親が来てかまってくれるので

彼のパターンは、「問題行動を起こす」となったのです。


下の弟は、やがて不良になり、いつも先生や親に叱られることで

自分の存在を確かめるようになりました。

万引きや喧嘩で、警察から電話が来るたびに、親が飛んで行くので

不良行為はエスカレートし、母はいつも泣いていました。


でも、そのパターンを作ったのは、母と弟自身なんですよね。


子どもは、パブロフの犬と同じ。

こうしたら、かまってもらえる、ということを学べば

そのパターンを何度もでも繰り返し、強固なものにしていきます。

「褒める」「叱る」どちらでも同じです。


条件に反応する子どもは、自分の意思で動いているのではなく、

過去に「親に褒められた(あるいは叱られた)」

経験(パターン)を踏襲しているだけです。



私達姉弟の例なら、

姉の私は、「優等生でいなければいけない」「完璧主義」

を子どもの時に身に付け、大人になってから

それに気づき、自分から剥がすのにずいぶん苦労しました。

(一見、問題ない性質のように見えますが、

私自身は、これを持っていることが苦しく、手放したかったです)


そして、弟が子どもに時代に身につけた

「問題行動を起こし、周囲に気遣ってもらう」

というパターンは、実は今でも直っていません。

高校は中退する、仕事は転々とする、結婚しても生活費を入れない、

離婚する、借金をして返さない、時々行方不明になる・・・等々

大人になった今でも、親を心配させることで、

自分の存在をアピールし続けています。



親は、まず自分が自立した存在になること、

子どもに対しても、自立できるように促すことが

「育てない子育て」の目指すところです。



「育てない子育て」では、口を出さない、手を出さないことを

お伝えしていますが、条件によって「褒める」「叱る」も

ゆがんだ行動パターンを作りやすいです。




条件付きの愛情は本物ではないのですね。

真の愛情は、子どものありのままを受け入れるということですから。