こんばんは。

引き算子育てコンサルタントのMOMOですかたつむり


少子化の現代、どうしても子供に意識が向きがちです。

自分の子供には、少しでも幸せな道を歩んでもらいたい、

それが親心ですよね。


でも、現代の子育ては、「足し算」の子育てになっています。

テレビや雑誌やネットなどから、子育ての情報もたくさん

入って来て、「あれをするといい」「これもしなくちゃ」

と、いいと思われることをやらないと気が済まなくなっています。


私がやってきたことは、とてもシンプルで

口を出さない、手をかけない、育てない

の引き算の子育てです。


子供に対する愛情があるからこそ、自信をもって

自分たちの子育て法を実践してきました。


先日のブログに、1つのコメントが来ていて

ちょうどいいので、一部引用させていただきますね。



「でも口を出さないと、お風呂にすら入らないし…

放っておいたら5日入らず、6日目に私が切れました。

困ったものです==;

状況を変えたくて、お話聞いてみたいと思いました。」



これに対して、私が返したコメントがこちらです。


「お風呂に入りたくないなら、いいんじゃないでしょうか。

自分でまずいと思うまで放っておいてもいいと思います^^

自分で汗臭いとか、ばっちいって気づけば入るんじゃないですか(笑)

今は、「親に怒られるからお風呂に入る」という、

「誰かのせい」モードだと思います。

お子さんがお風呂に入らなくて困るのは誰ですか?

たぶん、今の文章の感じだと、

「親の役目を果たしていないと思われる自分」

なんじゃないでしょうか?

お子さんの人生は、お子さんのもの。

痛みも気づきもお子さん自身で感じないと、

自分の人生ではなく、誰かのための人生を生きることになります。

状況を変えたいと、お子さんが思わなければ、

いくらお母さんがやきもきしても変わりませんよ^^」




私が言う「手を出さない」「口を出さない」というルールは、

実は、お母さんにとっては、最初はとっても苦しいです。

だって、手や口を出した方が、早いし、簡単なので

長い目で見守るという長期的な視点がなかなか持てません。


「子供が宿題をしたくない」と言ったら

「だめでしょ!先生に怒られるからやりなさい」

と何も考えずに言ってしまうお母さんはいませんか?


娘が小学校2年生の時です。

学校の宿題を、娘がやりたくない、と言いました(笑)



私「どうして今日は宿題をやりたくないの?」

娘「やりたくない教科の宿題で、やる気が起きないから」

私「やりたくないなら、やらなくてもいいとママは思うよ。

やらないと、どうなるんだと思う?」

娘 「先生に怒られる」

私 「そうだろうね。やらないことの責任を自分で取るなら

やらなくてもいいと思うよ。

宿題をやって、先生に怒られない道を選ぶのか、

やりたくない気持ちに従って、宿題をせずに

先生に怒られることを選ぶのか、自分で決めてごらん」

その日、娘は、宿題をしませんでした。



そして、次の日に案の定、娘は宿題をしないことで

黒板に名前を書かれて、怒られたそうです。


当時、娘のクラスでは、連帯責任を学ばせるために、

担任の先生が、班ごとにグラフを作っていて

1人でも宿題をしない子がいると、その班は

その日は、丸がもらえない仕組みになっていました。


当然、娘は班の子たちに責められました。

「おまえ、なんで宿題やってこないんだよ!」と。


娘は、自分で、宿題をしないと、いろいろな責任を自分で負うんだ、

ということを学びました。

以来、宿題をしたくない、と言う事はなくなりました。



が、この話にはまだ後日談があります。

その週に、たまたま同じクラスの子のママと会う機会がありました。

そこで、そのママが私に言いました。

「娘に聞いたんだけどね、お宅の○○ちゃんが、宿題をしないせいで

班の子に迷惑がかかっているらしいの。

ママから、○ちゃんに宿題をするようにちゃんと言ってね」


たぶん、軽い気持ちで言ったのでしょうね。

当然、私が「ごめんなさい。そうさせるね」

という事を100%期待していたのでしょう。


でも、私の答えは、

「うちは、宿題をするかどうかは、本人に決めさせているの。

本人がやりたくないのなら、私からは言えないから」

そのママは、目を白黒させていましたね(笑)

面倒な人だと思われたかもしれません。

こんなことを言うお母さんは少数派なんだと思います。



我が家では、自分の責任は自分で取るという習慣を

小さい時から付けさせていました。

親の価値感で方向付けをすることもしませんでした。

「これが正しいから、これをするべき」

なんて、恐ろしくて、私は誰に対しても言う事はできません。


それが、正しいなんて、誰にもわかりません。

何か言うとしたら、「ママはこう思う」と自分の意見として

言う事はありますが、あくまでも、判断するのは自分で、

というスタンスで接していました。


我が家は、家庭内での会話は多かった方だと思いますが、

全員、B型だということも関係しているのか(笑)、

あまり人のことには口を出さない、聞かれたら意見は言う、

という距離感が存在していた気がします。





だから、娘の進路のことも、

親の私たちが口出ししたことは一度もないのです。


中学から遠い学校に行って寮に入ることも、

それが「いい」とか「悪い」というジャッジは一度もしませんでした。


娘が、受験に受かり、家族全員で喜び合った時にも、

「離れて暮らすの、ママ寂しいなーしょぼん」と自分の気持ちは言いました。

実際、娘の卒業式から1ヵ月は、毎日寂しくて泣いていました。

そんなとき、娘は

「ママ、大丈夫だよ!毎週帰ってくるんだし!元気出しなよ!」

とたくましく笑っていました。


彼女にとって、実家は、「いつでも安心して帰れるところ」

という揺るぎない気持ちがあるので、

平日は、少しも寂しくないそうです。


新しく覚える勉強や、寮のお友達、部活の先輩たちとの時間は

とても楽しそうです。


昨日、寮の先生からメールが来ました。

娘の寮での生活について、月に1回メールをくださるんです。

そこには、

「○さんのお部屋はいつもとてもきれいで、

まわりのお子さんにも影響を与えているようで、

同室になった子がみんな部屋を片付けるようになりました。

○さんには、今月、クリーン賞を授与しました。

そして、寮の事務室にもいつも明るい笑顔で挨拶してくれて、

私たちを楽しい気持ちにさせてくれます」


と、娘の様子を細かく書いてくれていました。


離れて暮らし、親の目が届かなくなったからと

不良に走ることもなく、学園生活を楽しんでいます。


ちなみに、娘の学校には、校則がありません。

制服もありませんし、服装なども自由です。


でも、いつ学校を訪問しても、子供達は大きな声で挨拶してくれ、

風紀が乱れていることもありません。


自由があるということは、自分で責任も取るということ。

娘が、この学校の空気を感じ取り、ここに行きたいと決めた理由が

今ならよくわかります。


私たちの教育方針と、この学校の教育方針は一致していました。

「自分の人生は、自分でつくる」

「自分の人生の責任は、自分にしか取れない」



実は、これは夫婦関係にも言えることです。

次回は、子育てと夫婦関係について、書いてみたいと思います。

(つづく)