参加された皆様もお疲れさま。
お久しぶりな方もお元気そうで良かったです。
私はと言うと
名古屋市民になって初めての遠出でした。
色んなルート設定をしましたけど、今回は新幹線をチョイス。
ぷらっとこだま
ってご存知ですか?
こだましか乗れないけれど、ある程度安く行けて、ワンドリンク付き。
そんな旅行プラン扱いのもの。
で、総会時間に合わせて逆算したわけですよ。
するとね。
3日くらい前にはまあまあ空いてたのが、24時間前ともなると適当な時間から埋まっていく。
両親同時コロナ感染に戦々恐々としつつ、自分のための市販のコロナ検査キットを2つ買い。
いえね、父親が、陽性と判明した日に母も私も1回目の検査をしておりまして。
母も私も陰性で、父だけ陽性。
ほぼ引きこもりの父がどこで貰ってくるかと言えば、私が持ち帰るしか無いかなって思ってて。
でも私は陰性。
で、2日後にデイサービスに行こうとした母が自宅玄関で嘔吐。
デイサービスは断られて、すかさず往診依頼。
再度検査をしたら、うっすら陽性。
まあ、母は人生初のコロナ陽性なので、軽症だと思うけど、レスパイトも兼ねて入院してもらうことに。
そうすれば、あとはコチラが休息が叶う。
ごめんね、お母さん。
で、いろいろ頭を巡らせて
そうだ、江戸に参るぞ。
で、上記の状態に。
前置き長すぎ。
そして30時間前くらいに自分で検査キット内の綿棒で鼻をグリグリして、検査〜。
ぼんやり試薬を垂らしたプラスチックの板を見ていると、赤い液体が右から左に受け流し(誤)
15分経って見たら、また陰性。
( ゚д゚)ポカーン
えー?
父と一緒に行ったクリニックの医者(呼吸器内科が専門)が言ってました。
『たかひろ(仮)さんは、去年コロナ肺炎で入院してるから、もしかしたら免疫がまだ落ちてないかも。知らんけど』
でも移るかもしれないし移らないかもしれない。
まあ気をつけてね
そんな感じで返されて
この検査は、1周期?で2回までしか保険適用じゃないから、今度は市販の検査キットで陽性になったか、息苦しいとかが出ればすぐに来てね。
そんな感じ。
結局たいしたことなく金曜の夜に。
ex予約から、ぷらっとこだまの往復のチケットと座席をゲット。
最初よくわからなかったけど、行きの新幹線で座った座席が車椅子ユーザーさんが使われる付近なこともあり、広々としてて良かった。
行きの新幹線で、帰りの分を同じような場所でゲット。
そこから逆算して、地下鉄東山線の始発を検索。
さらに逆算して家から駅までのルート探索。
バスがあらせん。
仕方なく、Uberタクシーを予約したった。
朝5時に(笑)
で、コロナ罹患中の、要介護4の親父に向かって
『日曜日、東京に行ってくるわ』
と、ほぼ事後報告w
コロナ前までは2泊3日で車で行って野宿しながら、銭湯巡ったりしてたんだけどね。
久し振りの、化学物質過敏症になってからは避けていた公共の交通機関での往復に、乗り鉄としての血は騒ぐが、やはり病気で体調を崩してしまう方が心配だった。
マスクはSHARPのやつを10枚と、活性炭の工場用のマスクも用意。
座席ガチャで、周りに猛臭の人がいれば、一発アウトだけれど、今回は奇跡的に2重マスクでは少し気になるくらいで済んで良かった。
それも往復とも。
これはラッキーだった。
名古屋の地下鉄も、使ったタクシー(3台)も、東京の地下鉄も。
全てが2重マスクで事足りたのは凄いことだと思う。
で、朝は名古屋駅新幹線ホームの住よしのきしめんを食べ、


東京に着いてからは、西葛西駅下の商店街で立ち食いそばを食べ、

昼に、現地に着いたら守衛さんに早すぎると言われて暇つぶしができる場所として教えてもらった、ジョナサンでドリンクバーと、桃のパフェを食べて。

守衛さん『もう6人くらいの方が入っていかれましたよ』
って言ってくださって、偶然中で鉢合わせた御婦人とエレベーターを上がる。
彷徨いながら会場に到着。
記名をしてたら、名前でバレて、めっちゃ珍しがられた。
挨拶もそこそこに、時間となって、まずは活動報告とか、予算案とか。
次に、患者会顧問の重鎮のお二人がミニレクチャーって書いてあったけど、とてもミニじゃないレベルのぎっしりとした内容のお話しをいただきました。
次に質疑応答。
まあまあ内容濃く。
で、今回の現地のみのメインイベント?
オフライン交流会を。
随分遅くからのスタートだったけど、今回のメインはなんと、医者との相性が合わなくてどうしよう。
ええ、私も今の主治医を見つけるまでは、そりが合わなかったり、質問をしたら怒られたり。
そんな40年くらいの治療の日々を送ってきましたよ。
その中でも私が紹介したいのは、とある治療の失敗。
私は喘息がありまして。
調子が悪かった時がございました。
そこでステロイド(プレドニン)30mgを3週間続けました。
そこからの減薬を失敗されて副腎不全となって、入院したのですが、呼吸器の医者はステロイドの減薬には無沈着。
副腎不全の事は『そんな事あるか』で片付けられた。
下垂体患者会では、ホルモンが出なくなったりして身体に対して足りてなくても副腎不全で倒れることは勉強済みだった。
ステロイドの治療服用を中長期で行った際も、副腎不全の可能性は否定できず、この時の呼吸器科の医者のやり方では、私は副腎不全となったわけだ。
で、近くの内分泌(下垂体疾患も診ますとの標榜があるところ)のクリニックに駆け込んで
『さっき副腎不全で入院してて退院したんだけど、減薬を手伝ってもらえませんか?』
と飛び込んだ。
経緯は口頭で説明。
内分泌『それは減らし方が早すぎます。副腎不全にもなるのは当たり前。ゆっくり減らしていきましょう』
そんな感じで、後でカルテ開示で入院した時のカルテのコピーを入手した経緯がある。
呼吸器科の事務の人
『何かございましたか?』
っていうもんだから、副腎不全で命の危険を感じたからここに来るのをやめるんです。
院長でしたからね、私を副腎不全にしたの。
そんなトップのいる病院に安心して身体なんて預けられると思いますか?
そのように問いかけた。
事務の人は謝ってはくれたが、院長は最後まで怒っていた。
で、口頭での情報提供のみで、転院した。
また、呼吸器科の話になるが、4月から変わった医者が、しゃべり方が慇懃無礼な感じ。
初対面の私に向かって、吸入をやめるとは何事かといきなり声を荒げる。
事情も知らないくせに、化学物質過敏症のことも踏まえずに、初対面でそれを言う?
3回我慢したけどやっぱり肌感覚が合わなくてその医者からは離れた。
で、カルテを捨てるのは勿体ないから、別の曜日しか来れなくなっちゃったんでーって言って、病院を変わらずに、違う曜日の違う先生にチェンジすることに成功。
また、下垂体疾患のほうでも、治療当時の院長があんまりしゃべらなくてビミョーだったから行くのを辞めて(治療中断)、自殺未遂でかかった医師が、たまたま毎週、これまで行っていた病院の非常勤だった事もあり、血糖値が悪くなって紹介状経由で教育入院をすることに。
その時は前出の内分泌医師は既に退職されたあとだった。
カルテは残っていた。
あとは、この時の医師が辞めて2年くらいはとある医師にかかったが、その人も退職し、また内分泌医師ジプシーとなる。
たまたま患者会でお知らせがあった、現居住の区役所の保健所で、今の主治医が下垂体疾患について講演会をするってことで、はるばると行って話を聞いたら面白かったから、講演後に直接先生に話しかけて、
『先生にかかりたいけど良いですか?』
って。
今の主治医が勤めてた大学病院は、既に別の科で定期的に通っていたから、そこからの内部コンサルで予約を取ってもらった。
そして今に至る。
そんなこんなで、
1.黙って逃げるパターン
2.昔、通って反りが合わなくて転々と逃げて色々彷徨ったけど、元サヤに収まるパターン(もちろん医師は違うけど、元の病院にまたかかる状態。これだと過去の記録はだいたい残ってる。オペの記録が有れば大事にしたい。私は生まれた病院のカルテを処分されように出来た)
3.押しかけ女房タイプ(現主治医との出会い方や、副腎不全にならない現役の仕方をしてくれる内分泌との、出会い)
そんなこんなで、ストレスがあるくらいなら、まずは、曜日違いの別の医師おすすめです。
あの時のメンバーさんに見つかって欲しい。ふふ。
で、帰りの新幹線は、予約してあった時刻の10分前に東京駅の新幹線の改札を通り、何とかギリギリで乗り込んで、後悔したよね。
お土産は買ったけど、晩飯買ってない。
結局、昼頃に桃のパフェを食べたあとは、帰宅するまで何も食べませんでした。
水分は飲んでたけどね。
で、家で味噌ラーメンを作って食べて寝ました🤣
ま、楽しかったからよし。
西葛西駅から、会場までひたすら迷子になって、タクシーを呼んだのはこの私ですw
そして、ワンドリンク、まだ引き換えてないんだよなー
どこでもらえるのかしらね。