妊娠出産を経験してから、たまに思っていたことを、ことばにして記録しておく。


産前というか30代半ばまで、私は、この人生で子がいてもいなくてもいい、と思ってた。

出産したいま思うと、子のいない人生など考えられないのだけど、それは、なってみないと分からないことで。

ライフプラン…人生設計…そういうものは気になりながらも目に入らないところに置き、「人生の階段を順調にのぼる」みたいな表現は嫌い、DINKSを満喫すべく独身のように働き、飲んで、その日暮らしをしていたのだった。



そういう考えで暮らしていたのも、こんなことがあったからだ。


早くに出産し子育てした知人は、子のいる生活は大変だと言った。ママ友付き合いも大変で、自分の時間が全くない。働くこともできない。睡眠時間が短くて大変だ、と。

職場のワーキングマザーたちは、お迎えがあるので、と周囲に謝りながらダッシュして帰り、あるいは保育園へ延長保育のお願いの電話をかけている。帰ったはずのあの人からは、深夜にメールが飛んでいた。


子はかわいいよ、いいものだよ、とも聞くけれど、それを上回るボリュームで、迫力で、"子育てはとんでもなく大変なものである"と、幾度も繰り返し刷り込まれてきた。

私なんかより余程優秀なあの人が、この人が、疲れを顔に滲ませながら、日々をなんとかやりくりしているなんて相当だ。

そんなの、私には、とても…。

という気持ちは、歳を重ねる事にどんどん強まっていった。


子育て=大変、しんどい。

私はずっと、そんな呪いにかかっていたように思う。


だから、子を授かった時に嬉しい気持ちがあった反面、私の人生はこれで一旦終わり、というような覚悟をしていた。

大好きなお酒はもう飲めないし、一人で買い物をすることも出来ない。友達とふらっと飲みにいくなんてもってのほかだろうし、我慢に我慢を重ねる必要があるんだろうな、と思った。

30代半ばまで自由にしてきたから、それと引き換えに、くらいの気持ちですらいた。


でも、妊娠期を過ごし、出産を経て、それは違うなぁと思うことが多くなった。


思ってたのと違うな、と感じることは、いくつかあった。呪いがとけた、と思った。


呪いがとけたあとの私に残った想い、気づいたことたちを書き留めてみる。大きくはこれ。

・「子がかわいい」が原動力になる

・子といると新たな行動範囲が広がる

・友達との交流は深まる、広がる

・当たり前だったことが特別になる



「子がかわいい」が原動力になる

子、想像以上にかわいくて仕方ない。これは正直、個人差が大きいところかと思う。

私は産前、子がかわいいと思えるかすら少し不安だったので、そこからの落差で驚いているところもあると思う。

今、ちょっとしたしんどさなら、子がかわいい事が原動力になって、何とかなっている。

子もいまや生後7ヶ月を越え、だいぶ育てやすくなっているというのも大きいのかもしれない。

日々、疲れた、眠い、しんどい、おむつ漏れだ、泣き止まない、離乳食作ってたべさすのしんどい、ワンオペ風呂が大変…などなど、しんどい事は思い出し切れない位いろいろあるけど、それらの大部分は子がかわいいことで持ち直して頑張れたりする。

笑顔や寝顔はもちろんのこと、泣き顔も、泣いてしがみついてくる(しがみつくことが出来るなんて成長したなぁ…)小さい手にも愛おしさが溢れてきて笑ってしまって、かわいいなぁ、しょうがないなあ、笑、で、何とかなってしまう部分が大きい。これはほんと個人差だとは思う。



子といると新たな行動範囲が広がる

産前は、子連れでなんてどこにも行けない、せいぜい公園ぐらいなのだろうな…と想像していた。確かに産後、3ヶ月頃まではそうだったかもしれない。少なくとも生後1ヶ月は一切外に出さなかったし、それからもしばらくは、近くのスーパーなどにしか行ってなかったと思う。

でも、3ヶ月頃からは地域の赤ちゃんイベントに参加したり、子育て支援センターに行ったりして「平日昼間のこの場所ではこんな風にママたちが集まっていたのか」と、徐々に知らない世界が見えてきた。

そして、同じくらいの月齢のママ友とも、出掛けられることが分かってきた。

寝返りをする前のねんね期は、ランチやお茶くらいなら出かけられることが分かった。

平日昼間の電車は空いていることを知ったし、ベビー歓迎のランチスポットもこんなにあったのか、と驚いた。

子が成長して寝返りし、ハイハイし始めると、子を遊ばせられるスポットや支援センターが併設された商業施設を探して行くようになった。

他の赤ちゃんが動く様子を我が子が興味深そうにじっと見つめたり、何か話しかけるような喃語を発したり、支援センターで知らない知育玩具に夢中になる様子を見て、ああ、いい刺激になっているのだな、と感じた。

産前に行ったことのある商業施設に対しても、何だかやたらだだっ広いなとは感じていたけど、実はベビーカーで動きやすい!と新たな発見をしたり、こんな場所にこんな綺麗なベビールームがあるのか、と驚いたり。

子がいなければ知らなかった時間、場所に対する新たなアンテナを得たことは、とても楽しいもので、「子と一緒にこんなこともできるんだ!」と毎日が発見だった。



友達との交流は深まる、広がる

出産すると、交友関係は絞られる、あるいは煩わしいものになると思っていた。


違った。少なくとも私にとっては。


昔からの友人知人は子の誕生を祝ってくれた上、あれは使うか、これはどうか、と親切にしてくれて、子の顔を見にわざわざ遊びに来てくれたりと、交流は減るどころか逆に増えることが多かった。


子を通じて新たな友達もたくさんできた。主にTwitterと地域で…

「子の月齢が近い」というだけの共通点だから、年齢も考えもさまざまな友達ができた。

これは本当に子のおかげで、出産でも経験しなければ、5つも10も、なんなら干支一周も年が離れた友達ができるとは思わなかった。

ママ友の年代ボリュームゾーンは自分より5歳前後下っぽいな、というのが私の肌感で、もちろん年の差で話が合わないとかは少々あるんだけど、そもそも同い年でも話の合わない人は合わないものだし、年齢の差で合う合わないよりも、個々の考え方の違いの方が大きくて、それが面白かったり、互いに知らない文化を教えあったりと、楽しい事の方が多い。

それに、産後の悩みとかは年齢によらず共通する部分が多い。


そして子に対する考え方もさまざまで。

子が大切という思いから、いろんな事をしてる子がいて、あ、合わないなぁーと感じる人も時々いるっちゃいるけど、いいなぁと思ったら真似させてもらったり、気をつけようと気づかせてもらうこともあったりと。

日々多くはくだらないことばっかり話してるけど、その中に有益なことや感動することが含まれたりしてて、あれコレって井戸端会議的な…って面白く思ったりする。


いつだったか、「ママ友の井戸端会議、トークテーマが決まっておらず、けれどその中に重要な情報が混じっていたりするから非効率だけど参加しない訳にもいかず辛い」みたいなボヤきをどこかで見かけたのが心に引っかかってて、うわーしんどそう、って思ったりしたけど、育休中の時間がある今であれば楽しめそうな気もしている。


そんな感じで、友達との交流は減るどころか増えたような気がしているし、今までは知り合うことのなかった人とも交流できて楽しいのは子のおかげなんだなぁ、ありがとう。とか思ったりする。



そうそう、子を連れて街を歩いていると、実は親切な人はいっぱいいるという事も知った。いろんな人が子にニコニコしてくれるし、電車やバスやエレベーターでは、道行く人の親切に何度も何度も助けられて、その度に心が温かくなった。

なにより、子のことを想ってくれるのは家族だけじゃないんだなと嬉しく思ってほっとする。世間は子持ちに冷たいと聞いてめちゃくちゃ構えていたし、今だに外出する時は基本的に警戒しているけど、親切にしてもらう度に、そんな事ばかりでもないのかもなぁとか、赤ちゃんが好きなおじさんって結構多いんだなあ(微笑ましい目線を向けてくれる!)とか感じて、目から鱗がおち、温かい気持ちになっている。


当たり前だった事が特別になる

ふらっと飲みに行く、ぼーっとする、みたいな時間はほぼない。

ほぼないんだけど、工夫してその時間が作れると特別な時間になって、なんだかとても特別な事をした気になれる。

例えば、ヘアサロン。これまでは、なんとなく早く帰れそうな仕事の日の昼休みとかに予約して、会社帰りにふらっと寄って済ませたりしていた。

今はふらっと行くのは中々難しいんだけど、託児つきのところを探して今回はこれとこれ!みたいに決めて行くと、準備は大変ちゃ大変だけど、行くぞーーー!と気持ちを作ってから行く感じになるので、とても楽しみになるし一人の時間の特別感が増して、不思議な楽しさと達成感がある。やってやったぞー!みたいな。

昼から一人で出掛けて友達と昼飲みとかした日にゃ、背徳感と開放感で楽しさ倍増!

確かに自由さは減るんだけど、出来ないことはきっとないし、時間が大切になるというか何というか。

高ければ高い壁のほうが登ったとき気持ちいいもんだ(…っていうのは、わたし高所恐怖症なので分からない部分もあるけど)、とも言うし、いろいろと都合をつけて段取りしてひねり出した貴重な自由時間は、楽しさが倍増するんだなという発見があった。希少価値。




そんなこんなで、私にかかっていた「子育て大変」の呪いは、徐々にとけてきた。


これらは個人差があると思うし、簡単に「子育て楽しい」とは言えないしほんと楽しいことばかりではないんだけど、私個人について言えば、入ってくる情報で構えすぎてしまっていて、もっと早く子を産んでいてもきっと良かった、という面もあるので、記録してみた。

基本的に子育てが大変なのは心から同意だし、子育てで本当に大変なのはこれからかもしれない。だから、安易に「子育て、楽しい!」という触れ込みはしないように気をつけていくけれど、呪いの再生産をしたくないなぁ、とも思っている。

これからも、子育ても人生も楽しみながら生きていきたいなぁ。