Advocate Programに誘われたら | 介護あるある

介護あるある

ワタクシ事にお付き合い頂き有難うございます!
行列ができるヨガイントラから47歳で欧米人とシニア結婚海外移住後、最愛の母と死別、夫が若年性認知症発症、実父の認知症と弟の発達障害、自身の事故と怪我。介護の日々を海外生活の苦難と喜び交えてほぼ毎日更新中!

本日もお疲れ様でございますチーズお立ち寄りフォローありがとうございますチーズ


日本に帰国すると認知症をはじめ障害がある方の人権や居場所が少ないなあと感じる。一方でオーストラリアもまだまだじゃのうおじいちゃんとうるさいBBA通り越してじじいJJYになるワタシ。認知症取り巻く生きにくさどうしたら良い!


今朝はDementia Australiaの誘いでAdvocate Programの説明を受けた。Advocacy していく仲間を作り社会を変えて認知症当事者の人達と介護者が楽に暮らせる為に色々やっていこうという試みらしい。もちろんボランティア。リサーチに協力したり取材に応じたり計画したり参加して意見を言ったり。ここで使うアドボカシーという言葉は日本で使うモニターのような意味。ワタシが1番やりたいのは同じ境遇の人を助けることかな。特に国際結婚でオーストラリアに来てパートナーが認知症になった場合のお手伝い。法律も社会も4年前と現在はかなり変わったけど変わらない現実は家族が認知症になると「どうしたら良いかとっさにわからない」ことだろう。どんな病も大変である事に変わらないがこの認知症というのはまだこれからの分野だし永遠に「よくわからない」のだと思う。認知症を経験した医者はいないわけだし脳を解剖してもわからない。


このAdvocate Program がうまく行ったら認知症診断受けた初期の段階で手伝えること増えるかもしれないなと思う。ワタクシ事ですが〜とにかく情報はたくさんあるもののネットでは1番知りたいことがわからないと感じた。それは他のみんなどうしてるの?ということだった。

介護人は疲れてるから情報提供する余裕ないかもしれないと現在では納得できる。

一方で欲しい情報が少ない、研究が遅れた理由の一つはこの病に多少恥ずかしいという差別的な印象があるからかもしれない。オットが1番苦しんだのは多分初期。何でもできてた自分ができなくなった悔しさ、衝撃、そして羞恥心…時々Shameという言葉で表していたのを思い出す。


Dementia Australiaはオーストラリア全土にネットワークを広げ行政や自治体と組んで啓蒙活動を行ってきた。認知症当事者さんが出歩きしやすいように標識のデザインとか色味のアドバイスなどもしてるそうだ。日本に来たらどう思うかな?JRの文字の小ささはワタシもビックリよ。


そんな組織が本当にマメに資料を送ってくれて「これから一緒に色々やりましょうっ」と言ってくれるもので何となくワタシは嬉しいのデス。この社会が皆にとって住みやすいものになったらどんなに良いか。認知症当事者が住みやすいということは誰にとっても住みやすいはず。


オットのGPが言った「日々を快適に暮らしてください」と。一瞬思いやりのある言葉なのだが現実的でないと最近思う。だって認知症ではすぐに亡くならないのだもの。苦しいまま20年30年生きなくてはいけないかもしれないもの。。快適に暮らせる社会がどういうものかお医者さんはわかってない。