小話 | 介護あるある

介護あるある

ワタクシ事にお付き合い頂き有難うございます!
行列ができるヨガイントラから47歳で欧米人とシニア結婚海外移住後、最愛の母と死別、夫が若年性認知症発症、実父の認知症と弟の発達障害、自身の事故と怪我。介護の日々を海外生活の苦難と喜び交えてほぼ毎日更新中!

おはようございます☀ いつもご一読いただきありがとうございます♪


オーストラリアと日本の間の時差は1時間です。夏季の間だけシドニーがあるNSW州、メルボルンがあるVIC州そしてアデレードがあるSA州はサマータイムを導入している為時差が2時間になります。こちはではDaylight Savingsと呼ばれます。


このブログはワタシの介護日誌なのですがオーストラリアの事も情報シェアさせていただきたいと思って始めました。かつては対戦国として戦った国ですが近年はアジアパシフィックの同胞としての認識が強くなりましたね。現在の若者世代には敵国というイメージはほぼ無く、遊びに行く国、アニメがある国という印象でしょうか。


一方、年配世代は親や祖父が兵役をした人もいるのでワタシは発言には気をつけるようにしています。地元でヨガクラスをしていた時のある生徒さんは明るくて活動的でワタシの英語もうんうんと聞いてくださる方。その頃70歳前後でした。在豪日本人主催のイベントにも一緒に参加して下さったので好奇心が旺盛なんだと思ってました。

ある日、話の流れで「ねぇ私にはオーストラリアじゃない血が流れてるの、なんだと思う?」と聞いてきました。外見はどうみてもヨーロピアンです。そう聞くと言うことはアジアとか非ヨーロッパ語圏なんだと直感しましたがやはりピンと来なくて「何でしょう?わかりません!」と言いました、すると彼女は「私の祖父は日本人なの」と真っ直ぐワタシの目を見て言いました。


彼女はお祖父さんと話したり交流した思い出がないそうです。娘であるお母さんも彼女に多くを語らなかったそうです。彼女が知る限りではお祖父さんは遠い昔にオーストラリアに仕事で来てそのまま日本へ帰らなかったそうです。名前は小川さん。彼女が記憶しているお祖父さんの職業はクリーニング店を営んでいたことくらいで何の仕事でオーストラリアに来たのか知らないそうです。時期的には戦時下か戦前ですね。彼女が覚えてるお祖父さんは寡黙で静かに座っている姿、遊んだこともなく日本語を習ったこともないそうです。家族の誰もがお祖父さんが日本の何処から来たかも知らないけど家族はちゃんとやって来られたようでお祖父さんの娘は3人の子供を育てその子供達も孫を持ち平和に暮らしています。


彼女が言いました、祖父が日本人ということを友達など誰にも話してないと。そして遠くを見つめて「どんなふうに生きてきたのかしら、どんな生い立ちだったのかしら」と呟きました。


人に歴史あり。です