
北の漁師町
強風吹き付ける岬のてっぺんから下りてくると、西側には海に沿って静かな漁師町が伸
びている。かつて三厩村と呼ばれた一体である。この一角に竜飛岬観光案内所があるの
だが、これが太宰の「津軽」にでてくる北端の宿、奥谷旅館である。入ると、きれいな
おねえさんが一人番をしていて、我々二人のためにストープをつけてくれた。
著名人が多く投宿したそうであるが、今はこの辺りの集落の歴史、太宰(とN君)、そ
して棟方志功を紹介する簡単な資料館になっている。
展示の中で印象的だったのは「道」の話であった。三厩村の海岸沿いの地区、特に上宇
鉄から竜飛までの間には、大正時代まで道と呼べる物がなく、岩山に打たれた杭に板を
通した簡易的な通路を通るか、岩から岩へ飛び移るか、海中の洞穴を通るか、まさに命
がけで行き来していたそうである。病人が出た時は、小舟を出して真っ暗な海をこぎ出
し、函館まで行ったというではないか。陸続きの隣地区に安全に出る道を確保するこ
と、それだけのことが村人たちの悲願だったのである。

海岸沿いにはこういうただならぬ形状と雰囲気を持った洞門が続く。
大正12年に、当時の宇鉄漁業組合長の音頭で、地域住民たちはなんと海沿いの硬い岩盤
をダイナマイトで爆破しては手で堀りすすめるという気の遠くなるような作業を繰り返
して洞門を作り、念願の道を開通させた。ようやく陸の孤島から陸続きの村になれたの
である。洞門は13あるが、今では一部は使われていないようである。

昭和39年に青函トンネルの工事が始まると、竜飛岬は工事関係者とその家族で人口が
爆発的に膨れ上がった。大きな共同住宅が並び、学校や病院や野球場も作られ、大変な
にぎわいを見せる。トンネルの開通とともに人口は激減し、村の小学校と中学校は閉鎖
されてしまったらしいが、竜飛岬が一躍有名になったことで、今は日本人なら知らぬ者
のない観光地としての地位を確立している。命がけで隣の地区と行き来していた人々に
は想像すらできなかった、村の未来であろう。
さて、竜飛地区には、横方向に重ねられた板の線が美しい木造住宅が寄り添うように並
んでいる。青い屋根が多い。
そして民家の裏手に唐突に現れる国道339号線。
れっきとした国道であるが、竜飛岬を走るこの付近は、車両通行不可の階段という珍し
い国道である。
イカ釣り漁船が停まっていた。
電灯が鈴なり。真夜中にこの船たちが一斉に港を出て行く光景を一度見てみたいものだ。
さて、竜飛岬に別れを告げ、今別を通り、280号線をずっと南下し、新青森駅に着いた
ところで私の旅はあっさり終わる。これから車で南下し続けるはずだったのだが、悲し
いかなサラリーマンの性で、期限の迫った仕事が気になって気になって、もはやゆっく
り旅情に浸ることができなくなっていたのである。新青森駅で下ろしてもらい、新幹線
で一気に東京に帰ってきたのであった。同行者には気の毒なことをしてしまった。
本文中で載せられなかったお土産をご紹介。

はちもり観光市で購入したしょっつる。醤油にちょっと垂らしてイカの刺身食ったらウ
マイ、とは同行者の言。まだ試していないが楽しみである。ほんのり甘味を感じる縄か
りん糖は、絶品。中華のマーファールに限りなく近い。(でもこの変な虫みたいな絵は
なんだろう。)
新青森駅で購入した、甘精堂の昆布羊羹は、確かに昆布の香りがし、大変お上品でおい
しかった。もっと全国的に知られてもいい気がするが。
尻切れとんぼになってしまった旅の続きを近いうちに敢行したいな。
おわり






