仏教の八正道のひとつである
「正見」、
実のところ、
「正」しく
「見」る、
ということほど、
難しいことはないわけです。
なぜならば、
「正しさ」というものが、
「見る」ひとによって、
それぞれ異なる時があるから
です。
ですから、
「正しく見る」
ということよりも、
「邪(よこしま)に見ない」
ということを念頭に置く。
「正見」の本質に流れているのは
「不邪見」、
「自分中心の、偏った見方」
つまり、
「邪(よこしま)な見方」
をしない、
これこそを大切にするのだ、
という教えなのです。
感謝、合掌
慈永