1月12日(金)、第1945回 「出世」 | 慈永さんのブログ

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心が疲れたときに、お役に立てましたら。  (^^)/



サラリーマン人生のどこかの

 

タイミングで、

 

例えば、

 

社内の出世レースなど、

 

「選んだり」、

 

「選ばれたり」、

 

ということが必ず起きてくる。

 

その時に、

 

どういう基準で、

 

ひとは選ばれているのか?、

 

ということです。

 

 

シンプルに申し上げれば、

 

「人格」と「実力」、

 

この2つしかありません。

 

もう少し申し上げると、

 

「人格」と「実力」のバランス、

 

となるのかもしれません。

   

 

多くのケースでは、

 

「人格」と「実力」、

 

そのいづれもが充足している

 

ことも、先ずありません。

 

 

ひとによって、

 

凸凹があるからこそ、

 

はじめて選抜になる、

 

ということ。

 

 

そして、

 

「人格」も「実力」も拮抗した者

 

同士の場合、

 

自分の良いところ、

 

相手の悪いところを指摘して、

 

「自分の方が優れている」

 

といったやりとり、

 

繰り広げられたりしますが、

 

実は、

 

それらのやりとり、

 

何らの価値もありません。

 

 

なぜならば、

 

優れている、

 

ということと、

 

その優れている部分に対して

 

他人さまが価値を見い出すか

 

は、全く別の問題だからです。

 

 

「あいつは、ごますりだから」

 

 

とか悪口を言ったりもします

が、

 

悪口を言う暇があるならば、

 

「立派なごまをすれるように

精進する」。

 

 

自分よりも他人さまの優れた

 

ところが観えるようになる。

 

それこそが、

 

部下を持つ上司にとって、

 

最も必要とされる資質だ、

 

ということなのです。