2024年 4月1日&2日、遠江国の古社を巡りました。美しいだけでなく、聖性が高い神社にお参りした2日間は、心身に清浄を「貯金」することができました。
今回は、式内社で遠江国 一宮=小國神社のご紹介です。
遠江国 一宮
小國神社
当社は、境内裏手に深遠な森を抱えています。この写真は、森から遠望した本殿(の後ろ姿)です。
◇鎮座地:静岡県周智郡森町一宮3956
◇最寄駅:天浜線 遠見一宮駅~3.6km
◇バス便:小國神社バス停~50m
→小國神社の無料送迎バス(1日・15日のみ)
◇御祭神:大己貴命(おおなむち)
◇御朱印:あり
《鳥瞰=航空写真》
神宿る山
神域の広さは35万坪超
その大部分が「癒しの斎庭」と呼ばれる森林域です。
*写真=(社)静岡県観光協会HPから拝借
《俯瞰=境内図》
境内の東側を縁取るように川が流れます。
豊かな森林 & 清らかな流水
神社として理想的な場所ではないでしょうか。
◇森を抱える神社の面積比較
・小國神社:35万坪
・上賀茂神社:23万坪
・明治神宮:22万坪
・鹿島神宮:21万坪
・熱田神宮: 6万坪
※伊勢神宮(禁足地の原生林を含)、富士山本宮浅間大社(富士山8合目以上を含)、大神神社(三輪山を含む)などは100万坪超となり、ケタ違いに広いので割愛しました。
次は、ヒューマン目線による森林と河川です。
◆鎮守の森
当社の森は禁足地ではありません。
スギとヒノキを主体とした鎮守の森は、散策路が整備されています。
◆宮川
清冽な川の流れは、眺めているだけで心身が浄化される気がします。
伊勢・内宮のような御手洗場があればなぁ…、と思いました。
【社頭】
◆大鳥居(一之鳥居)
森林や清流の聖性に触れた直後では、参道風景が世俗的に見えてしまう…。
写真を並べつつ、そんな感慨が沸き起こりました。
◆表参道
細かい砕石と古木の並木。
美しい参道に気分が高揚します。
大鳥居の先、左手に手水舎がありました。人があふれていて、猥雑感を拭えないため、写真のアップは断念しました。
◆参道左サイド
→水路
手水舎を振り返りつつ撮影
◆参道右サイド
→勅使参道跡
一般の参道は幅広な砂利道です。その右端に「勅使参道跡」があります。
道幅は、人ひとり~ふたり分くらい。杉大木の並木道になっています
◆鉾執社(ほことりしゃ)
祭神:神社に奉仕された「杜家神人」の祖霊
と、イマイチよく分からない神社なのですが、雰囲気が良好でした。
◆神池「事待ち池」
陽光が差し込んだ水面は、鏡のようでした。
中之島に瀟洒な社殿が見えます。
ガウディがデザインしたかのような奇抜な石橋を渡って中之島へ。
(大きな声では言えませんが、神社の雰囲気にミスマッチしている橋です)
◆宗像神社
祭神:宗像三女神
田心姫命 たごりひめ
田霧姫命 たぎりひめ
市杵島姫命 いつきしまひめ
中之島から丹塗りの橋を渡って対岸へ
◆八王子社
御祭神
国狭槌命 くにさづちのみこと
五男神
三女神
*日本書紀の天地開闢の段に登場する天津神で、別名国狭立尊(くにのさたちのみこと)。神代七代のうち、第二代の一柱。業績はありません。名が出てくるだけです。
神名「サツチ」の「サ」は神稲、「ツチ」は土、すなわち「神稲を植える土」の意。
◆神幸所 しんこうよじょ
神幸所は、1年に1度だけ使われます。例祭の時、御祭神が神輿に乗ってやってきます。要は、「御旅所」でしょうか。
大木と玉垣に囲まれた中、ポツンとたたずむ幌舎のような建屋。
玉垣の先端を鋭利に削り、侵入者を拒んでいます。この一帯は、緊張感がある雰囲気でした。
◆全国一宮等合殿社
いちのみやとうごうでんしゃ
延宝8年(1680)の社記によると、全国一宮等御祭神・73柱が境内社として各所に祀られていました。明治初頭の本社焼失時または腐朽などのため、明治15年より境内末社 八王子社に仮合祀していました。それを平成元年に復興鎮祭しました。by 当社HP
◆ご神木=大杉
樹齢1000年超の大杉でしたが、昭和47年の台風で倒れました。
現在は、覆屋に鎮座しています。
◆斎館
祭典奉仕の祭員が当館に参籠。心身を浄めたのち、祭典に臨みます。
境内は巨大な神代杉が林立。
◆社殿前鳥居(二之鳥居)
かつて、この場所は楼門でした。
しかし、明治15年の火災により焼失。
再建されたのは、大鳥居でした。
◆拝殿
重厚な社殿です。屋根は、檜皮葺で大きな唐破風を設えています。この造形には、筆者の住む下総国の一宮=香取神宮の拝殿を想起しました。
由緒
創建は、言い伝えで西暦555年。記録初出は同840年です。
◇伝承
欽明天皇の16年(555年)
本宮峯(本宮山)に御神霊が示現。勅命によりそこに社殿が造営されたことに始まる。
◇公式記録
①『続日本後紀』
承和7年(840年)6月14日条
「遠江国周智郡の無位の小国天神に従五位下を授け奉る」
②延喜式「神名帳」
延長 5年(927年)
周智郡三座(並小) 「小社 小國神社」
◆向拝
◆本殿
屋根しか見えませんでしたが、望遠で撮影してみました。
◆舞殿 ぶでん
左から、舞台~渡り廊~舞楽舎
舞楽舎は、音曲の演奏や衣装の着替えなどのための社殿です。木造檜皮葺。
舞殿では、「田遊び神事」や「十二段舞楽」が斎行されます。
前者は、豊作を祈願して田作りから刈り入れまでのプロセスを演じる神事芸能。舞や所作より言葉重視です。 唱え言を中心とした見立て芸は、言霊の霊力を讃美します。
後者は12段の神楽で、大宝元年(701)に勅使が舞を奉納したことが始まりと伝わっています。
by当社HP
◆神徳殿
御祭神:大己貴神
拝殿にて祭典行事が執り行われているときは、こちらで祈祷を行います。
◆授与所
2棟並んでいて、手前が「平入」で奥が「妻入」。窓口はつながっています。
「癒しの斎庭」へ
社殿の後背地は「癒しの斎庭」と呼ばれる神域で、森と川を堪能できます。
神徳殿の横から境外に出ました。
河原に降りてみました。水は冷涼。
せせらぎが耳に心地よいのです。
さやかな川音 が聞こえてくるのは
森によって心身が浄化され
さやかな気持 が醸成されたから
そんな気がします。
◆本殿裏手
境内からは屋根しか見えなかった本殿でした。森に入ると、一部を垣間見ることができました。写っている社殿は覆い屋ではなく、大社造りの本殿裏側です。
本殿遥拝ののち、奥へと進みます。
数百メートル歩いてから左手斜面を上がっていきます。
【森に点在する末社】
①白山社
御祭神:菊理比売命
東向き斜面に凛とした存在感です。
清澄な空気が伝わると良いのですが。
森はさらに奥へと広がっていて、奥宮が鎮座する本宮山への登山道に接続します。奥宮にも行きたかったのですが、予習段階で半日がかりの登山となることが判明。残念ながら? 登山を諦めました。
※本宮山に鎮座する奥宮
=奥磐戸神社(おくいわと)
御祭神:大己貴神の荒御魂
本宮山は当社の北約6km、標高511m
御神霊が最初に出現した山です。当社はここから現社地に移転しました。
宮川を左手に眺めつつ、来た道を戻ります。
途中で対岸に渡ります。
宮川東岸は、小径の向こうに車道があります。そこを少し進むと「瀧宮社」のサインが出現。社殿は丘の上でした。足場が悪い急斜面を上がっていくと小さな滝。
滝を眺めつつ小休止。さらに上へ。
②瀧宮社
御祭神:須佐之男命
古木の根が巨大化していて
まるで大蛇のようです。
御祭神は素戔嗚尊
瀧宮社を離れて、丘を降ります。
宮川西岸に戻り、川沿いを南下。
「遠州 みもろ焼き」別所窯の脇から車道に出て1kmほど歩き、「梅園」を抜けると「塩井神社」です。道端に設えられた階段を使って斜面を下ります。
【境外末社】
◆塩井神社
御祭神:塩筒老命
しおづつのおのみこと
相殿神:誉田別命
日本書紀「天孫降臨」において
ニニギ「ご一行」を
天之八衢で出迎えたのはサルタヒコ
サルタヒコは、ニニギを日向へと導きました。
ニニギ「ご一行」を
日向で出迎えたのが事勝国勝神(=シオツチノオジ)
シオツチノオジは、のちに神武を東へと誘います。
こうして、国つ神による「出迎え&導き」リレーが完結するのでした。
◆塩井戸
右側の建屋が塩井戸です。
この塩井は、「一宮山の八分目あたりにあって、井戸には干満があり、味わいは海水のよう。塩が不足した時、この塩水を汲んで用いる」by案内板
当井戸の塩水は「胃腸の薬とお祓いの魔除けになる」と古老より伝えられています。
※割愛した写真
境内社:祖霊社、飯王子社、愛宕社
施設:手水舎、参集殿、社務所、大宝殿
名所:駒止め杉、ひょうの木、金銀石、木化石、大宝槌、家康公の立ち上がり石
以上
【御朱印】
初穂料500円
【参拝ルート】
遠江国の神社巡り
2024年 4月 1日(月) 1日め
START=東京駅7:57→新幹線こだま号→9:34掛川駅~乗換え~天竜浜名湖鉄道 掛川駅9:59→天浜線→10:31遠江一宮駅~駅前バス停10:35→送迎バス→10:45小國神社バス停~ ①遠江国一之宮=小國神社 ~バス停12:45→送迎バス→12:55遠江一宮駅13:01→天浜線→13:07遠州森町駅~駅レンタサイクル~2km~②天宮神社~1.6km~③金守神社~0.4km~遠州森駅 レンタサイクル返却~遠州森町駅15:14→天浜線→15:38掛川駅=GOAL
【編集後記】
◆当社の立地を風水的に見ると
北に玄武が宿る「山」=本宮山
東に青龍が宿る「川」=宮川
南に朱雀が宿る「海」=遠州灘
西に白虎が宿る「道」=東海道
となり、理想的な立地です。
◆再訪
あらためて機会を設けて、奥宮にも行ってみたいと思いました。また、 伊勢神宮と比べてしまうのはおこがましいのですが、それを彷彿とさせる神域を持つ素晴らしい神社でした。(了)