2014年 4月 1日&2日、遠江国の神社を巡ってきました。今回は、宗像三女神を奉斎する表記神社です。
《鎮守の森と美しい池》
天宮神社 あめのみや
当社は、三方を小高い山に囲まれています。また、東に太田川、西に瀬入川、と2つの清流に挟まれています。こうした清々しい地=千古の森に当社は鎮座しています。
◇鎮座地:静岡県周智郡森町天宮576
◇最寄駅:天浜線 遠州森駅~2km
◇御祭神:宗像三女神
◇御朱印:あり
小國神社の最寄り駅「遠州一宮」駅から天浜線で3つ目=遠州森町駅で下車。当社まで2kmの道程でしたので、駅でレンタサイクルを調達しました。
筆者は、これまで鹿島・香取をはじめ多くの町で電動アシストつき自転車を利用してきましたが、当駅の自転車はダントツに走りやすかったです。貸自転車にヤマハのスポーツタイプとは驚きでした。駅長さん曰く、隣町で生産しているので。と^^
【社頭】
◆一之鳥居
◆御旅所
参道途中、右手に御旅所。神輿のための御旅所は、境外にある場合がほとんどです。しかし、遠江国では一宮=小國神社でも参道にあったので、地域特性を感じました。
◆二之鳥居
かつて、表参道は古樹の並木道だったそうです。しかし、平成30年の台風で何本かが倒れました。
三之鳥居は、注連柱。柱は石の角柱です。
◆手水舎
創始
第29代欽明天皇の御世(約1500年前)に、筑紫国・宗像神社の神霊を迎えて鎮斎されたことにはじまります。
御祭神
宗像三女神
記紀において、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神。
田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命の三柱の女神のこと。
宗像大神(むなかたのおおかみ)
あるいは道主貴(みちぬしのむち)
と呼ばれ、あらゆる「道」の最高神であり、航海の安全や交通安全などを祈願する神様として崇敬を集めています。
総本社である筑紫の宗像大社では、三柱の女神を沖ノ島=沖津宮、大島=中津宮、筑紫=辺津宮にて祀ります。各宮と祭神の組み合わせは、出典によって異なります。例えば、市杵島姫命。日本書紀の本文では辺津宮鎮座ですが、第三の一書では沖津宮鎮座です。とはいえ、宗像三女神以外の神が鎮座することはありません。
◆ご神木
拝殿に向かって右手に雄木、左に雌木
竹柏(なぎ)の木:雄
「なぎ」は「凪(なぎ)」につながり、船行の安全を祈る木でもあります。宗像の神を祀る神社の御神木として整合性がある樹種だと思いました。
◆拝殿と本殿
◆本殿
御祭神=宗像三女神の別名である
道主貴 みちぬしのむち
のこと
「ムチ」は「貴い神」
を表す尊称とされています
神名に「ムチ」が付く神は…
大日孁貴 オホヒルメノムチ
=天照大神=天津神最高神
大己貴命 オホナムチ
=大国主神=国津神最高神
※単一神ではなく、氏族長としての神々の集合体とも言われています。
など。ビッグ・ネームに「ムチ」がつけられます。
別称・道主貴は、宗像三女神がいかに貴い神とされていたかの証と言えるでしょう。
本殿から奥社に向かいます
気持ち良い森の散策路です
◇左サイド=森
◇右サイド=森
◇左サイド=丘
◇右サイド=森
◇左サイド=崖
◇右サイド=丘
丘の頂に社殿を遠望
◆頂き直前の細道
◇左サイド=崖
◇右サイド=丘
【奥社】
御祭神
天宮神社大神
大山祇命
丘を下って神池へ
◆静寂に包まれた神池
全体を見渡すと、すり鉢の底に池がある。といった感じです。対岸の斜面に池畔社殿が鎮座します。
池名は「くちなしの池」その由来は
出入口の無い池=「口無し」説
水神の使いである蛇を朽ち縄と呼び、「くちなわ」が転訛した説
池には1本の奇樹。池に棲むモリアオガエルは、この木に登って産卵します。孵化したオタマジャクシは枝から池に落下します。ちなみに、フツーの蛙は水中に産卵。
【池畔社】
御祭神
天宮神社大神
水波能賣神みつはのめ
【境内点描】
◆境内図 当社パンフを撮影
◆当社の東側を流れる太田川
※川の写真はネットから拝借
◆多賀社
1851年、近江国の多賀大社より勧請。
拝殿の東側に鎮座。
御祭神
伊邪那岐命
伊邪那美命
ちなみに
都から見て近い湖=近江=琵琶湖
都から見て遠い湖=遠江=浜名湖
◆合祀殿
秋葉神社(火之迦具土命)
本宮神社=15末社を合祀
→大日孁貴=内御前神社、伊弉冉命=於止奈志社、大山祇命=山神社、市杵島姫命=厳島社、木花開耶姫命=浅間社、大己貴命=奥岩戸社、天児屋根命=春日社、瓊瓊杵尊=八王子社、猿田彦命=天白社、倭姫命=御鍬社、菊理姫命=白山社、誉田別尊=八幡社、大鷦鷯命(仁徳天皇)=若宮社、石凝姥命=姥午前社、道真朝臣命=天神社
◆地主神社
御祭神:大地主神(おおとこぬし)
切り株に鎮座する比較的新しい社殿。
社名が不明でしたので、宮司さんに社名と解説をお伺いしました。あとになって気づいたのですが、この小社は境内図に掲載されておりませんでした。
◆当地の風習
宮司さん曰く、静岡県西部地域は、自宅庭の西北に当たる場所に邸内社を祀る風習があるとのこと。邸内社用の社殿はホームセンターに行けば、当たり前のように売っているそうです。
当社でも、氏子総代さんが境内の西北となるこの地に境内社(=邸内社)を建立されたとのこと。宮司さんが大切に管理し、祀っているのが一目瞭然でした。
◆天乃真名井 あめのまない
清浄な井戸には「真名井」という名がつけられます。その中でも最上級の敬称が「天の真名井」です。
また、アマテラスとスサノヲが誓約した場所=天の眞名井です。(古事記)
◆舞殿 ぶでん
神楽殿ですが、当社の場合、舞台+渡り廊下+楽屋で構成されます。これは、一宮=小國神社も同じでした。
この舞台で、十二段舞楽(国指定重要無形民俗文化財)が奉奏されます。約1300年前から継承される芸能です。
小國神社と同一演目は、左舞と右舞に区別され、2社1体で成立します。
by当社パンフ
十二段舞楽
舞楽には、左方舞と右方舞があることを知らなかったので、大まかな知識をネットから仕入れました。
舞台は「舞楽台」と呼ばれ、正方形が正式なんだそうです。
◇左方舞=小國神社
音楽:唐楽(からがく)=中国系
装束:赤色系を着用
楽器:大太鼓に日輪を戴く
◇右方舞=天宮神社
音楽:高麗楽(こまがく)=朝鮮系
装束:青色系を着用
楽器:大太鼓に月輪を戴く
ほかにも、舞台への登場は、左奥からor右奥から。踏み出す足は、左足からor右足から、など。両者の対称性が際立っていることを学びました。洗練の極みを感じます。
こうしたことから、当社と小國神社が創建から1000年以上経過した現在でも、今なお友好的な関係にあると想像できそうです。
◆プチ古墳
宮司さんに「神宮寺の前にあるマウンドは古墳ですか?」とお尋ねしたところ、Yes!でした。詳細は不明ですが、当地を開拓した氏族の先祖陵墓かと思われます。
◆社務所
宮司さんには、いくつか質問させていただきました。そして、1つ1つ丁寧に対応していただきました。この場を使い、あらためて感謝です。ありがとうございました。
当社のパンフによれば
御祭神は一般に知られた「海陸行の交通安全」のみならず、「生きる道」など「道」全般の守り神としてあがめられていること。さらには、福徳、円満・知徳・縁結び・子育て・長寿の守護神としても広く崇敬されていること。などが書かれていました。
となると、剣道をはじめとした武道。あるいは、華道、茶道、和歌の道。果ては、陰陽道などの「道」も含まれるのでしょう。
→要するに、由来や元々の神徳に加えて、時の流れとともに、そのときどきに求められるものを受け入れきたということ。民衆の信仰とは、そういうものかと思います。
当社は、宗像三女神を祀ってはいるものの、宗像神社ではありません。よって、当社の神紋は「宗像神社=楢(なら)の葉」ではなく、三つ巴紋でした。
※割愛した写真
稲荷神社、神宮寺、舞殿楽屋舎、宝蔵庫、凱生社=屋台(山車)の格納庫、大壇石(=陽石)、女陰石、など。
【御朱印】
初穂料=500円
御朱印帳に直書きしてくれます。
【参拝ルート】
遠江国の神社巡り
2024年 4月 1日(月)
START=東京駅7:57→新幹線こだま号→9:34掛川駅~乗換え~天竜浜名湖鉄道 掛川駅9:59→天浜線→10:31遠江一宮駅~駅前バス停10:35→送迎バス→10:45小國神社バス停~①遠江国一之宮=小國神社~バス停12:45→送迎バス→12:55遠江一宮駅13:01→天浜線→13:07 遠州森町駅~駅レンタサイクル~2km~②天宮神社 ~1.6km~③金守神社~0.4km~遠州森駅 レンタサイクル返却~遠州森町駅15:14→天浜線→15:38掛川駅=GOAL
【編集後記】
静岡県は、明治時代まで駿河国、遠江国、伊豆国の3国に分かれていました。そのため現代でも県の中部、西部、東部では言葉や気質などが三者三様と言われています。
この3地域の人々の特徴を表す言葉に
駿河乞食・遠州泥棒・伊豆の飢死
というものがあります。
これは飢饉などが起きたとき、どのように行動するかを表した譬えです。
駿河人
→お上or他人を頼って物乞い
遠州人
→泥棒してでも自力で食物を入手
伊豆人
→ノンビリし過ぎてそのまま餓死
辛口ですが、ユーモアあふれるお国柄評です。
by静岡県立大 N教授
さて、前回の小國神社&今回の天宮神社は、共に遠江を代表する古社です。予習で、両社が緑と水の神域だと知り、訪問が楽しみでした。果して、その神域は予想を超えた雰囲気でした。
よって、写真編集しながら思い出し、記事執筆を楽しむことができました。(了)
《遠江国の神社巡り》
次回は浜名湖の西側、愛知県との県境にほど近い地域の神社です。