飯綱権現社 

 (いいづな)

《北総台地の秘境》

 当社をネット検索すると、いくつかヒットします。どの記事も、たいてい「森の奥」とか「秘境」などの文字が踊っています。

 

 苦労してたどり着いたこともあって、当社の雰囲気は身体感覚的にも感動しました。

◇鎮座地:千葉県白井市谷田1212

◇最寄駅:北総線・小室駅~2.2km

◇バス停:新京成バス・小室駅バス停~2.2km

 →新京成線・北習志野駅[小室01]小室駅行

 

◇御祭神:飯綱権現

◇御朱印:なし

 

 

◎参拝前の予習

 昨年秋、ネットで当社を発見。森の奥深くに鎮座していることが判かりました。ならば、森が生き生きとする初夏まで待とう、と1年近く我慢。 今回、満を持して参拝に向かいました。

 

 

【当社への道のり】

◆北総線・小室駅から徒歩

 小室駅は船橋市の北東地域。駅から東に進みます。道の南側は、国道464号線と北総線。単調な風景です。一方、北側は長閑な景色が続きます。神崎川(=写真)を渡ると白井市です。

 

 

◆Googleマップの無茶ぶり

 北千葉道路沿いの、とあるポイントに着くと、北側に入れと指示されます。しかし、そこに道などありません。

 

道路の北側は、小さな谷とその先に広がる森でした。

しかたなく、もう少し東に行ってみることにしました。

 

 

◆開口部を発見

 東に進んでほどなく、このような場所が出現したので入ってみました。わずかに轍のようなものも見えます。

 

 

◆悪戦苦闘

 小室駅から2.2kmのはずでした・・・。

しかし、「到着~案内停止」からが悪戦苦闘の始まりでした。

 

 

◆断念

 森の開口部から、北・東・西と3方向に進みました。しかし、すべて途中で道が消え、鬱蒼さは深まるばかり。諦めて、開口部に戻りました。

 この「ジャングル探検」において、ダニや微生物をいかほどか背負いこんでしまった

かと思われます。

 

 

 

態勢立て直し

 半分パニくった状態から、冷静に地図を見直しました。出した答えは、《態勢の立て直し》。Googleの指示を無視して、来た道を戻ることにしました。

 

 

◆再度、森に挑む

 来た道を大きく引き返し、森の手前を北に伸びるフツーの道から迂回しました。

 

 

◆人の手が入った感じ

 こちらは木々が適度に間引かれています。

 

 

◆軽自動車が通れそうな道

 先の「ジャングル」とは明らかに様子が異なり、「森の散策路」と呼べる感じです。

 

 

◆道幅が狭くなってきました。

 なにやら、雰囲気が怪しくなってきました。

 

 

◆かなり怪しくなってきた

 先ほどの「ジャングル」と大差なくなってきました。

道はこの先突き当たります。方位的には、そこを右に進む感じですが・・・。

 

 

◆美しい谷津

 突き当たって左方向が明るく見えたので行ってみました。

すると、そこは森の切れ目。森と森の狭間に美しい谷津が広がっていました。

 

 

◆「突き当り」に戻って右へ

 

空気感が少し変わってきました

 

 

◆ついに到達か

 どうやら、小径の先のほうに朧気に見えてきた感じです。

 

 

 

 森の奥深く、忽然と姿を現した『飯綱権現社』

 

 

 

◆遷座

  当社は、初めからこのような森の奥に鎮座していたのでありません。元の鎮座地が『千葉ニュータウン事業』の用地となったため、当地に遷座してきました。昭和56年のことです。

 

 

◆元の鎮座地について

 元の鎮座地は、現在社殿のある台地から谷津を挟んだ東側。現在は、北総鉄道の軌道内となっているようです。

 

 

当社の本源

 飯綱権現の本源は、信濃國北部の飯縄山(=飯綱山)の山頂付近にある飯綱神社です。

ここは、かつて修験道の霊地として名を馳せていました。

 

 現在では、最盛期の面影をとどめる礎石があるだけ。

また、信州飯綱山・南北2つの頂上にそれぞれ小祠が残る「無人社」となっています。

by『日本の神様-読み解き事典』柏書房

 

 

 

 

◆右側からの眺め

 

 

 

飯縄大権現とは

→高尾山薬王院HPを要約


 飯縄大権現は、不動明王の仮の姿として衆生を救済する徳を備えた仏神です。本地の不動明王のほか、迦楼羅天(カルラ)、荼吉尼天(ダキニ)、歓喜天、宇賀神と弁財天の五相合体をしたお姿とされています。

すなわち

①不動明王=諸悪を根絶するため、忿怒の相を表す。

②迦楼羅天=くちばしと両翼を持ち、自在に飛行して衆生救済を施す。

③歓喜天=衆生に富貴を授け疾病を除き、夫婦和合の徳を施す心を持っ。

④荼吉尼天=白狐に乗り、先を見通す力を授ける。

⑤宇賀神と弁財天=五穀豊穣、商売繁盛、福寿円満、などを授ける。

と、それぞれの相を合わせ持った御本尊様が飯綱大権現なのです。

 

 

 

◆緑に包まれた社殿

 

 

鳥居・水盤(遺構)・狛犬・常夜燈などが確認できました。

 

 

◆石段

 

 

 

◆石段半ばから本殿を遠望

 

 

◆本殿

 端正な美しさを湛える木製社殿です。欄干もついています。

 

 

 

 

 

 

 

【緑の宝庫】

 圧倒的な緑の量は、たんに木々の濃さによるものだけではありません。地面や岩に自生する苔も「緑の世界」の創出にひと役買っていました。

 

 

◆学術調査

 調べたところ、2007年に蘚苔類に関する学術調査が入っていました。

当地には、スギゴケはじめ19種類の蘚苔類が確認された、とのことです。

 

 

 

 

 

 

◆移築記念碑

当社には、兄弟社がありました

 記念碑裏面の銘文から、兄弟社関連の部分を要約すると 

「飯綱権現社は、八千代市萱田 飯綱神社の兄社に当ると言伝えられ、当地(白井市谷田)の代々名主を勤める湯浅家の守護神として古くから祀られて来た。」と。

 

◇湯浅家

 中世武士団=紀伊国の湯浅党。南北朝の頃、当該一族の一部が足利軍に従って北総台地に移住しました。それが湯浅家です。

 →出自は紀伊なのに、なぜ「飯綱権現」?との疑問が生じます。

 

◇筆者の記事リンク

 →八千代市 萱田飯綱神社

 

 

 

【御朱印】

 ありません。

 

 

 

【参拝ルート】

2022年 6月11日

START=北総線・小室駅~450m~①小室八幡神社~2.5km~ ②飯綱権現社 ~3km~小室駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆石碑「見通しの松」

 江戸時代、当地では「小金牧」という巨大牧場が広がっていました。この松は、牧場で野馬を追いこむ際の目印とされていた、とのこと。

 こちらも、当地の大規模開発にともなって移築されたようです。

 

 

◆到達するまで苦しんだけれど

 圧倒的な緑の中に堂々と鎮座する『飯綱権現』。修験道の仏神は、明治維新で神社となったものも少なくありませんでした。八千代市のほうは「飯綱神社」となりましたが、こちらは神社と名乗っておりません。今でも、権現です。

 しかし、仏神だろうがなんだろうが、筆者はこの静謐な森に鎮座する社殿と社地に圧倒されました。それだけで十分です。もちろん、心身はすっかり癒されました。(了)