香取神宮・境外摂社
返田神社 (かえだ)
《全国の一之宮を個別に祀る》
当社の特徴は参道です。全国一之宮の祭神を祀る石祠がズラッと並びます。
◇鎮座地:千葉県香取市返田729
◇最寄駅:JR成田線・佐原駅から5.3km
◇御祭神:軻遇突智神、埴山姫神
◇社格等:村社
◇御朱印:なし(と思う)
◆返田神社への道
バスの本数が少ないので、佐原駅前観光案内所で自転車を借り、神社に向かいました。
道順を事前に調べていたので、迷うことのない5.3kmでした。ただ、出発してすぐに小雨が降り始め、帰るまで降り続いたのが誤算でした。
【表参道】
本記事では、当社の別名のこと、祭神のこと、などを考えます。
◆社頭
返田と書いて、社号では「かえだ」、地名は「かやた」です。
◆大鳥居
大木は少ないけれど、杉をはじめ背の高い樹木が密生している社叢です。
◆天神地祇
鳥居と石塔の間、左手に大きな石塔が建っていて、「天神地祇」と彫られていました。
*天神地祇とは、天神=天津神、地祇=国津神。
要は、すべての神々ということ。ちなみに、スサノオは地祇にカテゴライズされます。
◆石塔群
日本各地の一之宮を祀る石塔が70基並びます。
右列=「内宮・皇大神宮」を先頭に35基
左列=「外宮・豊受大神宮」を先頭に35基
◆石塔の一例
石見國 物部大明神 宇麻志間治命
【社殿】
◆拝殿
◎香取神宮の摂社・末社
香取神宮には、摂社・末社が30社あります。
そのうち、 《本殿と拝殿を保有する神社》 は、3社しかありません。
当社と側高神社、大戸神社です。
この3社は、香取神宮から最も遠い摂社・末社のTOP3です。
また、津宮・旧参道・宮中・宮下・境内といった核心地域から外れた地域に鎮座する3社です。
◎香取神宮小史を読むと
かつては香取神宮の摂社だったけれど、今は独立している。
そういう神社が書かれています。
神崎神社・高房神社・切手神社・東大社・木内神社の5社です。
これらは、どの神社も拝殿と本殿を保有しています。
つまり、香取神宮から独立した神社には、本殿のほかに拝殿もある。
こうした事例から類推すると、当社、側高、大戸の3社は《香取神宮から独立し損ねた神社》なのかもしれない。そんな気がしました。
◎3摂社の祭神比較
①側高神社=祭神は秘密
筆者が宮司さんに聴き取りした際、忌部氏系(→阿波忌部の祖神=天日鷲命)であることをほのめかされました。阿波忌部は安房忌部につながるので、あり得る説です。
*忌部氏は、中臣氏と対立していました。そして、中臣氏=藤原氏=香取神宮。
つまり、側高神社が忌部氏系だとすると、香取神宮の摂社であることに違和感が生じます。
②大戸神社=天手力男命
香取神宮では、大戸神社の祭神を磐筒男神、磐筒女神(=経津主大神の親神)と主張。 by香取神宮小史(社務所編)
祭神については、香取神宮と大戸神社で言っていることが異なります。
大戸神社は、由緒書の中で曖昧な表現を使って独立性を主張している。三諸は、そのように感じました。
実際、元禄時代に幕府による香取神宮と摂社末社の大修繕があった際、大戸神社はそれを拒否しています。by香取大禰宜家日記
③当社=軻遇突智神、埴山姫神
カグツチはフツヌシと関係があるので、摂社となりえます。ハニヤマヒメは疑問が残ります。
独立性については、資料が少なく、①②のような雰囲気は感じられません。しかし、日本全国の一宮・祭神を祀るなど、特異な神社であることに違いありません。
◆本殿
御祭神:軻遇突智神、埴山姫神
祭神は、火の神&土の神です。
◎軻遇突智神のこと
記紀に登場する神です。カグツチはイザナギに切られました。その刀剣の先端からカグツチの血が岩に落ちたとき、3柱の神が生まれました。それが、石折神(いわさく)、根折神(ねさく)、石筒之男神(いわつつ)。すなわち、香取神宮御祭神・経津主大神の祖先神です。
◆本殿彫刻
当社は、香取神宮の摂社・末社の中で、もっとも細密な社殿彫刻が施された神社です。本殿の柱には龍頭が取り付けられていました。
◆八龍神
龍の木鼻は、柱4本×2体。つまり、本殿の四方を《八龍神》が守護します。
◎返田悪王子神社
~これは、当社の別名です。by『千葉縣香取郡誌』
奇抜な社号なので調べてみました。
悪王子神社は、祭神がスサノオの場合とカグツチの場合がありました。
前者は、京都・八坂神社の境内社など。
後者は、静岡・浅間大社の元・末社など。
当社は、カグツチですから後者に関係します。
また、後者は「悪」=荒々しい、猛々しい。「王子」=浅間大神の御子神。という意味になり、富士山の噴火を鎮めるために建てられたようです。
となると、香取神宮の境内社・桜大刀自神社と対になるとも考えられ、香取神宮との関係性が出てきます。
ほかには、悪王子信仰というのがあって、藤原氏が篤く信仰していたようです。当社がこの信仰に関係あるなら、藤原氏=香取神宮であることから、摂社としての整合性が出ます。
◆社務所
【境内社】
◆神明社
◆石祠
左=猿田大権現・八幡宮、中=青*三光宮、右=聖徳*
明治時代初期の香取神宮 境内絵図を眺めていると、六社神社付近に「猿田彦社」を確認できます。しかし、今はありません。香取神宮境内からこちらに、遷座したのでしょうか・・・。
【境外】
◆謎の稲荷社
荒垣の外側、大鳥居に正対する場所に稲荷社がありました。この神社、大鳥居から50m程度しか離れておりません。
この位置から、大鳥居さらには拝殿・本殿をじっと見つめるかのように鎮座していました。
いかにも、当社と関係ありげな配置です。
【御朱印】
ありません。
【参拝ルート】
《香取神宮 年末詣》
START=JR成田線・佐原駅~駅前バス停→循環バス→①香取神宮~徒歩350m~②八剱神社・若宮神社~徒歩250m~③摂社・又見神社&末社・三島神社~徒歩~(梅乃屋本店・蕎麦)~香取神宮バス停→循環バス→佐原駅~徒歩~観光案内所→自転車(約5km)→ ④摂社・返田神社 →自転車→観光案内所・自転車返却~徒歩~佐原駅=GOAL
【編集後記】
◆香取神宮との関係
側高神社や大戸神社と違って、香取神宮との関係性(≒従属性)が感じられます。その証拠に、香取神宮・神幸祭の際には当社から獅子舞の供奉があります。(了) *写真はネットから拝借