常陸國・一之宮
鹿島神宮
2020年 6月、『鹿島三社巡り』をしてきました。(「東国三社巡り」ではありません。)
まずは、『三社詣りの古道』を歩いて、坂戸神社と沼尾神社へ。そこから潮神社を経て鹿島神宮。という巡礼でした。
境内案内の記事は既に書いているので、今回は、《御祭神》 について。とします。
◇御祭神:武甕槌大神
◇御朱印:あり
◇社格等:
◎とんでもなく古い神社
「創建年ランキング」を見ました。
関東圏の神社では、鹿島神宮と安房神社が最古。創建は、ともに神武天皇元年(=紀元前660年)です。第3位は香取神宮。以下、武蔵國の2社=小野神社、氷川神社と続きます。
それでは、当社の御祭神は、2680年前の創建時から武甕槌大神だったのでしょうか。
・・・否です。
【御祭神】
①通説の祭神
鹿島神宮の祭神は、通説では武甕槌大神となっています。
しかし、日本書記や古事記の本文、あるいは「一書」にそうした記載はありません。さらには、『常陸国風土記』にさえ、《鹿島神宮・祭神=武甕槌神》との記事がありません。
②本来の祭神
では、本来の祭神とは、いかなる神なのか。
それは・・・
普都大神(フツノオオカミ)
と考えることができそうです。
◆普都大神とする根拠
①『常陸国風土記』
◇信太郡の項
古老曰く。天地の権輿(はじめ)。草木言(こと)語ひし時。天より降り来れる神。御名を普都大神と号す。
◇香島郡の項
其処(そのところ)にいませる天(あめ)の大神の社。坂戸の社。沼尾の社。三処を合せてすべて香島の大神と称う。
→『常陸国風土記』は、特定の編者によって、統一的に編纂された書。そうした書において、先に「天より降り来れる神、御名を普都大神」と書き、すぐ次に「天の大神、云々」と書けば、
「天の大神」とは、普都大神と考えるのが自然です。
②鹿島神宮「神宝」
~韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)が鹿島神宮に伝わり、宝物館に現存すること。
韴霊剣は2点あり、1つは石上神宮の御祭神。もう1つは、そのレプリカ=鹿島神宮の御神体。
→鹿島神宮の御神体=フツノミタマの剣
③『釈日本記』
本書は中世における『日本書紀』の注釈書。鹿島大神について、以下の記述があります。
「今、常陸に坐す鹿島大神、また石上布都大神 是なり」。
つまり、鹿島の大神は、石上神宮のフツノオオカミと同じ神である、と。
→鹿島大神=普都大神
【祭神変更】
◆武甕槌大神の別名
古事記において、建御雷神には、建布津(タケフツ)あるいは豊布津(トヨフツ)という別名があると書かれています。タケもトヨも美称にすぎません。
→よって、別名とは「フツ」です。
◆藤原氏と鹿島・中臣氏
かつて、鹿島神宮の御祭神は「天の大神」。この神の実体は、韴霊剣(フツノミタマ)です。
であるなら、「フツ」という別名を持つ武甕槌神もまた、「フツの神」となる。と、「フツつながり」の理屈を以って、鹿島神宮の祭神を・・・
物部の氏神→藤原の氏神
このように大きな変更は・・・
中臣と藤原の合議(謀議)の結果です。
【境外末社】
今回は、記事テーマに符合させた重要末社も参拝してきました。
◆潮社(いたのやしろ)
御祭神:高倉下命
「たかくらじのみこと」と訓(よ)みます。古事記・日本書紀に登場する神様です。
高倉下命は、神武東征神話において、決定的に重要な役割を果たします。
◆韴霊剣(=布都御魂)の授受
神武天皇の軍は、ナガスネヒコと交戦中に熊野で悪神の毒気により倒れました。そのとき、高倉下が建御雷神の剣を届けると、神武軍は覚醒し、窮地を脱しました。
◆神剣入手の経緯
神武のピンチを知ったアマテラスは、援軍(=建御雷神)を派遣しようとしました。建御雷神は、高倉下に「国を平定した際に用いた剣を与える。それを天津神の御子に献上しろ」と夢の中で伝言。朝になり、高倉下が蔵を確認したところ、剣が置いてあったのでした。
この剣こそが、韴霊剣(=布都御魂)。石上神宮で祀られ、鹿島神宮では社宝となっています。
※『祭神のこと』は、香取神宮Ver.も書いています。よろしければ、ご覧ください。
【所管社】
鹿島神宮の境内には、摂社・末社のほかに所管社も鎮座します。境内に所管社があるのは珍しい形態です。
所管社は、2社。どちらも《良い気》が漂います。
①祖霊社
祭神:氏子中の戦没者・祖霊
◆拝殿
鹿島神宮に来たら必ず訪れる心地良い場所。こちらでは、人に遭遇したことがありません。
清浄感があふれます。
◆本殿
秋分の日、午後6時より『遷霊の儀』が執り行われます。
前年の秋、権殿に合祀された御霊が本殿にお遷りになります。
by鹿島神宮HP
◆権殿
秋分の日、午後6時より『招魂の儀』が執り行われます。
この日、新たに加わる御霊を権殿へ奉斎致します。
by鹿島神宮HP
◆拝殿と権殿(左)
参集殿の向かい「御厨社」前の小径から社叢に入ります。ほどなく、左手に「祖霊社」です。
②大国社
御祭神:大国主命
神剣・韴霊剣を携えた武甕槌大神が「国譲り」交渉した相手が当社祭神=大国主命です。
◆鹿島神宮園地
御手洗池と「鹿島神宮園地」の池をつなぐ水路の傍らに鎮座する大国社。当社周辺は、清らかな流れが作り出す《清浄な気》が漂います。
*御手洗池・裏手の湧水口からは、1日に400klの清水が湧出し、お水取りが可能です。
【境内点描】
◆茅の輪
大祓まで1か月を切った6月3日。楼門と拝殿の中間地点には茅の輪が造られていました。
◆武徳殿の祓所
四方を結界し、その中に榊が植えられています。これは、祓所の典型です。
◆仮殿と高房社
右手に映る社が摂社・高房社です。拝殿に向かう前にお参りすべき神社です。
◆社叢
奥宮から要石に向かう途中、武甕槌大神がナマズを踏みつけるモニュメントがあります。ここを直進すると要石です。写真は、この十字路を左手に進んでいます。このまま行くと、高天原地区方面に出ます。
【御朱印】
当宮の御朱印は、祈祷殿の受付にてもらうことができます。ただ今、書置きのみの対応です。
【参拝ルート】
2020年6月3日
《鹿嶋 神の道》を歩く
START:JR・鹿島神宮駅~300m~①年社(=鹿島神宮・末社)~1.3km~②三社詣りの古道~1.2km~③坂戸神社(=鹿島神宮・摂社)~900m~④熊野神社~1.4km~⑤三社詣りの古道~500m~⑥沼尾神社(=鹿島神宮・摂社)→TAXI →⑦潮社(=鹿島神宮・末社)~650m~⑧鹿島神宮~700m~JR・鹿島神宮駅 =GOAL
【編集後記】
◆フツノミタマ
今回は、久々の鹿島神宮です。周到な参拝プランを練り上げ、勇躍、聖地に向かいました。
巡礼には、以下を外さないよう注意しました。
①2摂社:坂戸神社&沼尾神社
→「鹿島三社巡り」を完遂する。
②末社:潮社&所管社:大国社
→韴霊剣に関連するネタ作り。
③「三社巡りの古道」
→森を歩き、古代に思いを馳せる。
以上を朝から予定通りに巡礼することができ、充実した1日にすることができました。(了)
◆参考文献
・神社の古代史(岡田精司)大阪書籍
・鹿島神宮(東 実)学生社
・房総の古社(菱沼 勇)有峰書店
・日本の神様読み解き事典 柏書房