下総國・一之宮
香取神宮
Vol.6《御祭神を考える》
今回は、香取神宮の祭神について調べていて、気になったことを書いてみます。
◇御祭神:経津主大神(フツヌシ)
別名:イワイヌシ
→斎主大神・伊波比主大神
◎気になったこと
①祭神の数
→昭和半ばまで《四座》だった
②イワイヌシについて
→別名ではなく、別神ではないのか
◆経津主大神
~香取神宮公式HPより
①【四座について】
当神宮を訪ねると、『香取神宮参拝の栞』をもらえます。
栞には・・・
御祭神 経津主大神
(フツヌシノオオカミ)
又の御名
伊波比主大神
(イワイヌシノオオカミ)
と、書かれています。
つまり、祭神=経津主大神 のみ
これが、現在の香取神宮の見解です。
しかし、祭神=四座の時代がありました。
◆「祭神=四座」とする書
A:『香取新誌』明治12年
(国会図書館デジタルコレクションより閲覧)
~「香取神宮 正殿 経津主ノ命、武甕槌ノ命、天兒屋根ノ命、姫大神ヲ祀レリ」
と、書かれていました。
→ 明治時代初頭は、四座との認識。
B:『房総の古社』昭和50年
(筆者の蔵書 P.206)
*著者は、式内社を研究する学者
~「香取神宮の祭神は、経津主命であり、それに武甕槌命、天児屋根命、比賣神の三神を配祀しているというのが従来の通説であり、現在の神宮においてもこの四神が祀られている。」
→ 昭和時代末期も、四座との認識。
なるほど、香取神宮は、今日、フツヌシだけを祀っています。
しかし、45年前(=昭和50年)まで、四座だったようです。
ただ・・・、
なぜ、三柱を消してしまったのか。その理由は、分かりませんでした。
◆この四神は・・・
→奈良『春日大社』の祭神構成と同じです。
この四神を総称して、「春日神」。
すなわち、藤原氏の氏神です。
※姫大神と比賣神は同一神と考えてよいでしょう。天児屋根命の妻神です。
◎香取神宮は、ある時期から藤原氏の氏神・4神を祀るようになり、50年ほど前までそれが続いたようです。しかし、現在は経津主命だけを奉斎する神社となっています。
②【イワイヌシとは】
香取神宮が、いつから四座となったのかは不詳です。
奈良に春日大社が創建されたのち、祭神を「春日神」に変更したものと思われます。
では、春日大社が創建される前は、祭神=経津主大神だったのでしょうか。
例えば、平安時代。朝廷から位を授ける際、常に「香取に坐す伊波比主」とあります。
→香取神宮の祭神=イワイヌシ
by『神社の古代史』岡田精司
◆公式記録
~以下に、『房総の古社』で紹介された、公式記録を3点ほど列挙します。
A『日本書紀』神代巻下(720年)
~「この神、東国の楫取(かじとり)の地にあり」という文言の前に「この時、斎主(いわいぬし)の神を斎の大人(うし)と号す」
→香取に坐す斎主の神、ということ。
B『日本後記』巻五(836年)
~下総国香取郡従三位伊波比主命に正三位を授け奉る。
→香取神宮に神階を授けた記録。
C『日本文徳天皇実録』(1108年)
~建御賀豆智命、伊波比主命二柱の大神をば正一位に(中略)崇め奉る。
→香取神宮に神階を授けた記録。
このほか、春日大社の祝詞の中にも「香取に坐すイワイヌシ」と書かれています。by『神社の古代史』
※以上から、奈良時代から平安時代半ばにおいて、朝廷では香取神宮の祭神を斎主の神または伊波比主命としていたことが明らかです。
つまり、当時、香取神宮絡みで”経津主”という神名は、どこにも出てこないのです。
◆斎主とは
~斎主とは、神を斎い祭る人。
要は、祭祀を主宰する人のこと。祭祀の対象ではありません。
すなわち、
《香取神宮の祭神となった斎主は、元々、”ある神”の祭祀を司った人》
そして・・・
《斎主は死後に神格化され、神として祀られた》
このような解釈が妥当と思われる。
by『房総の古社』
だとすれば、
香取の地において、斎主が祭祀した《ある神》とは、いかなる神だったのでしょう。
『房総の古社』の著者による結論だけを書けば・・・
斎主が斎き祀った神
→香取海を隔て対岸に鎮座されたフツノミタマの大神であったろう、と。
◆1000年前の東国
~千葉県立博物館のHPより
→要は、斎主は、鹿島神宮の祭神を祀っていた、と書いています。
しかも、鹿島神宮の祭神=フツノミタマとは、言うまでもなく、石上神宮の祭神フツノミタマの神であったことはまちがいなかろう。とも書いていました。その根拠は割愛します。
なお、鹿島神宮における、フツノミタマからタケミカヅチへの祭神変更は、藤原氏が政権掌握後、氏の意向によって。とのことでした。
(注)鹿島神宮には、御神体・神宝として「韴霊剣(フツノミタマの剣)」が伝存しています。
◆香取神宮社殿
~斎主の死後、住居跡に香取神宮の社殿が造営されます。
◆不開殿(あけずどの)
~フツノミタマを祭祀した場に、「不開殿」という社号の摂社が作られます。
これが、私たちが今の香取神宮境内で見る、摂社「鹿島新宮」へと発展します。
*ちなみに、常陸一宮・鹿島神宮では、今でも本殿を不開殿との別名で呼んでいます。
◎問題は、もう1つあります。
《斎主とは、誰なのか》
です。
こちらについては、摂社「匝瑳神社」の記事を執筆する際に、書いてみたいと思います。
ひとつだけ書くと、斎主は女性ではないか、という説です。
となると、「斎主神=経津主神」が成立しにくくなります。別神ではないか、ということです。
【写真集】
◆黄門櫻
~楼門入り口の右手
◆社務所
~玄関の上がり框
◆境内
◆境内末社
~市神社・馬場殿神社
◆常夜燈
◆奥宮
◆木母杉跡
~台風直後。石燈籠は台風で倒壊したのかも。
◆鹿苑
◆回廊
◆津宮鳥居
~旧参道から利根川の土手を望む
◆佐原駅
~歴史的町並みが有名な佐原。香取神宮の最寄り駅で、駅舎にもこだわりを感じます。入り口には暖簾がかけられています。
今回は、以上です。