前原御嶽神社 

(まえはらみたけ)

《元々は、蔵王権現を祀っていました》

◇鎮座地:千葉県船橋市前原東5-43-1

◇最寄駅:新京成線・前原駅下車450m 

もしくは、JR津田沼駅から<北習志野駅行き>バス「御嶽神社前」バス停下車10m

◇御祭神:素戔嗚尊

◇御神体:蔵王権現の木像

◇御朱印:あり

 

 

 ※全国の御嶽神社は、元来、修験道の神「蔵王権現」を祀った神社でした。明治維新の神仏分離により、御嶽神社を名乗りました。修験道は、日本の神と仏教の仏が祀られる、神仏習合の宗派です。

(注)木曽御嶽山信仰に基づく「御嶽(おんたけ)神社」もあります。こちらも蔵王権現ですが、別ものとして発展しています。

 

 

 

【表参道】

◆社頭

~一之鳥居、狛犬、常夜灯、二之鳥居、などが見渡せます。間口が狭いため、小さな神社かな、と通り過ぎてしまいそうな「正面玄関」です。しかし、入ってみたら凄かった。

 

 

◆バリア・フリー

~参道に平行して車の進入路があります。こちらを使えば車イスで拝殿前まで行けます。バリアフリーへの取り組みが素晴らしい!

 

 

◆緑の参道

~一之鳥居から拝殿前まで160m。緑の参道は、角度を変化させた直線の組み合わせで構成されていました。

 

 

◆石塔群

~二之鳥居の先に、いくつか立ち並んでいます。石碑は主に『出羽三山』のものでした。

 

 

◆道祖神

 

 

 

◆上り石段

~先ほど下った段数より、多い段数を上ります。境内は緑が多く、気持ち良く歩けます。

 

 

◆拝殿を遠望

~石段を上りました。一見、倉庫のような拝殿ですが、接近すると、良い気が感じられました。

 

 

◆獅子山

~溶岩を集めて築山しています。こちら、2匹の子が谷底の左右から這い上がっていました。

 

 

◆手水舎

~水盤脇に築山された溶岩のような岩石から、清冽な水が流れ落ちていました。

 

~水が流れる出る岩石をなんらかの像に見立てたらしく、岩肌に目玉(眼球)らしきものが貼りつけられていました。強烈な違和感でした。誰かの仕業を神社公認?or神社がやった?

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

~1673年、大和國(奈良県)吉野の大峰山から蔵王権現を奉遷したのが始まりです。

当地は、江戸時代の開拓地。開拓民は苦しい日々を送っていました。そこで、当地3つの村の守護神として迎えました。

 

 

◆拝殿軒下

~奉遷以来、蔵王権現は開拓地の精神的シンボルとして、この地に根づいてきました。村人からの崇敬を長らく受けてきたのは、蔵王権現でした。

 

 

◆拝殿内部

~今現在、祭神は素戔嗚尊になっています。しかし、神仏分離で神社となったとき、便宜的に持ってきた感が否めません。素戔嗚尊となったイキサツが明らかになっておりません。

 そもそも、蔵王権現が神道と習合した際、同一視された日本の神々がいます。大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊、金山毘古命などです。ここに、スサノオの名はありません。

 

 

 

◆本殿

~明治初頭の蔵王権現社→御嶽神社のとき、各社の多くは上記・五柱の神さまのいづれかを祭神にしています。当社は、なぜ素戔嗚尊なのでしょう。謎です。

 本殿にご神体が安置されているものと思われます。ご神体は、秘仏となっていて、人々の目に触れることはありません。

 

 

 

【御嶽神社は2系統】

ともに、明治時代までは、蔵王権現を信仰していました。

 ◆みたけ 

(例)武蔵御嶽神社

~修験道の神である蔵王権現を祀る神社が明治時代の神仏分離によって神道神社として再出発しました。社号は、御嶽神社、金峰神社、金峯神社、蔵王神社などと改称されました。

武蔵御嶽は、

 

 ◇祭神変更:蔵王権現が大己貴命、少彦名命、安閑天皇、金山毘古命などが同一視されたために、これらの神々を祭神とするようになりました。当社は、例外的に素戔嗚尊です。

 

 ◆おんたけ 

(例)木曽御嶽神社

~覚明行者、普寛行者が創始した木曽御嶽信仰に基づく神社は、上記と区別して「おんたけじんじゃ」と呼ばれます。起源は、同じく蔵王権現信仰ですが別の信仰として分化しています。

 

 

◎日本 三御嶽

~武蔵御嶽神社、木曽御嶽神社、甲府金峰山 金櫻神社。この三社を「三御嶽」と呼びます。

 

 

 

【社叢】

◆三葉松

~松葉は通常、二葉です。こちらは「三葉」、珍しいです。ちなみに、上総国一之宮・玉前神社には「五葉松」がありました。

 

 

◆桜

~ネットで満開写真を見ました。たくさんの花びらをつけたさまは、圧巻でした。

 

 

◆松林

~斜面一面に松林が広がるさまは見ごたえ十分です。

 

 

 

【境内社】

◆水神宮

御祭神:水の神、安産の神

~延宝年間(1673~1681年)に神聖なる清流が湧き出る里、当山に水神宮を安置し、云々。と書かれた高札が立っていました。《当山》、すなわち「山」と称するのは、寺院ということです。こういう細かい部分にも神仏習合の色が濃い神社だということが垣間見えます。

~水道栓からの水ではありますが、境内末社にもきちんと水盤を用意していること。こうした、配慮は素晴らしいことだと思います。

 

 

◆社殿正面

~傍らに曼殊沙華が咲いていました。この花は、境内の他の場所でも見かけました。こうした仏教的な名称の花がそこかしこに咲いているあたりにも、この神社《らしさ》が滲みます。

 

 

 

◆石祠群

 

 

 

【境内点描】

◆神楽殿

 

 

◆客殿

 

 

 

【御朱印】

~拝殿右サイド、桜古木の脇に建つ社務所で拝受しました。

 

 

 

【参拝ルート】2018年 9月24日

START=新京成線「前原駅」~450m~『前原御嶽神社』~徒歩「前原駅」=GOAL →(注)筆者は、自宅から近いので自転車で行きました。

 

 

 

【編集後記】

◆案内板「木造蔵王権現三尊立像」

~当社の《ご神体》です。境内の由緒板を撮影しました。顔の部分が傷つけられていました。美術工芸品としては、素晴らしいのでしょう。しかし、神社のご神体が仏像というのは、違和感しかありません。

 

◆緑が多く、清浄な境内

~たとえ出自が修験道の神さまであっても、境内が清掃され、水もないがしろにされてないのは素晴らしいです。また、濃い社叢と澄んだ空気には、気持ち良いひとときを過ごすことができました。とても良い神社でしたので、また訪れてみたいと思いました。(了)