牛嶋神社 (うしじま)

 

《聖なる三ツ鳥居》

 当社の核心は、聖なるオーラを放つ”三ツ鳥居”と「防疫除災」です。

◇鎮座地:東京都墨田区向島1-4-5

◇最寄駅:とうきょうスカイツリー駅~450m

(東武スカイツリー・ライン)

◇御祭神:須佐之男命天之穂日、貞辰親王命(さだときしんのう)

◇御朱印:あり

貞辰親王・・・父親=清和天皇、母親=藤原家の娘。東国巡行中に没しました。

 

 

       

【表参道】

◆大鳥居(東鳥居)

 「三つ目通り」という、交通量が多い幹線道路に面しています。

 

 

◆常夜燈と石橋

 昔は小川か悪水溝でも流れていたのでしょうか。長さ2mくらいの石橋がありました。

 

 

◆十字路

 参道を進むと、左(=南)からの参道との交差点に出ます。そこを右折した場所の景色です。

 

 

◆手水舎

 参道左手に神楽殿と手水舎が並びます。

 

 

◆水盤

 左端は水が溢れ、右端は乾いています。この水盤、どうやら傾いています。

 

 

 

 【核心①=三ツ鳥居】  

強い聖性 を放っています。

 

 手水舎付近から三輪鳥居をご覧になられてください。聖なる美しさに圧倒されるでしょう。

 

 

◆ヒノキ

 牛嶋神社の三ツ鳥居(=三輪鳥居)は、石や銅、あるいは剛板を使わず、ヒノキの素木で造られています。そういうところも、美しさの理由のひとつに挙げることができます。 

 

 

◆聖性

 技巧的な鳥居として一般的なものは両部鳥居でしょうか。厳島神社がその代表です。ただ、この鳥居は神仏習合色を感じます。両部とは、「仏教用語」の1つです。

 筆者は、ピュアに神道な三輪鳥居のほうに、強い聖性を感じます。

※写真の鳥居は2018年の台風で倒壊。すぐに再建立されました。

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 

 

◆獅子頭

 拝殿内部に「阿吽」の表情の獅子頭が1対。こちらは、頭に擬宝珠を乗せた「阿」です。

 

 

 

 

◆本殿

 

 

 

【核心②=防疫除災・病気治癒】

(その1)須佐之男厄神退治図

 1845年に当社へ奉納された巨大絵馬。葛飾北斎が制作しました。

須佐之男命に宛てた「詫び証文」に疫鬼たちが印を押す様子が描かれています。

 

 《病因が分からず治療法もない病気に対し、撲滅するのではなく手なずけようとする江戸時代人の姿勢。疫鬼たちは成敗されるのではなく、須佐之男に従順を誓うことによって存在を許容される。そこに、病原菌との「共生」という発想を見出す。》←示唆に富んでいます。(筆者)

by「須佐之男厄神退治図」に描かれた病 鈴木則子(奈良女子大)~日本医史学雑誌 第63巻第2号(2017年)

 

◎当社は、防疫除災・病気治癒の神社として名を馳せていた。

こうした特殊絵馬が奉納されるのは、その証と言えるでしょう。

 

ちなみに、この絵馬は関東大震災で焼失。

筆者は、復元図を『すみだ北斎美術館』で目にしました。

 

 

※牛頭天王

  当社は、明治時代になるまで『牛御前社』(うしのごぜん)と称し、牛頭天王を祀っていました。頭が牛だったり、牛を頭に載せていたり、牛に乗っていたりなどの牛頭天王。

こうした祭神の姿から、当社では牛が「神の使い」となりました。

 

 

 

(その2)撫で牛

 フツー、神社に奉納されるのは「馬」です。

しかし、当社は牛が神の使いであった関係で、牛の石像が奉納されました。

それが《撫で物信仰》と結びつきました。この牛は、1825年に奉納されました。

 

 祈願方法=まず、自分の身体の悪い部分を撫でる。次に、牛の同じ部分を撫でる。すると、病気平癒の霊験を授かる。と、そう信じられています。

 

「関ケ原」以降、戦乱の無い日々が200年以上続きました。天下泰平から庶民の幸福希求が膨らみました。同時に、「不安の解消」も祈られました。当時の江戸庶民の不安ごととは火事と疫病。

 そんな中、防疫除災・病気治癒に霊験あらたかな当社は庶民に人気でした。

 

 

 

【瑞垣】

格子状の瑞垣が四周に張り巡らされています。

 

◆東側瑞垣+鳥居

 瑞垣の出入り口は、南に三輪鳥居。 東と西に明神鳥居を配していました。

 

 

◆西側瑞垣+鳥居

 丹塗りせず、素木(しらき)にしているところが好きです。

 

 

◆言問橋に向かう上り坂

 坂に合わせて造られた、瓦屋根つきの瑞垣。眺めていると、数学的な気分が広がります。

 

 

 

【境内点描】

◆獅子山

 親の顔と尾には、細かい彫りが見られます。これまで、いくつもの獅子山を見ました。牛島神社のそれは、中でも1・2を争うカッコ良さです。岩は、その質感から溶岩かと思われます。

 

◆狛牛

 1対ですが、阿吽ではなく、どちらも口を閉じています。それにしても表情が不気味。

 

 

◆神楽殿

 

 

◆神輿庫

 石蔵です。正面に木製の格子を取付けています。瑞垣との調和を考えたのかもしれません。

 

 

◆社務所

 

 

◆小梅稲荷神社

 唯一の境内社です。

 

 

◆南鳥居

 こちらは、拝殿に正対する鳥居です。

 

 

◆西鳥居

 

 

 

【三つ鳥居と言えば】

 奈良県・三輪の大神神社が最も有名です。しかし、簡単には拝観できません。

しかし、山辺の道を進むと、摂社・檜原神社があり、ここの三つ鳥居はフツーに拝観できます。

※筆者記事リンク

『聖なる三つ鳥居 檜原神社]

 

 

 

【御朱印】

 墨書「奉拝」の横に「隅田公園鎮座」と押印されています。

 

 

 

【参拝ルート】2017年09月26日 

START東武スカイツリーライン・鐘ヶ淵駅~600m①『隅田稲荷神社』~徒歩~鐘ヶ淵駅→東武線→ とうきょうスカイツリー駅~600m②『牛嶋神社』 ~300m③『三囲神社』~600mとうきょうスカイツリー駅→東武亀戸線→小村井駅~550m④『吾嬬神社』~400m⑤『亀戸香取神社』~1.8km~東京メトロ半蔵門線・押上(スカイツリー前)駅GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆左:『名所江戸百景』広重

 ~「小梅堤」

◆右:『牛島神社』~社号碑

【図版について】

 当社周辺は小梅と呼ばれた地域でした。現在では、隣接する小学校と境内社に「小梅」の名を残しています。また、版画に描かれている水路は埋め立てられて道路になっています。

 

 

◆隅田公園

 関東大震災の復興事業として、国は隅田公園を造成。併せて、牛嶋神社を園内に遷座しました。よって、当社は隅田公園と一体化しています。

 

 

 

◆言問橋

 この橋も復興事業によるものです。完成後、「竹屋の渡し」は廃止されました。橋の名称は、在原業平が詠んだ歌=「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥~」にちなんでいます。

画面左手=浅草。 画面右手=向島。

 

 

今回は、2017年 9月に参拝した際の記事をベースに、視点を変えて再編集しました。(了)