まだ一度も雨が降っていないような気がしませんか?東京近辺
気がするのではなく
あれですね。
降ってないのか、多分。
今日の夕刻頃
外の空気を目一杯吸い込むと
眩しいくらいの夕焼けと
カラリとした風が吹き抜けて、
なんだかとても、愛おしい感情が湧いてきた。
ありません?そういう瞬間。
“いつかのあの日”とダブっているのか、
それとも自分の中で創り出した“理想の夕刻”なのか。
『今日の天気、エモいなぁ。こんな日が続いてくれたらなぁ。』なんて思っていると
今週末は、まさかの、雪が降るとか。。。
人生も、お天道様も
様々な“面”で構成されている様です。
さて、
『綴る』テーマは何にしようかしら。と
今日のエモい夕刻の中巡らせつつ歩いているとき
「なんか、幸せだなぁ〜。」
「ねぇ、幸せだね〜」
と、地面から3ミリくらい浮いちゃってるみたいな会話を
自分と、自分でしていて、驚いた。
脳内会話2019
あまりにも今日の夕刻がエモく、心地よくて
ゆったり歩いているだけで『多幸感』に包まれちゃったみたい。
なので、今日のテーマは
『幸せ』
皆さんにとっての『幸せ』は何ですか?
好きなものを食べているとき?
好きなひとたちと笑ってるとき?
ドラッグストアで大人買いしてるとき?
まりゑに会うとき?←
大好きなペットと戯れてるとき?
キツイ靴下を脱いだあとの、足がむくれてそこについた靴下あとを指の腹で撫でているとき?(わかりにくい。)
きっと十人十色、
『幸せ』の物差しは。違う。
でもたまに
【『幸せ』の定型】の押し付けに、
首を傾げることがある。
“はやく、幸せになってほしい。”
とても優しくて、心寄り添ってくれている言葉ではあるんだけど
うん。なんか、、、この違和感。
だって、
なんかそれって、
その台詞を伝えた相手が
まるで今、幸せじゃないみたいじゃない?
そして同時に、
あなたは今、その相手のことを
幸せじゃない人に見えてるって、ことなの?って
みんな一人一人『幸せ』のカタチは違うはずなのに
漠然とある
【『幸せ』の定型】にハマらないと、
不幸な人みたいな言われようだなぁと思うから
私はこの言葉があまり、好きではない。
とても親身だし、優しく思いやりあっての言葉だと思うけど
あなたの思う幸せが
わたしの思う幸せと
同じであるとは、限らないよ。
って
例えば、
親が離婚している=幸せじゃない
みたいな印象があるのか、
うちは、親が離婚しているけど
私は自分が不幸せな家庭に育ったと思ったことは1ミリもない。
だって、
“ものすんごい愛をもらって育ってきた”という自信があるから。
でもたまに話の延長で、
親が離婚していることを話すと
なんか「申し訳ないことを聞いた」みたいな空気感を出されることがある。
これが、とても苦手だ。
私の育ってきた環境を
「申し訳ない話」だと思ってもらいたくない。勝手に気まずくならないでよ。
だって、私は“幸せ”なんだから。
私の家族にとっての“幸せ”への選択を
勝手に不幸なレッテルを貼らんといてーな。(東京出身です。)
“言葉”は難しいよね。
でも自分の持つ本質が1番、
わかりやすく、外に出てくるものだと思う。
だから“言葉”を大切にしたひ2019
なわけです。
みんな、ひとりひとりの思う『幸せ』な出来事で溢れてて
『幸せ』のお裾分けをし合って
こんな『幸せ』もあるんだ〜って
新しい『幸せ』を発見したり出来る
そんな最高に『幸せ』な一年となりますように。
『みんなの幸せがぁ、わたしの幸せだおぉ💝』
なんて
口が裂けても言わないよ!!!!笑
お互い、
各々の『幸せ』目指して
生きて参りましょう。そうしましょう。
ほいじゃばばば!!!!