あなたのことが、もっと知りたひ。うんもっと知りたひのかな。知りたく、ないのかな。 | まりゑ official blog「綴る」Powered by Ameba

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キューブ所属。役者。
お芝居と結婚して
歌と恋をしてます。

ファンタスマゴリックのMARiEで
作詞、振付を担当してます。

限りある世を、目一杯楽しむ所存。
よろしくお願い致します。


エッセイが好きだ。

著者の些細な考えとか
たまに巡らせてることとか
周囲では開けっぴろげに出来ない
デリケートな部分も
きちんとこちらに伝えてくれているからだ。

不思議なことに、読めば読んでいくほどに

その著者のことが好きになっていて

なんかとてつもなく身近に感じるのだ。

もう既に知り合ってる人みたいな。


でも顔は、わからない。


もちろん、元々著者のことを知っているバージョンのエッセイも読むけど

全く顔を知らない著者のエッセイを読んでいて

読み進めながら、ははは、ふふっとか
あれよあれよと心が持ってかれてて

知らぬうちにニヤニヤ笑ったりしちゃってて

うわーーーめっちゃわかるわー
めっちゃ気が合うわー何この人ぉー

みたいな瞬間があってさ、


でも、

私は、この著者のペンネームしか知らない。実質は。

ふつふつと湧き上がる

『この人、何歳なんだろ。』
『え。この人既婚者かな。』
『この人、どんな顔してんだろ。』

読み進めて、その人の綴る言葉たちを

“内面的”なところを噛み砕きながら、

しっかり噛み砕いているのにも関わらず

その人の“表面的”なところを、私は何にも知らない。

そう、なーんにも知らないのだ。


なんだこの感じ。

すんごい、気になっちゃってるじゃん。


これはあれか!
“出会い系サイト”に転がってる、ドキドキと似て非なるものなのか!!?



実は先ほども、今読んでるエッセイの著者の“表面的”なところが気になってしまって

この、“片手に収まる広がる世界”で
その著者の名前を打ち、検索ボタンを押せば

いとも簡単に“出会えてしまう”ことに
いくばくか葛藤したところだ。

別に“表面的”なところに、
何かを期待しているわけではない。


私の脳内に、佇むその著者の印象と

実際の著者が、あまりにもかけ離れていた場合

今後
私の想像する“著者”は消え失せて、

検索ボタンひとつで無数に陳列した
その著者の“渾身の宣材写真です!”みたいなのが

これから私が読見進めていく
全ての“内面的”な文章の上に
まるで、買いたての風船みたいな感じで
ぷかぷか浮いて、ついて回るのか。。

と、なんだかまどろっこしさを感じたりもしていた。

でも“知りたい欲求”も抑えられない。

嗚呼。
人間というやつぁ、めんどくさい生き物だ。


結局、この知りたい衝動を抑えられず
勢いよく右手の親指を右往左往と動かして

ほんの0.8秒躊躇して、
【検索】ボタンをタップした。
うん。押したというより、
タップしたって方が合っている気がする。


そんな軽い、私の親指のタッチで

陳列された、その著者の顔たちが表示される。

ほぉ〜
ほほぉ〜ぅ
ふぅほぉ〜ん。


正直に言う。

私の想像した“著者”よりも若く、
どちらかというと想像よりも地味で、
ペンネームから滲み出る“執筆者感”はなかった。

それは、
好印象であった。
心を撫で下ろす。
そして、でもどこかで
意外性も求めていたことにも気づく。

「マジこんな人がこんな文章綴ってんのかよ!?嘘でしょ!?ええええ!!意外過ぎるよぉーーー!!」

みたいな瞬間も、どこかで求めていたのだ。


嗚呼。
人間ってやつぁ、ホントめんどくさい生き物だ。

複雑で、単純で、んでもって滑稽。

だから、人は、人を愛おしいと思ってしまうのかしらね。


でも
こうやって“内面的”から知って気になって
その相手の“表面的”なところが気になるって

普段生活してて
あまりにもないことのように思う。

『人は見た目が9割』という本があるように
人間には“顔”があるし

その“顔”が自分の広告塔の役割をしているわけだから、致し方ない。

でも、なんか
“内面的”なところをより深く、色彩豊かで、意外性を秘めてて、多面性のある面白味のある人間は魅力的だし、そうでありたひ。

そこから、付随してくる“表面的”素材が意味わかんなく輝いてたら素敵だなーと。

ホテルのベッドに寝そべりながら
顔にパックをしながら思うわけです。

結局“表面的”なところを気にしがちな、私なわけです。

おやすみなさい。今日も。