不思議に思うことがある
寝る前に読書をしていると
ウトウトしてきて
「おーきたきた、おーウトウトきたー。おー瞼重めぇーおーんーzzz...」
てことは多々あるんけだけど
寝る前にSNSをしてても
あまりウトウトしない。
むしろ瞼は開きっぱなしで、黒目の可動域は果てしなくなる。
同じ「活字を読んでいる」行為なのに
これはいったいなんでだろう。
液晶から放たれていると言われている
ブルーライトとやらが、
我、脳に刺激をしているのだろうか。
てかブルーライトってなんなんだ。まぁいいか。
それとも
液晶画面を親指で右往左往したり
下から上へ画面をさすったり(スクロールのこと)
たまにトントンと、極めて優しく画面をタップしたりしているのが
脳に刺激を与えて、眠気から遠のかせるのだろうか。
どちらにしても
【寝る前にやる、SNSはよくない】
と一般的に言われてるから、
よくないことなんだろう。
SNSという存在がこんなにも「お隣さんちの、かしのさん」←昔隣に住んでたご家族
よりも、身近な存在になったのは不思議だ。
だって液晶画面をさすったりタップしたりする時代が来るなんて、ありえない話だった。
織田信長がこの世にいたら
「鳴かぬなら、Amazonポチる、ホトトギス」
なんて合理的な表現で表されたのかもしれない。
殺さずとも、すぐに代替えができると知ったら
信長さんだってもう少し穏やかになったかもだしね。
フト時間があれば、
携帯を出してSNSをチェックする。
会って話すから、電話で話して生存確認時代を経て、
電話で話すから、SNS投稿で生存確認の時代へ。
いつだって誰かと繋がる事ができる。
でも帰れば、ひとり。
いくら液晶の中で誰かと繋がって
あーだこーだリプしあったとて、ひとり。
真意なんてわかんないし。
わかったところでどうでもいいし。
わからなくていいし、みたいに思う。
不思議な世界になったものだ。
昔よりも「活字に宿るその人の今の感情」を読み解く力も必要になったとおもう。
それを読み解いたり、察せられないと
お互いの伝えたい方向がズレて
直接会って喧嘩したわけじゃないのになんか気まずくなっちゃってて、えーなんでーなんでーどうしてーいみわからへーん。
みたいな誤作動を起こす。
私はこれが一番厄介で嫌いだ。
《ありがとう。》
よりも、
《ありがとう♪───O(≧∇≦)O────♪!!》
のほうが気持ちが伝わりやすかったりする。
でも今このどちらを打ってる時の私の顔は
(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
こんなんかもしれないわけで。憎ったらしいね。この顔
うん。
だからやっぱさぁ、
会わないとわかんないよね。
大切な時は
会って話さないと気がすまないし
相手の所作とか瞬きの瞬間とか笑い皺だって逃したくない。
だからLIVEが好きだし、舞台も好き。
寝る前にSNSをするとよくない、
と言われるのは色んな諸説あるんだろけど
きっと寝る前に周りのみんなの動向をチェックしてると夢の中にその人たちが出てきちゃって
夢なのか現実なのかわけわかんなくなって会わなくても別に元気そうだからいっかーーーみたいになっちゃうからだったりして。
夢でもし会えたら素敵な事だけど
どちらかというと、
あなたがそこにいて、わたしがここにいる
状態で、一緒に限られた時間を私は楽しみたい。そう思う。
ということで
先日行ってきたグラミー賞でみた、チャンスザラッパーさんに影響を受けて、全力でラップにチャレンジした様子でも見て
鼻で笑ってください。
28日は北参道ストロボカフェにて
ミニミュージカルなのかLIVEなのかトークショーなのかなんなのかよくわかんない『三羽荘』という催し物やりますんで
よかったらいらしてね。
液晶ごしのまりゑではなく
是非「生」まりゑに会いにいらして。待ってる。
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