浮世絵と言えば、葛飾北斎(富嶽百景等)や菱川師宣(見返り美人)、喜多川歌麿、東洲斎写楽などが有名ではないかと思います。

 

 

私も数年前に浮世絵が主となったイベントに行った事がありますが、西洋美術や日本の現代美術とは全く違う世界観があって、面白いと感じた事を覚えています。

 

葛飾北斎なんかは知らない人はいない位有名ですし、海外でも非常に人気な画家で高値で取引もされ、葛飾北斎の画集を出版したことで知られる蔦屋重三郎氏は来年の大河ドラマの主人公ですから日本でもまた再注目されるのではないでしょうか。(曲亭馬琴(別名滝沢馬琴も今年映画化されますが、この蔦屋重三郎氏のお陰で脚光を浴びた人物です)

 

ですが、この浮世絵が一時期紙くず同然の扱いを受け、全く評価をされなかった時代になんとかこの浮世絵の素晴らしさを伝えようと活動したのが今日のブログの題目である林忠正氏なのです。

 

林忠正氏の先天運は本命星(宿命)が三碧木星、月命星(運命)が四緑木星、「雷風恒」(安定した結婚・生活)という星で、運のランクは81位中15位で、勿論普通運です。

 

生まれた年はゴッホと同じ年です、因みにゴッホも浮世絵の影響を深く受け、「タンギー爺さん」という作品の中に浮世絵を描いていたのも有名な話ではあります。

 

19世紀後半にジャポニズム、所謂日本の趣味が流行し、林忠正氏は浮世絵を海外で広めたとされる大重要人物であるのは間違いなく、ネットも何もなかった時代に、自分の持っている人脈や情報を駆使し、日本美術の素晴らしさを伝えた人です。

 

 

クロードモネやドガ、先ほど出てきたゴッホもその浮世絵の世界観に魅了された芸術家達で、それを踏襲した作品があるのは周知の事実。

 

 

それもこの林忠正氏がいなければなかった世界観だと思うと彼の先見性のすごさには驚かされます。

 

海外に流出した浮世絵の殆どには「林忠正」の小印が押され、その小印があるものの品質は保証するものであったという、それほど林忠正氏の功績も大きいし、信用度も深かった事が窺える。

 

でもそんな中でも本当に優れた作品はどんなにお金を積まれても手放さず、自分のコレクションとしていたのだが、彼の死後、高値がついて日本に戻ってきた時に彼を国賊として罵った時期もあったとかで、でも彼がいなければ、その当時の浮世絵の作品達は間違いなく、ゴミ同然の扱いをされた筈で・・・・

 

彼の功績は他にもあって、印象派と呼ばれる人達の画家達の救済をしていた。

 

例えばクロードモネや、エドガードガなどは当時のパリでは「狂人の絵」と評価されていたそうで、評価はかなり低かったが、彼らの画風を理解し、経済的にも援助していたと言われている。

 

そんな林忠正氏は富山県高岡市の生まれ。

 

私も同郷という事で非常に親近感を持ちました。まして先天運も同じだったので。

 

外科医の次男として生まれたのですが、祖父が蘭学者であったことから国外に強い興味を抱いていた青年であった。

 

前身の東京大学で授業を受け、語学を習得し,25歳の時にはパリで行われた万国博覧会にて通訳として活躍をし、それがきっかけで美術商としての道を開いていった林忠正氏。

 

日本の江戸時代の文化、美術が海外で高く評価されている陰にこういう人物がいたことは驚きと共に感動しました。

 

海外の画家も沢山素晴らしい人はいますが、今一度日本の芸術家達の素晴らしさを再認識するのも大事な事。

 

スマホも、飛行機も、今のような流通経路もなかった時代に遠い遠いパリで日本の良いところを広めるべく奔走した林忠正氏の功績に改めて感謝したいなと思いますね。

 

因みに葛飾北斎の先天運なんですが、誕生日はいくつか候補はあるにしても、1760年10月と言われている説が非常に多く、これでみると、本命星、月命星共に六白金星、「乾為天」(盈つれば欠くる兆)運のランクは81位中1位です。

 

前回のブログ「何かを担いでいる人」

 

まだ読んでいない人はご一読くださいね↑

 

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