東京上野の東京都美術館で開催中の、『ボッティチェリ展』
に行ったついでに、上野の街を散歩してみました この日
は、珍しくJR上野駅側の駐車場がクローズしてたために…
日頃行ったことがない 公園の北側を歩いてみたんですよ。
新たな発見がいろいろありましたよ~
[東京芸術大学]
前身は官立の旧制専門学校「東京美術学校」と「東京音楽
学校」であり、日本で最も歴史ある芸術分野の最高学府
1949年5月、国立学校設置法の公布施行に伴い、「東京美
術学校」と「東京音楽学校」が統合され、「東京藝術大学」と
して設立。2004年4月1日に、これまで国の機関の一部であ
った大学は法人格を取得し「国立大学法人東京芸術大学」
となり、 一般的には「芸大」の愛称で親しまれ、リスペクトさ
れています。
[東京藝術大学大学美術館陳列館]
大学美術館の本館ができるまでは、 芸術資料館のメイン・
ギャラリーとして 長く親しまれてきた展示室です。外壁に貼
り付けられた赤いスクラッチタイルは 芸大の中でも少なくな
ってしまいました。1階は窓のある空間、2階はトップライトを
生かした、高い天井を持つ空間で、それぞれの展示室の個
性が際立っています。後年中2階と3階が増築されましたが
現在では当初の状態に復元されています。
[旧東京音楽学校奏楽堂]
旧東京音楽学校奏楽堂は、日本の近代化への黎明期とも
言える時代、明治23年(1890年)に日本初のオーディトリウム
(演奏会場)として建てられました。 永らくの年月を経て破損
も大きく、解体取り壊しの意見や 愛知県犬山市にある明治
村への移転話もある中、日本の近代音楽発祥の地としての
上野に残す運動によって、上野公園内に移設されました
その外観や室内からは、その永き歴史がしのばれます。
[東京国立博物館黒門]
旧因州池田屋敷表門。旧丸の内大名小路(現在の丸の内
3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。明
治時代、当時の東宮御所正門として移されたのち、高松宮
邸に引き継がれ、さらに1954年上野に移築されました。 創
建の時期は、形式・手法から見て江戸末期と考えられます。
屋根は、入母屋造左右に向唐破風(からはふ)屋根の番所
を備え、大名屋敷表門としては東京大学の赤門と並び称さ
れるものです。
[市田邸]
江戸時代、上野桜木には寛永寺の子院が建ち並んでいま
したが、明治の中頃から土地の分譲を始め、芸術家や文化
人が住まいを構える屋敷町となっていきました。 市田邸は、
明治40年、当時日本橋で布問屋を営んでいた初代市田善
兵衛によって建てられました。戦後は市田家の長女である
春子さんのもと、東京芸術大学音楽部声楽科を中心とした
学生が下宿し、 30名程がこの家から巣立っていきました。
[カヤバ珈琲店]
一・二階とも、二方に出桁造の軒をまわす姿が特徴的な町
家型のこの建物は、 東から谷中に入る際のランドマークと
なっており、ミルクホール、かき氷・あんみつ店、などを経て
昭和13年に榧場伊之助が「カヤバ珈琲店」を創設しました。
平成18年に一旦閉店となりましたが、この喫茶店に愛着を
持つ地域内外の人の支援を得て、平成20年にNPO法人の
手によって、復活再生しました。
[上島珈琲店(黒田記念館別館)]
こちらは、2013年にオープンしたばかりの新しい喫茶店「上
島珈琲店(黒田記念館別館)」。東京国立博物館(トーハク)
から藝大美術館へ向かう途中(かつて、京成本線の博物館
動物園駅があった場所のすぐ近くです)にオープン・カフェ。
出来たばかりなのに、周りの雰囲気にとてもマッチしていて、
とても心地よさそうなスペースです。 これは、 何時間でも居
られそうですねぇ~♪