前回の投稿↑に続きます。
マルタ人は(西洋圏は?)とにかく喋るんですね。
なので、とにかく、
仕事でどんなことでもわからないことがあったら聞くし、
引き継ぎノートとかない。
自分の意見を抑えることは基本的にない。
それで人とバトって引きずってることはないことに
気付きました。
(100パーセントではないと思うけど)
一回一回完了させている。
それに対して日本で暮らしてきた自分にとったら
「0から100までわざわざ言葉にしなきゃいけないわけ?!」
「上下関係もあるよねきっと」
「立場をわきまえなきゃ」
「空気読め」
というスタンスなんです。
昨日、事件は起こりました。
仲良くなった同僚から
「あんたに初めて会ったとき、あー(共感)とか、えぇー(驚き)とかの反応だけで、言語でのコメントがないから何か考えてるのかわからん」と言われました。爆
この人はマルタ人で、フィリピン人の奥さんがいるので、
アジア人独特の曖昧な反応に疑問なんだそうです。
それで私の目が覚めたんです!
図星だから!w
ふいに、
「じゃー言わせてもらいますけど、それって西洋的な考えなわけですよ。
全部が全部言語化する必要があるのかって話で、アジア人にとったら
慣れないことだし疲れるわけ!」
と反論しました。ケンカじゃなくて。
その時の感覚が自分の殻を破った感覚があって
オンとオフで言ったら「オン」のスイッチが入ったんですね。
酔っ払って無礼講!の感覚に近い。
心のモヤが晴れた感じ。
自然と英語がスラスラ出ました。
立場や人種のメンタルブロックも超えた瞬間。
きっと日本だと場面によって空気読んで
滅私奉公で個人的欲望を「オフ」にすることで
集団力が上がって生産性があがるんだと思います。
それに対して、西欧では常に「オン」で
自分の考えていることを言語化するのが習慣的にあり、
小さい頃から「言語の引き出し」がストックされてきているんだと思います。
で、私は日本に生まれ育って30年いて、
アスペなのかHSPなのか家庭の機能不全なのか知らんけど、
言語形成期の0-12歳?にはストックが貯まらなかったので、
今ここでストックしている!
って感じでしょうか。
自分の考えを言語化していって
人と健全な境界線を張るのがいいんでしょうよ!
言葉で結界張るみたいな!
モヤるのに慣れ過ぎてしまいました。
すんごくあるんです、何層ものフィルターが!
燃やし尽くしたい気分です🔥