病気の事ばかりではあまりに情けないので、書くつもりではなかったのですが、あまりに暇なもので

脊柱菅狭窄症とやらで、手術し入院中です。
芸能人でも、みのもんたさんとか水前寺清子さんが手術した病気。
ようするに老化現象です。
昨年暮れ頃から、10分歩くとお尻からふくらはぎまで電流が走ったように痺れと痛み、休むと回復してまた歩く、それが5分しか歩けなくなり生活に支障がでてやっと整形外科へ。
まあ、手術までろいろあったのですが、書いてもしゃーないので、入院日記を少し暇にまかせて書きますね。

ふつー、入院すると食事って、病室でって思っていたんですが、今は違うんですかね?
ここでは、手術後の患者以外はみんな揃って食堂で食べるんですよ。
それもテーブルに名前が書いてあって決められています。
骨折した若い兄ちゃんが私のような婆さんと向かい合って三食食べるなんざぁ、お気の毒ですが(笑)
カロリーが違うから中身も違う。
同じ魚でも兄ちゃんのは唐揚げになってる。
「あらいいわねぇ」
「さっき差し入れ食ったからあげますよ」
ってなことに
息子より若い兄ちゃんと親しく会話するのも、婆さんたちには嬉しいもんなのです。

部屋の配置も男女交互なんですよ。
先日、ボケたじい様が女性の部屋に夜中間違って入って来て、大騒ぎになりましたが、こんな病院ってありなんですかねぇ(笑)

4年前のあの日、津波に襲われ孤立した避難所で一夜を明かしたのは家族で私だけでした。


夫と子供たちがどんな思いで私の身を案じていたか、家族の視点で書いて見ます。



人は、「あれだけの地震が来たのにどうしてすぐに逃げなかたの」と言う。

が、古くから人が住む漁師町、誰も慌てていない様子を見て、私は安心していた、

越してきて2年足らずの新参者が慌てても仕方ない、ご近所さんの様子を見てからにしよう、

この時、余震が続いていたので取りあえず外に出た。

車のカーラジオを聞いていた次男から電話が入った。

「お母さん、3メートル以上の津波がくるらしいよ」


それからまたすぐに 「お母さん、6メートルだってよ」

「三陸には10メートル越えた津波がもう来てるらしいよ」

次から次に情報を伝えたてくれたのに、その時の私は何メートルと言われても


数字として頭に入れただけで、10メートルの津波がイメージ出来なかった。


(思考停止の癖がながいことついていたのか)

今になって思えば、この時携帯電話だけは持って外に出たのだから、ワンセグでニュースを見れば良かったんだ。

県外に住む長男からも電話が入った。。

「今から避難するけど貴重品だけ持って出た方がいいかなぁ」と聞いた私に


「そうだね」と言ってしまったことを、彼は私が生還するまで、ずっと悔やんだ。

地震発生から40分、やっとお向かいさんが車で避難するようなので義母をのせて貰えるようお願いした。

そして私は自転車で指定避難所に向かう。津波到来まで20分。

公民館を経て中学校に到着してもまだ津波が来ると言う緊迫感がない私。


階段に向かうと大勢の人で混雑していた。やっとこれは大変なことが起こるのかも、と。


階段を上り数分後、2階に到達した時に、下の階から大声が


「早く上に上がれ~。急いで急いで、もうそこまで来てる、船が見えてる」


えっ、船が見えてる、って、何、どぉゆうこと?


この言葉を私は忘れることが出来ない、衝撃的な言葉だった。


半信半疑で外を見たら…


家や瓦礫や車や船が…


人間て、想像を超えた出来事に遭遇すると感情がついていけない、正常な反応をしないのだ。


私の知人はこの時、大人皆が窓からこの光景を見て絶句していた時、小学校低学年の孫を


「見てごらん」と言って抱き上げたことを、今でも悔やんでいる。


そして、この光景を絶句して見ていたひとりにご近所のご婦人が…


声をかけたら、ただただ「お父さんが、お父さんが」って泣き崩れるだけで


一緒に避難して来たのに、孫と一緒に忘れ物を取りに帰ったと…



こうして長い長い、3月11日の夜を街の人々と共に明かした。


私は、自分以外の家族は安全な場所に居ることが分かっていたので、この日の寒さが辛かっただけで


心配や不安はなかった。(ローンの残る家は間違いなく流されたが)


けど、家族の安否が分からず不安の中、あの夜を過ごした方々が沢山いた。


黙って長い夜を過ごし、朝が来るのをどんな気持ちで待っていたかと、


後から分かった、明るくなるのも待ちきれず、我が子を探しに飛び出して行った親がいたことを、


水も引かない瓦礫だらけの街に、



私の家族は、中学校に避難したと言う言葉を最後に連絡がつかなくなった私を案じていた。


長男は「貴重品は持っていけ」と言った為に、私が引き返したのではないかと、悔やんだ。


娘は看護師だったので、母を案じていても多くの患者さんに対応しなければならない、何もできない。


夫と次男が動いた。行けるところまで行ってみた。


が、浜街道途中で景色が急変した。目の前に見た事もない光景が、瓦礫が行く手を遮り、先に進めない。


夫はこの時


「無事だと聞いていても、さすがにこの光景の先に人が生きていられるものなのか」と思った。


自衛隊だけでなく民間の機材ををフル稼働させて夜を徹して道路を確保していた様子をこの夜、夫は見た。

これ以上、今は行けないなら、次に出来る事を考えた。


夫は、私の身体は薬が切れると動けなくなるのを知っていたので、病院に走った。


時間外だが警備員さんが動いてくれた、お医者さん、薬剤師さん、皆さん病気の事を知っていて、


お蔭で私は震災翌日から薬を手にすることが出来た。



3月12日、夕方、日が暮れる頃になってやっと私は家族の待つ場所に帰れた。


消防車に乗って帰って来た。


避難場所には夫と次男が私の姿を見つけると駆け寄って来た。


あんな嬉しそうな夫と息子の顔を見たの初めてかなぁ(笑)


息子から長男と嫁さんに電話を入れると、歓声が聞こえて来た。


夫が「お前なぁ、どんなに心配したか、こっちの気持ちも知らないで、のんびりしたもんだなぁ」って


スイマセン、


無事だと分かっていても顔見るまではこんなに心配なんですよね。



皆様、ご無沙汰しておりました。暫くブログ放置しておりました。


酔っぱらい婆さん、いよいよくたばったか、なんて思ったアナタ、


そうなんです、日増しに身体は思うようにならなくなったのに、


食い意地だけはあって中々くたばらないのです。


美味しいお酒に美味しい摘み、素の自分で居られる友達との楽しい宴、


そんな時間を楽しみにして、日々を過ごしております。


人と争うのが苦手で、怒るのに遅く、鈍感な性格で、空気読めない

JW1世独特のお花畑でございます。


それでも、この歳まで人が生きて来るには、


意識せずともどれだけの方々を傷付けてきたやら…


私のような天然な人間は特に多いと思っています。ごめんなさい。


それを考えると、

私のような人間は人に傷付けられたり、失礼なことされたとしても、それだけで、


人を許す充分な理由があると自覚しています。


そんな事をつらつら思っておとなしく暮らしておりましたが、


またあの日がやって来ました。


4年前のあの日です。


同じ街で暮らす多くの人々を一瞬にして飲み込んで行った、あの日。


街中が見渡す限り黒い海になり、小・中学校の校舎に駆け上がった者だけが救われた。


あの日、校舎で一夜を過ごし、助かった者にはノートが廻された。


私も、名前、年齢、住所を書かされた。


その時、書いた名簿が、暫くの間、市役所の掲示板に大きく掲げられていた。


「避難された方々」として。


その隣に、同じ数ほどのお名前が掲げられていた。


「お亡くなりになった方々」として。


並んで書かれていても、その意味するところは天と地の差がある。


大勢の人々が血眼になって身内の名前を探していた、歓声と慟哭が交差した。


何日も、市役所の玄関先は、身内の安否を確認しに来た人々でごった返していた。


私も義母を探しに何度か市役所に足を運び、4日目にいよいよ遺体安置所に向かった。


暗く、底冷えのする安置所には100体近くの棺が並べられていた。


それでも次々と、自衛隊のトラックから新たな棺が運び込まれる。


日常ではあり得ない、あの時の光景は、忘れようがありません。


「人生の意味について」「神の存在について」なんて動機で聖書を学んだけれど


あの震災で、そんなもの、何の意味もなくなった、少なくとも私には


神様がおられようがおられまいが、「神様は何もしてくれなかった」


そんな神様探すよりも、明日死ぬかもしれない、今の大切な日々を大切に生きることにしよう


お酒の上の失敗は気を付けよ、っと (笑)


私の本当の意味での脱JWです。









ずっとずっと昔の出来事。

私は子供の頃は、自分の家が、家族が、育った環境がイヤで仕方なかった。

何でこんな家に生まれて来たんだろう、って思っていた。
母親は知的障害だし、父親は知らないし、祖母が駄菓子屋を細々と営んで養ってくれていた。
だから貧乏で、何がイヤだったかと言ったら、家の中がいつも段ボールで溢れていて、足の踏み場もないし、店番に祖母が据わる場所が玄関も兼ねていて、
とても家庭とは言えない環境だ(とその当時は思っていた)
要するに、子供なりに恥じていたのだ。

2世さんが、友達にJW家庭だと知られたくない気持ちと似ているかも知れない。

そんな私に、ある時、学校で友達が無邪気に聞いてきた。
「55ちゃんの家って何屋さん?」
突然の質問に戸惑っていると、仲良しの友達がふつ~に答えた。
「お菓子屋さんだよ」

それを聞いてたA子ちゃん、横からこう言った

、菓子屋さん」

… … …

そゆこと、横から言うか、ふつう、自分に関係ないのに

こいつ性格悪いワ って思った私、
それからもA子とは普通に接してきたけど、私の心の中では「イヤな奴」として永遠にインプットされたのでした。(私も性格悪いワ)

それから何年も経って、20歳になった頃、久し振りにやってきたのです。A子さん。
胸にニコニコバッチ付けて、ニコニコ顔で、猫なで声で、
「選挙、ぜひお願いしたいんだけど」って
私その時なんて答えたか忘れてしまったけど、心で思った事だけは覚えている。
「性格悪いアンタの応援する人なんか絶対いれましぇ~んから」

あぁイヤだわねぇ、選挙と言うと必ずA子を思い出してしまう私です。

でもね、選挙行くのを非とするJWも、組織ぐるみで投票する○○学会も、同じだと思うのです。自分の意志より組織の指示と言う点で。

私、気が合ってお友達になる人に、○○学会の人、数人いるんです。
皆、素敵な女性ですよ。
でも本人から告白された事はありません。私がJWと言わなかったように。
同じように宗教を絡めない友人でいたかったんだと思うのです。

あ、高校時代からの仲良し旧友は宗教していた人は一人もいません。
そんなおバカは、はい、私だけです。


福島県の高湯温泉と言うところの玉子湯旅館です。

ここは露天風呂が沢山あるのが人気です。

茅葺き屋根のこの露天風呂は140年の歴史もの



中はこんな感じ
実際に入れます。男女も別になってます。



他にも





奥には足湯



源泉かけ流しの温泉で、もう建物全体、部屋の中まで硫黄の匂いが充満しています。

「誰かがオナラして、知らんぷりしても大丈夫だね」とは婆さんたちの会話。

食事も写真撮りたかったんだけど、お酒で乾杯で、すぐ箸をつけてしまい必ず撮り忘れるのです、
山の幸がメインの美味しい夕食でした。

あぁ、いい湯と美味しいお酒に、気を遣わない旧友、幸せ~   (夫がオマケ)



ちなみに東京から新幹線を使ってのパックで来た友人の場合

往復新幹線代、一泊2食付、ビール1本、コーヒー券、駅弁1食、すべてついて
ひとり24300円でした。