私の病気はパーキンソン病と言う神経難病。


発症して13年目になる。


昨年、初めて「パーキンソン病友の会」という全国組織に加入した。


顔合わせの時、会員としては新人なのに、病歴としてはかなり先輩というおかしな存在だった。


実際のところ、病歴10年を過ぎると介助者なしで行動出来なくなるので、会の世話役をしていた人でさえ、世代交代をしているのが現実だ。


なんで私はこんなになるまで入会しなかったのか?


聞かれたけれど、同病者には答えらえなかった。


私には健常者の友達が沢山いる、みんな分かってくれている、


私なりにリハビリや運動や、お酒や旅行や、楽しいこと自分で出来るし、


って思っていた。


そして、同病者が集まって、会うたびに病気の事ばかり話題にして、そんなのが性に合わない、


って


その私がなぜ入会したのか


それはね


いよいよ、自分の身体が思うようにならなくなり、


進行するのは勿論、想定内なんだけど、どうやって仲良くしていくか


正直言うと、今までは持ち前の楽天的な性格から


「先の事は考えないようにしていた」


でも、でもね、ちょっとだけ、同じ病気の先輩方に、


「心のありよう」を伝授してもらえたら


って、思って


ところが、ところが、入会したら、自分が病歴としては先輩だったと言うオチが(笑)



ここから私とダンナの「P病友の会」の楽しい関わりが始まるのでした。


シリーズでいっちゃおうかな(笑)

お酒の飲み方は人それぞれです。


我が家の場合も…


私は常にマイペース


だからいつまでもダラダラと飲める(ま、これもよくないが)


マイペースを崩すと身体が教えてくれる、「もう止めときな」って。


だからいたって健康的な飲み方(自分で言っちゃう)


ところがダンナ、飲むペースが早い、


ビールなんか水のごとく飲む(ま、飲み放題なら間違いなく元とれるが)


そして飲みだすとセーブがきかない。


アンタ、依存症とちゃう?


って事で、県内の「アルコール依存症」を支援している病院に行ってみる。


先日、地元新聞の紙面に、そこの主治医の言葉が載っていた。


(記事から抜粋)

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「依存症と幼少期の家庭環境に関係はあるのか?」


「生きているだけでいいと無条件に愛してもらえなかった人がなる傾向がある。

人は、愛された記憶を基に自立する。

母親ら主たる養育者のそばにいたい、だけど自立したいと。

愛の記憶が不十分な人は、寂しさになかなか耐えられない。


「子は母親との二者関係の中で縦の人間関係を築いていく。

縦関係がしっかりしないと、社会で必要な横関係がうまく作れない。

常に上か下かで人を判断するようになり大変疲れ、酒などに依存したくなる」


「小さな子は、母やとの関係で自分の価値が決まる。

親が悲しい顔をしていたら、僕のせいだと罪悪感を持つ。

これでは二者関係は育たない。親が悪いという単純な話ではなく、

親自身が対人関係などで問題を抱えている場合がある」


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これ読んで ダンナ


「これ おれだぁ」



今年最後の記事がこんなアホなものになってしまいました。


JW関連のネタもなくなり、日々の思いを時折綴るだけの「ばあさん日記」になりました。


それでも覗いて下さる方々に感謝して


皆さま、今年一年ありがとうございました。よいお年を~


毎度ばかばかしい話題です。かる~く流して下さいませ。
いつもの仲間と温泉旅行して来ました。
女性5人に、私の旦那が加わり、ババア5人、ジジイ1人。

なんかねぇ、夫が必ず私に同行するようになったんですワ。
介助者と言う名目で、
私自身は薬さえ効いていれば、まだまだ大丈夫なんだけどなぁ

夫は私に関わる全ての人が大好きなんですよ。
今回の友人もそうだし、アメブロで知り合った方々もそうだし、

けど、今回は久し振りの同級生女子会だから旦那はハッキリ言って邪魔。
ところが彼女らは、私が夫と出会った時からの付き合いだから、
「俺の友人でもある」と言い張り、こう言う旅行も必ず同室でございます。
信じられないと言うお言葉もアリですが、なにせ60過ぎたジジババの40年来の付き合い、いつの間にかアッシー君として違和感なく受け入れられている、幸せな我が夫でございます。。
それでも私にとっては今回は邪魔な男。
早々飲ませて眠らせました。

んで、今回の婆さん女子会の話題は「自分の死」について。

若い頃、思ったことありませんか?
自分も歳を重ねて平均寿命に近づいて来たら、近づく「死」をおびえながら暮らすんだろうか?って
今、若くてまだまだ先がある方々も、私のような歳になったら、実際どう思っているのか知りたくないですか?

はい、お答えします。
おんとし65歳の女子会からお答えします。
婆さん5人全員、死を恐れておりません。
「誰でも渡る道」
「いつまでも長生きしたらこの世界が溢れる、新しい命と消えてく命のバランス」
「好きに思い通りに生きてきた」
「子供も自立して心配事がない」
そしてね、自分を含めみんなが同じ事を言った極めつけの言葉がこれでした。
「かつて自分を愛してくれた親が先に逝って待っている」
だから恐くない。

この言葉をひとりが言ったら、それぞれがかけがえのない親を思い出し、自分にとってどんなに大切な存在だったか、それぞれが目を潤ませて語り出した。

昨年100歳の母親を亡くしたK子は、65歳の自分がどんなに母親を慕っていたか、ホロホロ泣きながら語った。
M子は、自由奔放に生きた親が今では愛しくてたまらないと言う。

私が、発達障害の母に代わり育ててくれた肝ったま婆ちゃんの事を語ると
「55ちゃんはお婆ちゃんの事を話す時はいつもウルウルだね」って笑われる。

戦後の時代、みんな貧乏だった、けど個性あふれる逞しい親に、愛情たっぷりに育てられた仲間たち。
みんな涙が出るほど親が大好きなんだと、つくづく感じました。
そしてその事がどんなに幸せな事か理解できる歳になりました。

いつまでも、お酒が止まることなく
「自販機で買いに行け~」
「今日は底なしだね~」
と、夜が更けるまで泣き笑いしながら酒の空缶を積み上げる女子会でした。

自分もいつか子供たちに、こんなふうに酒の肴にされたいなぁ。