8月 19日(月) 仏滅
今日は何の日
俳句の日
正岡子規研究家の坪内稔典らが提唱し、1991年に制定。
「は(8)い(1)く(9)」の語呂合せ。
夏休み中の子供達に俳句に親しんでもらう日。
誕生日
前川 清(まえかわ きよし、本名同じ、1948年8月19日 - )76歳は、日本の歌手・タレント・俳優。星座は獅子座。
血液型はO型。長崎県旧北松浦郡鹿町町生まれ佐世保市育ち。長男は歌手で俳優の紘毅で、次女は歌手の前川侑那(Dire Wolf) 。姪の義弟に元俳優の加勢大周がいる。私立長崎南山高等学校中退 。
1968年、野球部を退部して野球を辞めるのと同時に、本人曰く「野球推薦での入学のような形だったので」高校を2年で中退後[5][9]、叔父の経営する名古屋・六番町の鉄工所に就職。しかし鉄工所は半年で辞めて長崎に戻り、フランスベッドに就職するもそこも半年で退職。休日は近所のパチンコ店や喫茶店で時間をつぶす中、歌手への夢は諦められなかったという。
その後ダスキンのセールスマンなどを経て、長崎市内のキャバレーで歌っていたところを小林正樹に見出され、
「内山田洋とクール・ファイブ」に参加。最初は楽器運びなどのバンドボーイとして付いていたが、東京パンチョスのリーダーで音楽プロデューサーのチャーリー石黒に見出され、リード・ヴォーカリストとして起用される。
1969年2月5日、『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。同年の紅白歌合戦(第20回NHK紅白歌合戦)に初出場。
「噂の女」(1970年)、「そして、神戸」(1972年)、「中の島ブルース」(1975年)、「東京砂漠」(1976年)など、
全国レベルのヒット・ナンバーを数多く世に残した。紅白出場回数はクールファイブ時代とソロでの出場合わせて29回にも及び、歴代の白組で6番目に多い。
クール・ファイブの一員だった時代の初期は、常に澄まし顔で斜に構え、ほとんど喋らないと言う冷たい二枚目キャラクターだった。だが1970年代半ばに萩本欽一がフジテレビ「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のレギュラーに起用。二枚目キャラの裏側に隠れていた大ボケな個性を引き出し、お笑いの才能も広く認められるようになった。なお前川は後に、初期のクールキャラも
「欽ドン!」時代の朴訥な大ボケキャラも「演技だった」と告白している。
桑田佳祐との関係
サザンオールスターズの桑田佳祐は中学時代からクール・ファイブのファンであり、前川を意識した髪型で学校に通った時期もあったという。また、掃除の時間で机をすべて後ろに下げた際に、教壇をステージに見立て黒板消しをマイク代わりにして前川のものまねを始めたエピソードを同級生の宮治淳一が証言している。
桑田はプロとして活躍して以降も前川のものまねを度々披露したこともあり、『昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦』(2008年)、『桑田佳祐 ライブ in 神戸&横浜 2011〜年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会〜』(2011年)、『昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦』(2013年)では、クール・ファイブのメンバーに扮した映像がバックモニターに映され、全部で1人6役を演じる一面も見せている。また、サザンオールスターズの2016年のライブ・ビデオ『おいしい葡萄の旅ライブ –at DOME & 日本武道館-』では「エロティカ・セブン」を前川口調で歌うシーンが存在する。
前川も桑田の才能・楽曲を認め、これまでに「真夏の果実」「TSUNAMI」「SEA SIDE WOMAN BLUES」のカバーに挑戦しており、インタビューでは「サザンのを全部カバーしたいですね」「「勝手にシンドバッド」とか、僕とはかけ離れている曲も歌ってみたいです」といったことも述べている。
桑田のレギュラーラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(TOKYO FM)2015年11月7日・14日放送分では「前川清特集」が行われた。スタッフによると前川はこれに対して「桑田さんに感謝!感謝!感謝!」と言っていたという。
葬儀 Q&A
碑文谷創 事務所 はざまの日々 より