4月 29日(月) 大安
●今日は何の日
昭和の日(4月29日 国民の祝日)
「国民の祝日」の一つ。「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、
国の将来に思いをいたす」ことを趣旨としている。
「(春の)大型連休」とも呼ばれる「ゴールデンウィーク」(Golden Week:GW)を構成する
祝日の一つでもある。
1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇崩御の後、それまでの「天皇誕生日」であった
4月29日を昭和天皇が生物学者であり自然を愛したことから「自然にしたしむとともに
その恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」日として「みどりの日」となった。
実際に制定された法律には記載がないが、「昭和天皇を偲ぶ日」という趣旨であった。
その後、多くの国民の要望を受けて「昭和の日」に改称することとなり、法律案が超党派の
国会議員により提出され、2度の廃案の後に2005年(平成17年)に成立、2007年(平成19年)の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の一部改正により4月29日は「昭和の日」に改称
され、「みどりの日」は5月4日となった。
戦前の旧祝祭日では、天皇の誕生日を祝った「天長節」(4月29日)という祝日で、
「四大節」の一つであった。残り三つは、「四方拝」(1月1日)、「紀元節」(2月11日)、
「明治節」(11月3日)。明治時代の「天長節」は11月3日、大正時代は10月31日であった。
「昭和の日」に由来する記念日には、4月29日の「豊後高田昭和の町の日」「ナポリタンの日」がある。また、12月25日は「『昭和』改元の日」となっている。
●誕生日
田中 裕子(たなか ゆうこ、1955年〈昭和30年〉4月29日 - )68歳は、日本の女優。
本名:澤田 裕子(さわだ ひろこ)。
大阪府池田市出身。明治大学文学部演劇学科卒業。所属事務所はアニマ出版。
中学1年の2学期から北海道札幌市育ち。札幌市立向陵中学校、北海道札幌西高等学校
卒業、藤女子短期大学中退、明治大学文学部演劇学科卒業。学位は文学士(明治大学)。
卒業論文は「女優論」。同大在学中の1978年に文学座に入り、女優活動をスタート。
1979年(昭和54年)のNHKテレビ小説『マー姉ちゃん』で主役の妹役としてデビュー。
1981年(昭和56年)の映画『ええじゃないか』『北斎漫画』で日本アカデミー賞
最優秀助演女優賞、新人俳優賞を受賞。1983年(昭和58年)の、連続テレビ小説『おしん』で主役を演じ、アジアやイスラム圏を中心として世界的な有名女優になる。日本での『おしん』の平均視聴率は52.6%、最高視聴率は1983年11月12日放送(第186回「戦争編・東京の加代」)の62.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)であり、テレビドラマ史上最高視聴率である。
抑制のきいたセリフに情念を込める演技が特徴。
2005年(平成17年)には映画『いつか読書する日』『火火』でキネマ旬報ベスト・テン
主演女優賞受賞。2010年(平成22年)のドラマ『Mother』で第65回ザテレビジョンドラマ
アカデミー賞助演女優賞受賞。同年11月、紫綬褒章受章。2013年(平成25年)には映画
『共喰い』『はじまりのみち』でキネマ旬報ベスト・テン助演女優賞受賞。
日本テレビ系水曜ドラマ『anone』において2018年度コンフィデンスアワード・ドラマ年間大賞
助演女優賞を受賞。
●葬儀 碑文谷創 事務所 はざまの日々より
葬儀Q&A
Q114 僧侶を呼ばない葬式なんてあっていいのか?
Q.
地方の僧侶です。檀家のAさんが亡くなったと聞いたので、お宅に電話したら、奥さんが「息子たちが『坊さんなんて呼んだら金をとられるだけだから』と反対しています」と申し訳なさそうに言っていました。寺を呼ばない葬式なんてできるのですか。(58歳男性)
A
ついに地方にまできたか、という感じですね。20年前にシンポジウムの席上で大阪のお坊さんに叱られたことを思い出しました。
「あんたたち東京発無宗教知識人が言ったせいで、東京とは事情が違う関西人はえらい苦労をしている」と言うのです。しかし数年後にお会いした時には、「いやあ、大阪にもきましたわ」と嘆息していました。
先日新聞記者と飲んでいたら、こう言われました。「今の時代、もう葬式に僧侶は不要では
ないですか。葬儀社がいるし、納骨にしても墓石屋が熱心にやってくれるし」
私は彼に、「ビジネスとしてしている人間に宗教者の代わりはできない。できる、と事業者が
言っているのだったら思い上がりだ。確かに遺族のほうに、宗教者に送ってもらわないと
あの世である浄土へ行けない、または成仏でない、という気持ちが薄れていることは事実だ。
そうであるから現実には僧侶を呼んでも呼ばなくとも葬式の実質は変わらないだろう」と
回答しました。
そうは言っても現実の葬儀では仏教形式で行われているのが約9割。東京でも7割以上が
そうです。
どうしてこうなったかには歴史があります。室町時代の後期ですから400年以上の昔。
僧侶、しかもあまり偉くない、身分の低い僧侶たち(「聖」とも呼ばれました)が、飢饉等で
苦しい民衆の中に入って行き、一人前の人間として扱われていなかった民衆の葬式や
打ち捨てられていた民衆の死者たちの火葬を行いました。
私は「民衆の人格を認めた」と評価しています。民衆一人ひとりのいのちも弔われて葬られる価値があるいのちであると戦国仏教が認めたことで、民衆は僧侶を歓迎し、民衆の寄進で寺がつくられていきました。
日蓮宗では「日蓮聖人が迎えに来られて霊山浄土に連れて行ってくださる」、と言い、
浄土宗では「もともとのいのちの本源である極楽に往生できる」と言い、曹洞宗では「仏弟子としてきちんと成仏させる」と言い、その他仏教では宗派によって言いようは異なりますが、
民衆一人ひとりのいのちを、責任をもってあの世に届ける、というメッセージを伝えたのです。
僧侶たちの「いのちを預かる」という熱い想いが民衆の心を打ったのです。
その後、江戸中期には寺檀制度が確立し、人々はどこかの寺に属すことが法制度的に
定められましたが、死者に対する葬りで信頼を得た寺を江戸幕府が支配に利用した話です。
戦後憲法で「信教の自由」は基本的人権の一つと位置づけられています。「檀家だから寺で
葬式をあげるべきだ」というのは寺の願望にすぎません。むしろ反省すべきは「檀信徒の
『生き死に』に寺は責任をもって係わってきたか」ということです。これによる檀信徒の寺への信頼があれば自ずと檀信徒から葬式が依頼されるはずです。
だが、一時の流行で「無宗教葬」を選択する、あるいはそれを葬祭業者が勧めるというのは
いかがなものでしょうか。都会で見られる派遣僧侶の横行は「仏教葬儀の無意味化」を推進
するだけのものです。「安く僧侶を手配」なんて寝言を言うネット葬祭事業者は「無責任」以外の何ものでもありません。
死は人にとって一大事なのです。人が死に、弔われる場所が葬式なのです。弔う者の弔う
心抜きに葬式はありません。死者を放っておいて行われる儀礼は葬式ではないからです。
そこにはイベントがあるだけです。単なるイベントならしなくてもいいでしょう。
葬式は、家族や本人をよく知る人たちが死者に向き合い、宗教者も死者に向き合って初めて成り立つ空間です。
あなたの寺の檀信徒であるならば、まず行って弔いのお経をあげさせてもらい、遺族の心の内に耳を傾け、「私としても檀信徒さんの弔いに責任があります。
よろしかったら葬式をあげさせていただきます」とおっしゃったらいかがでしょうか。
まず住職であるあなたに檀信徒の死を悼む気持ちがあるか、それが問題です。