4月 27日(土) 先負
●今日は何の日
婦人警官記念日(婦人警官の日)
1946年(昭和21年)のこの日、警視庁で日本初の婦人警官62人が勤務に就いた。
連合国軍最高司令部(GHQ)の指示によるもので、2月21日に募集要項が出され、1300人が応募した。
当時の名称は「婦人警察官」で、略して「婦人警官」「婦警」とも呼ばれた。婦人警察官の主な業務は事務であり、
当時は逮捕権を持たなかった。
その後、2000年(平成12年)の男女雇用機会均等法全面改正に伴い、従来の「婦人警察官」という呼称から現在の「女性警察官」に改められた。2012年(平成24年)4月現在、女性警察官の数は約1万7700名であり、警察官全体の約6.8%を占めている。
警察官の制服は、男女でデザインが大きく異なり、女性では礼服がブレザーにネクタイ・スカート着用と規定されている。
長い丈のスカートでは職務において邪魔になる場合があるため、膝丈程度のスカートが標準となっている。
その他、股下があるキュロットスカートやズボンも用意されている。
●誕生日
内藤 剛志(ないとう たかし、1955年〈昭和30年〉5月27日 - )68歳は、日本の俳優、声優、タレント、司会者。
本名は同じ。大阪府大阪市東区(現:中央区)生まれ。寝屋川市香里園、枚方市、大阪市東区(現:中央区)育ち。
大阪市立集英小学校(現:開平小学校)、大阪市立船場中学校(現:東中学校)、大阪星光学院高等学校卒業。
日本大学芸術学部映画学科中退。身長183cm、体重77kg。現代制作舎を経て、阪口京子事務所所属。
文学座研究所を経て、一般の映画としては1980年、『ヒポクラテスたち』でデビュー。
以後、テレビドラマ、映画を中心に活動、地道に芸能活動を続ける。1982.1.8日活ロマンポルノ「美姉妹犯す」アルバイト.清、80年代は刑事ドラマなどで悪役、犯人役を演じることが多かった(あぶない刑事など多数出演)が、1991年10月に
『ホテルウーマン』(関西テレビ)に同郷出身の沢口靖子演ずるホテル従業員の上司として出演し、1992年10月開始の
『ウーマンドリーム』(関西テレビ)に裕木奈江演ずるアイドル歌手の事務所のマネージャー役を演じた。
1994年 - 1995年の日本テレビドラマ『家なき子』では、安達祐実が演ずる主人公をいじめる酒浸りの父親役を演じ、
同作品が高視聴率の話題作となったことで知名度が上がった。1995年1月(味いちもんめ) - 2001年9月(金田一少年の事件簿)にかけて、27クール(6年9か月・81か月)連続で連続ドラマに出演という日本新記録を樹立し、同時期に2つのドラマを
掛け持ちで出演するなど、主演・助演問わずドラマに欠かせない存在となり、「連ドラの鉄人」と呼ばれるようになった。
ドラマでは2000年、『科捜研の女』第2シリーズにプロファイラーの武藤要として登場。第4シリーズ(2002年)まで出演した後、第5シリーズ(2004年)より役を変え、京都府警捜査一課刑事の土門薫として再登場した。
主人公の科学捜査研究員・榊マリコ(沢口靖子)と協力して事件捜査にあたる準主役格として、長期に渡るレギュラー出演を
続けている。2007年の6月から『水戸黄門』の第37部(TBS)から2代目風車の弥七として登場し、2011年のシリーズ最終回
まで出演した。2010年の『必殺仕事人2010』(朝日放送・テレビ朝日)には、中村主水(藤田まこと、藤田は同年逝去)に
代わる新仕事人・カルタの力役として出演している。2012年より主役を演じていた「土曜ワイド劇場」で放送の
『警視庁・捜査一課長』が「木曜ミステリー」にて2016年4月よりシリーズ化され『科捜研の女15』に引き続き同枠で
連続して出演することとなった。
趣味・特技はトランペットやサックス等の楽器演奏、バイクの運転。
家族構成は1982年に結婚した帽子デザイナーの妻(横浜市出身)と、スタジオジブリ勤務の長女(1983年生まれ、
東京都出身)で、いずれも一般人であるとして氏名は公表していない。また、妻は本人と違う姓である。
妻とは18歳の時にナンパで出会い、まもなく東神奈川で同棲し、すでに50年の付き合いであると語る。
視力が弱く中学生の頃から眼鏡を着用しており、バラエティ番組に出演する時は殆ど眼鏡を着用している。
元来、刑事役を演じることが多かったことから、近年演じた役の約9割は刑事役だとする記事もあり、本人が刑事を演じた
ドラマは30作以上に亘る(2016年2月現在)。
本人もその事を認めており、本物の警察官に黙礼をされるというエピソードを語っている。
●葬儀 月刊「SOGI」葬儀Q&Aより
Q115 お世話になった方の「家族葬」弔問は迷惑か?
![家族葬とはどういう葬儀?どこまで呼ぶ?費用や注意点とは ...](https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG5WD4kTNsYvUUCtES9fJn5h34cyBWe6abnV7IsXvxqSF9o4vZENavGueKLeeTR_1CrmYIQcSKWS8OSo5WXkGsSv1e8OBfAAWMpdLemSfNCb5rtvQGdN0sJvM-MC0TacXuA2Ycm_Zx_TOBZLXvYlpOYV-rdmS-JDkd7d-jpzP83Ndcf67zEG8xGMPaijz5HhZ0bi-_I3DkFzh0J6Ze2E_YuYi_DGl3rQ4DbQK1KsHU7LO8HlvvoWrka_zvOhRg8SpbvWAzgenNmvh6r_uHynO9bI=/img_about_preparation01.jpg)
Q 会社に勤務していた時の上司で、個人的にもお世話になった方が亡くなりました。
ところが「家族葬でする」というのです。せめて焼香でも、と思うのですが、ご家族には迷惑をかけるのでしょうか。
(65歳男性)
A
お世話になった方の死亡ですから、「弔問したい」と思われることはとても自然な感情です。お気持ちはよくわかります。
また、お葬式ではそのように、亡くなった方と親しかった人たちの弔う気持ちが大切にされるべきだろう、と常々思っています。
しかし、個の時代となり、お葬式も大きく変わってきています。お葬式に対するコンセンサス(社会的合意)がなくなって多様な考えが出てきています。
その結果、「家族葬」は「家族だけで行う葬儀」と狭く理解し、家族以外には案内もしないし、
弔問、お花、香典も受け取らない、と考える人が少なくなくいる、という現実が生じています。
「家族葬」を「家族以外お断り」と理解するのは、家族葬の言葉の起源からも、お葬式のあり方からも正当とは言えません。
しかし、そう考える人は結構いて、お葬式では多くの人がやきもきすることになります。
現実には「家族葬」を「家族を中心として縁が深い人たちを中心にして行われる、比較的に規模が小さい葬儀」と理解する人が
多いでしょう。しかし、家族葬には明確な定義も、明確なルールがあるわけではないので、あちこちで混乱が見られます。
ですから「家族葬」と言われて弔問を断念するのではなく、まず「お世話になったので弔問したいのだが」とご家族の意向を
たずねられたらいかがでしょうか。そういう申し出をありがたく、うれしく受け取る遺族も少なくないはずです。
言葉の起源について解説します。1995年頃、東京山の手で「家族葬」という言葉が出現、マスコミが取り上げ、
たちまち人気となりました。高齢者に対する調査でも「家族葬」は人気が高いです。
今では古い話ですが、1960年代以降、日本が高度経済成長すると共に、葬儀の世界も大きく変わりました。
祭壇が大きく飾られ、多くの会葬者が集まるようになりました。
それは戦争中には死者に対してきちんとしたお葬式ができなかったという悔いがあり、多少経済的に余裕ができたことで
「人並みの葬儀をしたい」という欲求が高まったことによると思います。
しかし葬式の大型化は弊害も招きました。参列者に故人の生前を知らない人までたくさん集まるようになったことも
その一つです。子どもの会社の取引先の人とか、故人を知らない人が多数を占めるようになりました。
遺族は死者を弔う中心の人のはずですが、「お客様に失礼があってはいけない」ということを心配するようになり、
死者を大切に送ることが二の次になるまでになった事例が多く見られました。
バブル経済期は葬式もいちだんと大型化し、普通の人のお葬式でも平均会葬者数が300人程度にまで膨れ上がりました。
結果、葬式の会葬者で故人の生前を知らない人が7割にまでなりました。
本人を知らない人が多い、ということは悲しんでいる人が少数ということです。このため「何のための葬式か?」という疑問が
もたれるようにもなりました。
バブル経済が破綻後、お葬式に対する不満も頭をもたげるようになりました。「家族葬」は「死者をよく知る人々で死者を温かく送ってあげたい」と思っていた人々に共感をもって迎えられました。
弊害としては、本音では「葬式をやるのは面倒」と考えていた人も家族葬人気にあやかって粗末に死者を送ることを堂々と
行うようになったことです。
人は個でもありますが、家族はもとより友人とかさまざまな人間関係の中で生きています。死者を大切な人と想い、死者を心から弔う人が集まって葬式をするのは自然なことです。死者を弔い、その死を惜しみ、悲しむ人によって営まれるべきです。
そうした原点に戻った葬式になればいい、そうすれば家族も余計な心配することがないのに、と思います。
社会は時々「反動」を招きます。死者の人間関係を無視して血縁だけでの葬式もおかしいのです。
「家族の断絶」が言われるように、家族が死者本人のことを知らないことも少なくありません。
姉の葬式の体験から言えば、死者友人たちの弔い、お悔やみは、私たち家族に死者の私たちが知らない面を教えてくれる
貴重なものでした。