3月 4日(日) 大安
★ 今日は
さんしん(三線)の日
沖縄県の琉球放送が制定。
「さん(3)し(4)ん」の語呂合せ。
三線は、蛇味線とも呼ばれる沖縄の楽器で、三味線の元となったとされている。
★ 誕生日
山本 リンダ(やまもと リンダ、1951年3月4日 - )67歳は、日本の歌手、タレント。
60年代および70年代アイドル。
身長168cm。リンダ・ミュージック・オフィス(自らの個人事務所)所属。
『こまっちゃうナ』『どうにもとまらない』『狙いうち』などのヒット曲で知られる。
「リンダ」という芸名は、アメリカ人の父親に生前付けられた愛称である。
福岡県小倉市(現:北九州市)に生まれる。父親はアメリカ人、母親は日本人のハーフ。
父親はアメリカ軍の軍人だったが、山本が1歳の頃に朝鮮戦争で戦死した。
そのため女手一つで育てられ、家庭は非常に貧しかった。
4歳の時に神奈川県横浜市神奈川区に引っ越す。小学校時代はハーフであるために
学校でいじめられ、近所の大人たちからも白眼視されていた。
そんな山本をいつも優しく慰めてくれたのは母だった。
大阪出身の母がよく作ってくれた醤油味のお好み焼山本にとって特別な思い出の料理と
なっている母に楽をさせたいと思い、モデルのオーディションに応募。
1962年(昭和37年)に雑誌『装苑』のモデルオーディションを受検したことをきっかけに、
人気モデルとして活動する。
1966年(昭和41年)、高校在学中の15歳の時に、ミノルフォンレコード(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)より遠藤実作詞・作曲のシングル「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。
同曲が大ヒットとなり、国民的アイドルとして全国に知られるようになった。
翌年、『第18回NHK紅白歌合戦』でNHK紅白歌合戦初出場を果たした。
当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる「可愛い子ちゃん歌手」であった。
しかし、デビュー曲「こまっちゃうナ」が大ヒットした後はヒットに恵まれず、人気は低迷する。
2001年(平成13年)5月3日、7歳年上の常葉大学教授稲葉光彦と結婚。
山本にとってこれが初婚である。
2005年(平成17年)、アサヒ飲料の缶コーヒーのCMに起用される。
また、代表作「どうにもとまらない」の歌詞をアレンジした「どうにもとまらない〜ノンストップ」
が発売され(リメイクされた詞は阿久悠が「今の若い人達に夢や希望をたくさん送ってあげたい」という想いから新たに書いたもの)、テレビアニメ『レジェンズ〜甦る竜王伝説』のエンディングテーマに採用された。
これを記念して、同アニメには山本自身もゲストキャラとして1度だけ出演した。
なお、「どうにもとまらない〜ノンストップ」には英語バージョンも存在し、こちらも同じく
『レジェンズ〜甦る竜王伝説』の初期エンディングテーマとして流れていた。
作詞はen:Gary Perlman、歌はen:Brenda Vaughnがそれぞれ担当している。
2007年(平成19年)、宅配ピザチェーンドミノ・ピザのテレビCMソングとして、
「どうにもとまらない」の替え歌「ド〜ミノとまらない♪」が起用される。
このCMではお笑いタレントの劇団ひとりが演じるドミノ・ピザのイメージキャラクター
「ドミノ★スター」が、多くのドミノ・ピザファンが取り囲むステージ上で同曲を熱唱している。
2010年1月、9mm Parabellum Bulletによって『どうにもとまらない』がカバーされる。
山本は「9mmバージョンの『どうにもとまらない』は、彼達らしいかっこいいサウンドの
中のとってもさわやかなボーカルが印象的でした」とカバー曲を評した上で、同バンドに
対しても「この度ほかの楽曲も聴かせていただきましたが、かっこいい。
たくさんいい楽曲を作って、大きく羽ばたいてほしい思いです」とエールを送っている。
2013年(平成25年)10月14日、北九州市制50周年関連イベントとして開催された「第6回
北九州ミュージックフェスタ」のフィナーレライブにゲストで呼ばれ、その席で市長北橋健治
から「北九州市特命大使(文化)」を委嘱された。
同年12月4日に放送された『2013 FNS歌謡祭』では、倖田來未とのコラボレーションで
『どうにもとまらない』を披露した。東京御徒町在住。
2016年(平成28年)の第59回オールスター競輪(松戸競輪場)では花束贈呈を担当
(前年の第58回でもイベントを実施した)。
★ 雑学
アップル社の社名の由来
マッキントッシュで有名なアップル社の社名「アップル」の由来は、創業者の
スティーブ・ジョブズさんがそれまで勤めていた会社「ATARI社」よりも
電話帳で前にくる名前にしたかったため。
ちなみにスティーブさんは新しい事業を始めようとしてアタリ社に資金の提供を
頼んだが経営陣に反対されたので、会社を辞めて自ら新会社「アップル」を設立した。
★ 葬儀 月刊「SOGI]より
「死者の尊厳」「遺体の尊厳」…これを守ることは葬祭業に従事する者の
逃れることができない課題であり、使命である。
この意味するところを自らの行動をもって示してくれたのが、東日本大震災の仮埋葬された
遺体を掘り起こし、再納棺して火葬場へ送り出した若い葬祭従事者であったと思う。
当然のことであるが、死体は腐敗する。
事故や災害ではバラバラになる死体もある。
腐敗すると身体は溶解し、血液や体液が漏出し、腐敗臭がきつく辺りを覆う。
そうであっても、それを無条件に「尊厳ある遺体」として終始扱い、
葬るための準備を丁寧に行う。
その死者が誰であったかの区別もなく、等しく精一杯行う。
それが「死者の尊厳」「遺体の尊厳」を守ることである。
死体を腐敗した故に疎む(いやがる、いやがって遠ざける)人は少なくない。
でも人の死は放置されてはならない。
どんな死体も等しく「遺体」として扱われ、葬られ、弔われる権利がある。
被災地では身元不明遺体に対し特に懇ろに弔いが捧げられたという。
単独世帯が全世帯の4分の1にまで増加し、
単独死、遺体の腐敗のリスクは増大している。
だが発見が遅れ、腐敗した遺体を前に、その態様故に第三者が、
安易に「孤独死」「孤立死」と死者を評価するような言葉を吐くことは
「死者の尊を侵すこと」と知るべきだろう。