【A Course in Miracles】
歪みを取り除いた結果の概念(34)
世界の終わり
佐藤篤代/西暦2020年

西暦2020年5月8日:金曜日投稿

【A Course in Miracles】
歪みを取り除いた結果の概念(33)
世界の終わり
佐藤篤代/西暦2020年
①前置き
②『世界の終わり』
③西暦2015年前半33記事一部内容
④【A Course in Miracles】から引用した『世界の終わり』概念

【①前置き】

【A Course in Miracles】に至るまでのこの個体:本物:佐藤篤代の軌跡、そして【A Course in Miracles】にもエゴの歪みがあったという気づきへの軌跡は『佐藤篤代の独自の提唱概念:前置き』と『【A Course in Miracles】歪みを取り除いた結果の概念:前置き/佐藤篤代』に書いてある。

佐藤篤代の独自の提唱概念:前置き

【A Course in Miracles】歪みを取り除いた結果の概念:前置き/佐藤篤代

この個体:本物:佐藤篤代の人生をかけた唯一の願いは、『苦しみのサイクルを完全に終わらせること』だけだった。
だから、何かの概念に固執することはなかった。
この個体:本物:佐藤篤代に唯一必要だったのは、『苦しみのサイクルを完全に終わらせる為の方法』だけ。だから、その完全な方法じゃないと判明する度に次の概念に移行していった。
その過程で、【A Course in Miracles】に行き着いた。内容に初めて触れた時、これは絶対的に欠かせない不可避のコースだと確信した。「遂にここまで来てしまった」という強い思いと共に。
しかし、この個体:本物:佐藤篤代に必要なのは、【A Course in Miracles】じゃない。知的探究じゃない。『苦しみのサイクルを完全に終わらせる為の方法』だけだ。
だから、【A Course in Miracles】はエゴによりあまりにも歪められやすいという事実を最初に知っていたので、完全に歪みのない状態だけを求めた。誰でも最初はエゴの歪みに欺かれやすい状態にある。故に、『完全にエゴの歪みに欺かれない状態』を目指した。そうじゃなければ歪みなき真実を知ることはできないと【A Course in Miracles】の内容に触れてすぐに判る。
だからこそ、【A Course in Miracles】もそう教えるように、エゴの欺きから完全に脱するために真実へと導く『the Holy Spirit(聖霊)』だけに耳を傾けることだけを目指した。『the Holy Spirit(聖霊)』とは実際の声じゃなく、『表現の傾向』のようなものだ。エゴの欺きの声(表現)か『the Holy Spirit(聖霊)』の声(表現)かを見極められるようにならなくてはならない、それこそが、『the Holy Spirit(聖霊)』の声だけに耳を傾けるという意味だ。
『the Holy Spirit(聖霊)』だけに耳を傾けることだけを追究した結果、【A Course in Miracles】の書籍も組織もエゴにしか作れないと判明し、【A Course in Miracles】にもエゴの歪みがあるという事実に気づいた。

それからは前置きにもあるように、『知覚ある世界すべてはエゴが作った非現実インチキ』という【A Course in Miracles】基盤概念を元にして、【A Course in Miracles】概念の歪みを取り除きつつ、『the Holy Spirit(聖霊)』だけに耳を傾けながら、独自の真実の追究へ向かっていった。

こうして、この個体:本物:佐藤篤代の人生をかけた唯一の願い『苦しみのサイクルを完全に終わらせること』だけを追究した結果、数多くの【A Course in Miracles】の歪みの大元(真相)に気づいていった。

勿論、すべての真実と真相を知ったなどと言える状態にはまだない。
しかし、【A Course in Miracles】の範囲を超えることを余儀なくされた【西暦2010年の大混乱期】から10年。
そろそろブログ記事の中で、この個体:本物:佐藤篤代独自の追究からの概念や用語が多々出るようになっているので、この辺りで、10年の追究の結果気づいた、【A Course in Miracles】の歪みの大元を、【A Course in Miracles】と照らし合わせながら概念として書き出すことにした。

神概念には歪みがあると捉えているので、この個体:本物:佐藤篤代は【A Course in Miracles】の『the Holy Spirit(聖霊)』の大元と考えられる作用を、独自に【終わらせる為に作用する何か】と呼んでいる。

西暦2015年段階の佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html

【A Course in Miracles】に関する概念の基本的なものはこの『西暦2015年段階の佐藤篤代』に書いてある。



②『世界の終わり

【A・Course・in・Miracles】で『聖霊(the Holy Spirit)』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、『【異世界】間漏れ作用』により、エゴに世界の作り直しを余儀なくさせて、作る世界の方向性を誘導して無数の作り直しの果てに、最後の世界に、最終結果として作らざるを得なくさせたのが、【この領域(世界)】。

エゴは世界の作り直しの無限ループの無意味さと不毛さにいずれ気づく時点がくる。どんなにエゴ独自の意図から世界を作っても、【偽物世界】にしかなれず、【この領域(世界)】とは完全に別個の世界に成り果てるだけだと気づく時点が。

それゆえに、エゴ独自の意図を完全に断念し、『【異世界】間漏れ作用』で漏れた通り100%そのままに、エゴが世界を作る選択をした時点が、【この領域(世界)】をエゴが作る直前にあった。
その決断の時点では、もはやエゴ独自の意図からいくら世界を作っても、永久に世界の作り直しだとエゴは確信に至っている。だから、もうエゴ独自の意図を込めて世界を歪めようとはしなくなる。

そのため、【この領域(世界)】は一切作り直しが無い、一本道ルートとなる。
そして、エゴが最後に作らされた最大の不都合世界である【この領域(世界)】は、【終わらせる為に作用する何か】の思考システムが最大限表現される世界段階となり、そしてエゴ独自意図が完全無効化される、【終わらせる為に作用する何か】意図100%となる。
その中で、【終わらせる為に作用する何か】は、エゴが作ったすべてを【知る手段】として再利用している。
だから、【この領域(世界)】に表れるすべては、何かが特別な状態(エゴの欺きの意図が込められる状態)にならない方法で、【知る手段】として、パズルのように散りばめられている。その【知る手段】は、エゴが各【偽物世界(異世界)】段階で何をやろうとし作ったかが窺い知れるように、象徴として表現されている。
だからこそ、【偽物世界】の表れは、【この領域(世界)】の現実性に照らし合わされて『浮く』。【この領域】の世界基盤・土台に基づかれた構造や概念の現実性とはかけ離れすぎていて、ギャップが『浮き』過ぎるから、【偽物世界】の表れだと一目瞭然となる。 
故に、すべての【偽物世界】は、独自の現実性を、独自の世界ルールを、決して最終的には【この領域(世界)】の現実性として塗り替えることはできない。

【この領域(世界)】は【終わらせる為に作用する何か】が『【異世界】間漏れ作用』により、エゴの作る世界の方向を誘導した果てに、世界のやり直しの末にエゴが不承不承否応なしに作らされた『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』だと言える。
だからこそ、すべてが象徴的に表されている。そして、すべては『真相(真実)』を【知る手段】に過ぎない。 

だからこそ、【この領域】に表現された最終結果はエゴに消すことなんかできやしない。いかに【偽物世界】段階で隠せたようにみえたとしても、エゴには【この領域(世界)】を消滅させることはできない。

だからこそ、いずれ、エゴが隠してきたすべてはあらわとなる。それは避けられない。
すべてが絶対に隠せなくなる。


このように、この個体:本物:佐藤篤代が『この領域』と呼んでいるこの『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』こそが、【A Course in Miracles】で『the real world』概念としてより魔法キラキラに歪められ、『the forgiving dream』、『the forgiven world』、『the happy dream』、そして『the borderland』などとも呼ばれているものだ。
だが、西暦2020年2月24日:月曜日に『滅びの鐘』という小説を読み終わしたら閃いた。
『the real world』である『the forgiving dream』、『the forgiven world』、『the happy dream』、そして『the borderland』は、それぞれ各【偽物世界】段階の不都合存在達の救済世界の種類なんじゃないか、と。

というわけで、その概念についてひとつひとつ逐一書いていくつもりだ。

今回も、その合間に前置きとしてここに挿入したい概念があるから、まずはそちらを書いていく。
今回は『世界の終わり』。

【A Course in Miracles】歪みを取り除いた結果の概念:西暦2020年
(3)【A Course in Miracles】step back/佐藤篤代:歪除


【A Course in Miracles】で言う『世界の終わり』とは、『エゴが作ったすべての非現実世界(幻想)の消滅』という意味の終わりだ。
それは、物理的な破壊や崩壊を一切伴わない。
単に『消滅する』だけだ。
元から【実在(現実性)】をもって存在していなかったので、単に『消滅する』。
それで、『知覚』を作ったのはエゴなので、『世界の終わり』とは『知覚の終わり』だとも言っている。
その点に、この個体:本物:佐藤篤代も賛同している。

ただ、『Atonement』と『終わり方』に歪みがあると考えられる。

【A・Course・in・Miracles】で『聖霊(the Holy Spirit)』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、『【異世界】間漏れ作用』により、エゴに世界の作り直しを余儀なくさせて、作る世界の方向性を誘導して無数の作り直しの果てに、最後の世界に、最終結果として作らざるを得なくさせたのが、【この領域(世界)】だとこの個体:本物:佐藤篤代は考えているからだ。

だから、『この領域』は、エゴのすべての独自の意図を断念させるために【終わらせる為に作用する何か】が意図した世界だと考えられる。
【終わらせる為に作用する何か】の思考システムと意図が最大限表現されているのは、最後の世界である『この領域』だ。
【終わらせる為に作用する何か】の思考システムと意図が最大限表現されている為に、『この領域』はエゴ意図を完全に限界へ至らせる為の世界だと言える。
エゴは『この領域』をそのまま100%漏れた通りに作る決断をするまで、何度も何度も何度も無数に繰り返し、世界を作り直してきた。そしてその過程で、段階的に各『課題世界』を作るまで、延々と『無限ループ』に陥りながら世界のやり直しを余儀なくさせられてきた。
その幾度も壁のようにぶつかる際限なく続く『無限ループ』状態の繰り返しに、さすがのエゴも、『この領域』の直前にはもはやエゴ意図から世界を作るのは不可能だと気づくのだろう。
しかも、『この領域』は、『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』。【終わらせる為に作用する何か】が何かという情報、そしてエゴ意図を完全に終わらせる揺るぎない『計画』のようなものも知るようにさせられる。
それで、エゴ意図が完全に限界に陥る。
それにより、エゴは世界を独自の意図から作るのを完全に断念する。

それで、世界は完全に終わる。
エゴのすべての世界の存続と新たなる制作が完全にストップするわけだ。
故に、『知覚ある世界すべてはエゴが作った非現実インチキ』故に、消滅する。
世界の内側すべてが消滅し、終わる。
後には何も残されない。

故にそれは完全なる知覚の終わりだということだ。
この考え方だと、知覚の終わりなのだから、そこから新しい世界が始まるというのは一切ない。
そして、エゴが世界制作の意図を完全に終わらせる為には、『知覚の終わり』しかないだろう。知覚が続く限り、エゴは世界を新たに作るだろうから。

まあ、『世界の終わり』の実際など、推察しかできないが、【A Course in Miracles】で言うように『知覚の終わり』が『世界の終わり』ならば、完全な終わりが達成できると考えられる。

だから、この個体:本物:佐藤篤代は、『世界の終わり』とは、『エゴの世界制作の完全な断念』であり、それは『完全なる知覚の終わり』だと考えている。
そしてそれを強く願う。



【③西暦2015年前半33記事一部内容

※注:【A Course in Miracles】も関連書籍もエゴの歪みがあるという前提で引用している。

西暦2015年段階の佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html
前半(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12027300629.html
以下はこの概念内容の一部をこの記事用にまとめたもの。

ーーあなたが奇跡を実現したとき、わたしはそれにあわせて時間と空間を調節するだろう。
彼が言っているのはここの時間ではないよ。きみが具体的な赦しとレッスンを学んだから、もう将来、必要としない部分を取り去るってことだ。彼はこう言っている。
ーー奇跡は時間を崩壊させることで時間を短縮させ、それによってある種の間隔を除去する。だが、それはもっと大きな時間的連鎖のなかでのことである。
書籍『神の使者』より以前引用
(原書名:The Disappearance of the Universe) 
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行
(※太字は【A Course in Miracles】引用の日本語訳箇所)

これは歪みだが、【A・Course・in・Miracles】における幻想の消滅の仕組みの概念だから引用した。
実際、時間と時間の間隔を消滅させているというのは、辻褄が合わなくなったエゴの世界の作り直しと合致する。

書籍『神の使者』より以前引用
『パーサ:……「コース」の本を買って読んだなら、あなたが寝ているときについて、Jがこう教えたことは知っているはずね。
ーーあなたの別の生は途切れなく続き、あなたがそれから離れようと試みても、まったく影響されなかったし、されないだろう。
あなたがほんとうに目覚めたとき、それまで現実と見えていたものが怠惰な夢だと認識される。次にそれは忘れられるか、少なくとも無意味なものとされるわ。昨夜見たなかでもあなたが覚えていない夢がある。あなたの現在の生やその他すべては消えるでしょう。そしてすべての人が同じ悟りの状態に達したとき、宇宙は消えるでしょう―ただ神の天国という宇宙(※注:the universe:万有)だけが残る。いま強調したいのは、悟りは臨死体験とは何の関係もない、ってことね。
「コース」は分離のあとに最初に心に導入された分裂、それが意識だったと教えている、と話したわね。意識とは分裂した心なの。身体が機能しなくなっても、意識は続く。あなたがたが死を恐れるべきではない理由の1つはそこにあるのよ。人は臨死体験がどれほど美しいものかを聞かされたり、自分で経験したりするけれど、それは身体の生と比較して束の間の美に過ぎないことを理解していない。一時的にであれ身体の苦痛や制約から完全に解放されて、もっと大きな心の分裂に気づいたら、それはもう息を呑む体験のはずよ。でも、人はその体験について語ることはできない。だって、そのためには全体験をしなくてはならないし、それは死んだってことですものね!もちろん死んだように見えるのは身体だけで、次の幻想の生に移行しているをだけど。
それからどうなるかというと、そこで、息を呑む感動はだんだん薄れていく。心のなかに残っている無意識の罪悪感が追いついてくるからよ。そこで、あなたは罪悪感と神への恐怖から逃れるために輪廻する。心が聖霊によって完全に癒されない限り、それが繰り返されるんだわ。仏教徒のなかには明晰夢、つまり夜夢を見ながら自分は夢を見ていると意識することで輪廻から逃れようとする人たちがいます。心を訓練して、身体の死が訪れたとき、もう輪廻しないと決意しようというのね。
これはとても賢明な考え方だけれど、無意識の罪悪感がまったくなくならない限り、うまくいかないわ。無意識の罪悪感が完全に癒されていれば、死の直後ではなく、身体のなかで暮らしているように見えるあいだでも悟りに達することができます。いずれにしても強調したいのは、報告されている臨死体験というごく一時的な喜びを悟りと混同してはいけない、ってこと。悟りはあなたの幻想の人生の一つのなかで起こるのよ。身体がきっぱりと放棄されるのは、心が夢から覚めた後だけ。』
書籍『神の使者』より以前引用
(原書名:The Disappearance of the Universe) 
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行
(※太字は【A Course in Miracles】引用の日本語訳箇所。(※注)はこちらで挿入)

魂とかスピリットとかは単にエゴの欺きの概念だ。ただ過程として知ればいい。
『スピリット=神の創造物=神と1つ』
が【A・Course・in・Miracles】概念だ。

スピリチュアル分野では、「悟り」がメインテーマな部分があるし、『神の使者』でも「悟り」を連発しているが、実質的には、「悟り」という言葉は個体を魅力的にさせることで、特別性を温存するためのエゴ概念であるだけだ。

全てを終わらせる為に必要なのは、「悟り」ではない。
大体、「悟り」とは、「神と1つになる」とか「なんやらかんやらと1つになる」とか「啓示」とか、個体と行為を神聖化させて、「神聖な何かから知る」方向性を取っているが、それはエゴが、エゴの世界の作り方を隠すために誤魔化しで作った概念だ。

キーは以下の【A・Course・in・Miracles】の言葉にある。

『To give and to receive are one in truth.』
『All that I give is given to myself.』
【A・Course・in・Miracles】より以前引用

「自分が与えた全てを自分が受け取る」
要するに、「自分が知ったようにエゴに作らせるように、現在で自分が知った全てを提示する」必要があるだけなのだ。
この方向性だと何も特別にはならない。見てきたことを提示するロボットだから誰にでもできるからだ。

啓示とか神秘的体験で他から知らされるのではない。それでは個体の特別性が強化されるだけだからだ。

エゴが作った全てを1つと見ると、その1つに外側から1つの答えが与えられた。それ故に、答えは全体に組み込まれ、エゴが作った全ての中にプログラムのように組み込まれただけだ。要するに、エゴが作った全てはその答えを見る為の手段として再利用されるだけだ。いわば、答えを表現する側。映画全体を見て外側にいて見ている者が映画全体から答えを知る状態。
それが本物:佐藤篤代の考えだ。

では、【A Course in Miracles】にある幻想が消滅するメカニズムを最初に再び明らかにしよう。

「赦す=聖霊に全ての幻想を引き渡す」

「聖霊がもはや不必要となった時間の間隔を消滅させる」
※ここで消滅させるのは、根本的要因となる原因が明らかにされ、聖霊に引き渡せている幻想だ。この根本的原因に起因し起きていた時間の間隔(幻想)は、未来、過去を含めた全時間の中で、消滅する。原因が明らかにされた幻想はもはや不必要となり、在るように見える必要がない。

このプロセスを踏んで、いずれ全ての幻想が消滅する。勿論、僕ら個々の存在全ても消滅する。これは、「A Course in Miracles」原書にもはっきり記されている。以下に示す。


『Together we will disappear into the Presence beyond the veil, 
not to be lost but found; 
not to be seen but known.
And knowing, nothing in the plan God has established for salvation will be left undone.
This is the journey's purpose, 
without which is the journey meaningless.』
【A Course in Miracles】より以前引用


『Forgiveness is the end of specialness.
Only illusions can be forgiven, and then they disappear.
And thus his secret guilt would disappear, forgiven himself.』
【A Course in Miracles】より以前引用

【A Course in Miracles】原書では、「赦しを行い、幻想の全てを聖霊に引き渡すことにより、幻想は消滅する」とある。

Text1章で「奇跡は不必要になった時間の間隔を消滅させる」とあるのはこの意味だ。

『Time will cease when it is no longer useful in facilitating learning.』
【A Course in Miracles】より以前引用

※「learning」は「知ること」。

要するに、「聖霊が再利用する必要がない時間の間隔を消滅させる」という意味だ。

幻想を消滅させる為に、私たちがすべきなのが、
「聖霊に見た全てを引き渡す」=「forgiveness」

それで、聖霊は引き渡された全ての幻想のうち、不必要となった幻想を消滅させる。

引き渡したのにまだ消滅しないように見えるものがあるのは、連鎖的に繋がりがある問題が時間の中に点在しているからだとある。だが根本的原因がまだ見られていない状態。つまり、問題の根本的原因の解決が未来にある場合、根本的原因が見えないうちは、同じような出来事が繰り返される。完全に消滅するには、同じような出来事が起こる根っこの原因を見て、聖霊に引き渡す必要があるからだという。 

これが【A・Course・in・Miracles】レベルの内容だ。

『And all the world he made, 
and all his specialness, 
and all the sins he held in its defense against himself, 
will vanish 
as his mind accepts the truth about himself, 
as it returns to take their place.
This is the only "cost" of truth: 
You will no longer see 
what never was, 
nor hear what makes no sound.』
【A Course in Miracles】より以前引用

「he」とは原書では「the Son of God」を指すが、「God」という概念自体が歪みなので、何かの歪みだと捉えるべきだ。

「自分自身についての真実を受け入れる時、
作られた(エゴが作った)全世界、
特別性の全てが消滅する」

「消滅した後には何も残らない」

そんな内容が書かれた箇所だが、まだ消滅したわけではないから確証がある文ではない。しかも全消滅したら何も残らないから消滅したあとの真実など、何者も証拠づけて語れる筈はないのだから、単に「A Course in Miracles」にはこのような内容の記載があると認識してもらえれば本望だ。 

本物:佐藤篤代としては
「最後には何も残らない。
見える全てが、在るように見える全てが幻想だからだ」
という概念は真実だと思う経験をしているので、至極納得がいく最後だと言える。

全体的に「A Course in Miracles」は歪み自体であるので、一歩距離を置いてよく吟味すべきだ。 
以上


【④【A Course in Miracles】から引用した『世界の終わり概念】

以下に【A Course in Miracles】の中の『How will the world end?』概念について書かれた部分を引用する。

※注:【A Course in Miracles】も関連書籍もエゴの歪みがあるという前提で引用している。

引用書籍
【A Course in Miracles】
second edition


書籍【A Course in Miracles】より引用
『14. How will the world end?
1. Can what has no beginning really end? The world will end in an illusion, as it began. Yet will its ending be an illusion of mercy. The illusion of forgiveness, complete, excluding no one, limitless in gentleness, will cover it, hiding all evil, concealing all sin and ending guilt forever. So ends the world that guilt had made, for now it has no purpose and it gone. The father of illusions is the belief that they have a purpose; that serve a need or gratify a want. Perceived as purposeless, they are no longer seen. Their uselessness is recognized, and they gone. How but in this way are all illusions ended?  They have been brought to truth, and truth saw them not. It merely overlooked the meaningless.
2. Until forgiveness is complete, the world does have a purpose. It becomes the home in which forgiveness is born, and where it grows and becomes stronger and more all-embracing. Here is it nourished, for here it is needed. A gentle Savior, born where sin was made and guilt seemed real. Here is His home, for here there is need of Him indeed. He bring the ending of the world with Him. It is His Call God's teachers answer, turning to Him in silence to receive His Word. The world will end when all things in it have been rightly judged by His judgement. The world will end with the benediction of holiness upon it. When not one thought of sin remains, the world is over. It will not be destroyed nor attached nor even touched. It will merely cease to seem to be.
3. Certainly this seems to be a long, long while away. “When not one thought of sin remains” appears to be a long- range goal indeed. But time stands still, and waits on the goal of God's teachers. Not one thought of sin will remain the instant any one of them accepts Atonement for himself. It is not easier to forgive one sin than to forgive all of them. The illusion of orders of difficulty is an obstacle the teacher of God must learn to pass by and level behind. One sin perfectly forgiven by one teacher of God can make salvation complete. Can you understand this? No; it is meaningless to anyone here. Yet it is the final lesson in which unity is restored. It goes against all the thinking of the world, but so does Heaven.
4. The world will end when its thought system has been completely reversed. Until then, bits and pieces of its thinking will still sensible. The final lesson, which brings the ending of the world, cannot be grasped by those not yet prepared to leave the world and go beyond its tiny reach. What, then, is the function of the teacher of God in this concluding lesson? He need merely learn how to approach it; to be willing to go in its direction. He need merely trust that, if God's Voice tells him it is a lesson he can learn, he can learn it. He does not judge it either as hard or easy. His Teacher points to it, and he trusts that He will show him how to learn it.
5. The  world will end in joy, because it is a place of sorrow. When joy has come, the purpose of the world has gone. The world will end in peace, because it is a place of war. When peace has come, what is the purpose of the world? The world will end in laughter, because it is a place of tears. Where there is laughter, who can longer weep? And only complete forgiveness brings all this to bless the world. In blessing it departs, for it will not end as it began. To turn hell in Heaven is the function of God's teachers, for what they teach are lessons in which Heaven is reflected. And now sit down in true humility, and realize that all God would have you do you can do. Do not be arrogant and say you cannot learn His Own curriculum. His Word says otherwise. His Will be done. It cannot be otherwise. And be you thankful it is so.』
書籍【A Course in Miracles】より引用


引用書籍
【A Course in Miracles】
second edition

【A Course in Miracles】の『God's teacher』とは、『神の“知らせる者”』と訳していた。『教師』だと特別性が生じすぎて違和感がありすぎた為だ。エゴの歪みが多々含まれた概念だとは思っていたが、これはやはり『知らせる者』だ。しかも、エゴが作った世界の外側にいて囚われた存在か、あるいは最近ではエゴ自体に、【終わらせる為に作用する何か】の意図と真実を『知らせる者』なんじゃないかと考えている。そして、エゴの『課題を携えた不都合存在』なんじゃないかと考えている。

【A Course in Miracles】の『brothers』とは、各前々にエゴが作った世界段階で、エゴがクリア(世界に作ることの受け入れを)しなくてはならない不都合要素があり、その不都合要素を携えた不都合存在が発生することになる『課題を携えた不都合存在達』についてエゴが歪めた痕跡なんじゃないかなと最近思えている。

【A Course in Miracles】
歪みを取り除いた結果の概念(34)
世界の終わり
佐藤篤代/西暦2020年
西暦2020年5月8日:金曜日


西暦2020年
(年号:令和2年
※『令和』の前は『平成』)
ネズミ年現在

【佐藤篤代について】

[blogで言ってる主旨]

 この本物:佐藤篤代のブログは
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

[佐藤篤代]

【A・Course・in・Miracles】管理者で世界で最も【A・Course・in・Miracles】の意味を理解している筈のKenneth・Wapkickすらも、手紙のやり取り等から、歪みと特別性の保護しか教えていなかったと西暦2012年に判明している。
また【A・Course・in・Miracles】自体も本という型だけに完全な真実を表現できる筈がないとその頃までには気づいた。
その他の経験も含め、真実は他者とは絶対に分かち合えないと理解した。

だからこそ、特別性の保護というエゴの目的しかそこにはなく、無駄どころかエゴの目的通りになると知っているので、あらゆる個々の存在と真実を分かち合うという目的からコミュニケーションを取ることは一切しない。

真実はあらゆる個々の存在と分かち合うのではなく、真実(知ってきた全て)を提示することで、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】の【異世界】間の『漏れ作用』により、エゴが作った全ての領域に拡大されると考えている。
エゴはそれで世界に矛盾が生じるので、漏れて隠せない要素を採り入れながら世界を作り直さなくてはならない。それが真実が拡大される再利用システムだと考える。
詳しくは西暦2015年段階の概念に書いてある。 

故に、佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2020年)
佐藤篤代は西暦2020年1月17日(金曜日)で44才
栃木県宇都宮市のド田舎生れ
ずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し

パソコン持ってなく、自分用スマートフォンでブログ書いてる。完全ブログ等インターネット使用のもので通話他はやらない。だから西暦2014年位からは部屋からも持ち出さない。祖母の携帯電話を借りていたのはXPERIAの機種変更まで。西暦2015年12月から3つ目スマートフォンAQUOS。
西暦2017年7月18日:火曜日に4つ目スマートフォンQuaへ。
西暦2020年1月16日:木曜日に5つ目スマートフォンLGへ機種変更。

本物:佐藤篤代は43才以降、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやショートパンツ系をやめた。
35才(西暦2011年夏の終わり)~42才までの髪型
(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )をガラリと変え茶髪もやめた。前髪はなくし(後髪とは違う長さ)、髪色は黒、セミロング。 
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。
42才になってから少しずつ変えて43才の誕生日過ぎてある長さに達したら固定。西暦2019年5月14日:火曜日で固定決定。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。
インターネット上のブログやそれに似た全てのシステムにおける本物:佐藤篤代の活動はこれ以外に人生で一切ない。

※佐藤篤代のブログは西暦2020年1月現在2つだが、 全体的に不当投稿禁止や色々制限や妨害が多く、同じ本文内容を投稿するが型が異なる。全然無理な場合を除いては、本文はできる限り全部投稿(コメントまで入れる場合もあり)。

西暦2020年段階の概念:佐藤篤代

佐藤篤代の独自の提唱概念:前置き

【A Course in Miracles】歪みを取り除いた結果の概念リンク集:佐藤篤代/西暦2020年


佐藤篤代:独自の提唱概念リンク集/西暦2020年
https://ameblo.jp/universalacim/entry-12573933456.html

佐藤篤代の概念用語集リンク/西暦2020年

佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

人間の現実性の中での基本的情報提示:【日本】とは/佐藤篤代

無法地帯【異世界】影響を制し限界へ陥らせる為の情報提示:佐藤篤代/西暦2017年

【狂乱異常例提示】リンク集

【狂乱近藤異世界】長年のストーカータイミング狙いパターン

【狂乱異常例提示】その他リンク集

【狂乱異常例提示】世の中の出来事:リンク集/佐藤篤代

人間の現実性の中での基本的情報提示:リンク/佐藤篤代

西暦2020年版佐藤篤代のリンク集

西暦2020年版佐藤篤代のプロフィール

佐藤篤代の日記リンク(西暦2012年~)
43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html








【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい例外は一切ありません
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。
【リブログ】は機能開始時から禁止しており、元から出来ないように設定してあります。これは似たようなあらゆる機能によるシェアを禁じるという意味です。

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html

【例外なく皆このブログから立ち去って下さい。誰とも関わりません:佐藤篤代】
https://ameblo.jp/universalacim/entry-12306413127.html

【このブログにあらゆる手段で関わろうとする方々へ】

佐藤篤代

【A Course in Miracles】
歪みを取り除いた結果の概念(34)
世界の終わり
佐藤篤代/西暦2020年

西暦2020年5月8日:金曜日
5つ目スマートフォンLGから投稿