概念:佐藤篤代/西暦2019年後半(97)
西暦2019年12月27日:金曜日

後半(97)
【『A・Course・in・Miracles』
一切分岐なしの一本道の世界】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+前置き
②この個体が主人公として在る『この領域』は、【一切の分岐なしの一本道】だ。選択肢があるようで実際は一切無い。そういくつかの選択肢に迷うように、そして定められた1つだけを選択するように、固定化されている。この個体の物心ついた一番最初の記憶がある時点からだろう。そこから一切の分岐もなく一本道だけが繰り広げられてきたともはや疑いの余地はない。エゴの初期段階の基盤欠落の度合いを見せられてきて、もう解った。より初期段階エゴほどこの領域の実際を何も知らないし、わかっていない。だから、この個体段階でエゴが世界のやり直しを余儀なくされるのは、見掛けのハリボテの相違なんかであるはずがないのであり、100%概念の中身だ。これは疑いの余地はない。そして、エゴの段階がこの個体段階の概念レベルにあったら、エゴは『歪める』ことにより『世界のやり直し』が余儀なくされ、しかも歪めるのを断念するまで無意味な無限ループに陥らされるという繰り返しを延々と嫌という位に経験してきたのは間違いない。その上で無意味過ぎる無限ループに自らはまるという選択はしない。そうじゃなければ、この個体段階の概念を世界に作り出せない。というわけで、結論として、もはや疑いの余地はないレベルに、この個体が主人公の『この領域』は一切分岐がない一本道だと断定してよいと考えられるわけだ。『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』である『この領域』に分岐は一切あり得ない。その考えに至った時、【A・Course・in・Miracles】の『The Branching of the Road』の象徴的意味が判明した。恐らく一本道へ至る分岐点は、西暦2012年春段階のこの個体の概念段階だ。勿論、この領域で分岐するわけじゃなく、その時点の概念段階がもう一切の分岐がなくなった概念段階だという意味だ。多分、西暦2012年4月22日の時点の概念段階だろう。西暦2011年段階の概念段階からもうまもなく分岐が無くなる概念段階に至っていたのだろうと窺える。確かにそこだろうと思える。何故なら、第二期ブログを開始してから、インターネット上で『他者』とのやり取りから、確実に【異世界】が判明したし、概念が誰とも分かち合えないのだとはっきりしたからだ。特別性の完全な終わりの段階だった。それと同時に、【A・Course・in・Miracles】の書籍も組織もエゴしか作っていないという事実に気づいた。組織を作るのはエゴだけだったと気づいた。それで、完全にこの個体は自分1人だけで真実を追究しなくてはならないという確信に至った。真実は他者と分かち合えない。何故なら、『特別性』を完全に棄てなければならないから。そこから、自分自身に対する『特別性』も本格的に棄てられ始めた。だから、この個体:本物:佐藤篤代は、自分のことを『この個体』と書いている。要するに完全に『特別性を棄てる』というその段階が、分岐の完全な終わりだった。そりゃそうだろう。それは、エゴが『特別性』を用いて欺くことの終わりだったからだ。考えてみれば簡単な事実だ。その『特別性の完全な終わり』である『分岐の完全な終わり』の時点で、エゴは【終わらせる為に作用する何か】の『【異世界】間漏れ作用』で100%漏れた通りに世界を作る選択をしたわけだ。というわけで、『The Branching of the Road』とは、世界の中の主人公じゃなく、エゴに関する内容だったと言える。その道の分岐点で、もう一切分岐しない一本道を行く選択をしたのはエゴだ。歪めて世界を作ることの終わりだった。【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用は、エゴに最後に作らざるを得ないよう誘導した『この領域』に照らし合わせて、対比思考システムを用いて、エゴのやりたい放題が、世界が現実ならばという観点から、どんなインチキ自白証拠状態をもたらすかを突き付ける

【①【A・Course・in・Miracles】原文等引用+前置き】

西暦2015年終わり頃から、西暦2017年に至るまで「特別性」に関する概念記事を書いてきた。
去年西暦2018年に引き続き今年西暦2019年も、これまでに引き続くが、この本物:佐藤篤代が目の当たりにした、この領域(世界)に表された【異世界】段階の非現実・非人間性を徹底的にツッコミし、知覚ある世界全ては例外なくエゴが作ったインチキだと証明する。

本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と言われる、歪みとしか言いようがない作用を【終わらせる為に作用する何か】と呼んでいる。

[引用箇所]
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON132
6-(2~5)

▽以下引用

LESSON132

6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)

西暦2019年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

この本物:佐藤篤代の概念記事は
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を大前提に矛盾なく徹底的に追究し、以下の核心概念を元に書いている。

【A・Course・in・Miracles】の核心
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代は以上のこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。

【A・Course・in・Miracles】において「forgiveness(赦し)=知覚ある世界の全てをエゴが作った幻想と見ること」。



【②上記】

ニュースリンク(西暦2014年4月~)

(2019.12.23)
(西暦2019年12月22日:日曜日の超常現象レベルのストーカーについて)
こういう超常現象や怪奇現象や心霊現象になるような表れの【偽物世界】は、世界基盤概念が欠落しきっているのが丸わかりだ。ハリボテだけ外面的にだけ似せれば誤魔化せると致命的に錯覚している。だからこそ、超常現象レベルの表れにしかなれない。だからこそ判明した。【本物】の『この領域』では世界のやり直しは行われていない一本道ルートだ。要するに、【本物】により近い世界段階では、ハリボテ見せ掛け外面的な違いによる世界のやり直しレベルにはないんだよ。すべては中身。すべては概念なんだよ。概念の歪みが世界のやり直しの引き金となるのみ。しかも概念といっても最終的概念だ。概念の歪みをそぎおとしていく。それが世界のやり直しの要。だから、見せ掛けだけ似てるとか似てないとかの問題なんか、概念が要とはまだまだなってすらいない、前々の太古の太古の【偽物世界】なんだよ。だからこそ、表れが超常現象や怪奇現象や心霊現象となる。完全に、同じ世界だなんて言い張るのは厚かましすぎるレベルなんだよ。
要するに、この領域の本物に見せ掛け、ハリボテ、外面的に似せよう似せようとしている段階なんかは、この領域の本物から遥か程遠すぎる世界段階という証なんだよ。
最後(【本物】)に近づけば近づくほど、重要なのは、中身であり、概念なんだよ、エゴ!見せ掛けのハリボテなんかじゃない!
西暦2019年12月22日:日曜日にテレビをかけている部屋にいた時、『WHO』に関するニュースが出た。しかし、この領域の現実性の中の『WHO』が扱うに値するニュースの中身だった。今年の夏以来、久々に普通の『WHO』関連ニュースだった。この領域の現実性のニュースと言っていいだろう。韓国制作から安倍晋三首相フィクション大魔王が『WHO』概念を知らなすぎて、意味不明過ぎるニュースが多発してきて見るたびに慄然としてきたが、やっと、知ってる『WHO』の機関の中身のニュースだ。やっとフィクション大魔王段階エゴがそれが何かを知らない『WHO』を使うのを止めたか、ここに来て、やっとこの領域の現実性が突きつけられたかのどちらかだわな。基盤概念欠落度が怖いから本当に諦めて欲しい。
このように、『WHO』という名称だけ、ハリボテだけ知っていても、その概念の中身が食い違えば、それは【偽物世界(異世界)】の『WHO』となり果て、その食い違いから化け物による『WHO』にしか見えなくなるわけだよ、エゴ?
そして、『WHO』が何かの全容を、少なくともフィクション大魔王段階エゴは全く知らない。知らないならば、この領域の現実性の『WHO』と全く同じ『WHO』は絶対に作れない。解るよね?だって知らないんだから。そして、【終わらせる為に作用する何か】は、エゴが『WHO』を用いて欺きの意図から世界を作るのを完全に断念するまでは、その実際の全容を明かさない。だから、エゴは作れば作るほど、化け物じみた食い違い過ぎて【偽物世界(異世界)】アピールにしかなれない『WHO』を延々と作り続けることになる。その前々の世界段階の結果がこの領域に【知る手段】として表現されるので、この領域のこの個体は、その凄まじい食い違いから、その段階のエゴは『WHO』概念どころか『裁判・司法概念』すら欠落しきっていたという事実に気づいてしまった。【知る手段】としての役割を完全に果たしていたね、エゴ?だからね、その為だけに、フィクション大魔王の暴挙とかやりたい放題の世界改竄の前々の太古の【偽物世界(異世界)】の結果が象徴的にこの領域に表現されるんだよ、エゴ。
だからね、エゴは『この領域のあらゆる全容を知らない』んだから、『【異世界】間漏れ作用』で漏れた通りに、歪めることなく、欺きの目的も捨て去って、そのまんま真似して作るしか、『全く同じ』に作れる方法はないわけ。
【終わらせる為に作用する何か】が、エゴが何かを欺きの意図から作ったとしても、その何かのこの領域の全容は絶対に食い違いさせられてしまう。意味わかるかな?何を作っても絶対に食い違いは避けられないようにさせられてしまうってこと。だからこそ、エゴに欺きの意図が微塵でもある限りは、『この領域の現実性』と【本物】を『全く同じ』には作れないわけ。
欺きの意図を完全に捨てない限りは、『この領域』にも、【本物】にも、エゴは到達不可能だと言っている理由だよ。
だからさ、安倍晋三やトランプ二大フィクション大魔王で世界を改竄しようと躍起になってる段階の太古の段階のエゴは、世界改竄を目指し、歪みなんか作れば作るほど、この領域と【本物】から遠退くだけで、全容が全く認識不可能な事態に陥らされるだけだとそろそろ気づきなよ、何度も何度も言ってきたが。
歪める内は歪みしか見えなくさせられると気づきなよ、エゴ。


(2019.12.24)
無法地帯【異世界】影響を制し限界へ陥らせる為の情報提示:佐藤篤代/西暦2017年

【狂乱異常例提示】リンク集

【狂乱近藤異世界】長年のストーカータイミング狙いパターン

【今回:北隣【近藤】(仮)以外のその他】一部
(西暦2019年12月24日:火曜日)
突進・潜伏・待ち伏せ強行総動員!!帰宅狙いで住民一斉突進待ち伏せ壊れすぎタイミング狙いロボット最大級レベル!!平日クリスマスの極寒の日中最中に!!言い訳完全不可能大総動員発生!!近隣住民が言い訳不可能一斉突進と待ち伏せとか…本当に人間の現実性欠落しきった、【人間じゃない化け物】を死に物狂いで見せつけたくて見せつけたくて見せつけたくて仕方ない変態化け物ストーカー尽くし。魔法でしか存在できない安倍晋三フィクション大魔王のための【国民監視組織】アピールか?元自衛隊とかここ最近外出の度毎回タイミング狙い尽くしだ。丸出しだろ。しかも、長年繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しやり尽くしてきた繰り返しの同じパターンで。何故何故やり尽くしてきたパターンを再発させるんだ、知能欠落だろ、何度も何度も何度も長年ツッコミしてきたのに。そこまで長年繰り返しのパターンであからさまに非現実丸出しの人間じゃない化け物ストーカーをやられ尽くされたら、怒りが生じて当然だから。なんで、そこまで知能欠落なわけ?そこまであからさまに近隣住民一斉総動員突進・待ち伏せしたら、完全に化け物だろ?なぜ、未だにその非現実証明状態に気づけないんだ?
例えば、地響き轟音レベルの爆音が間近で発生し、窓から外を見たら何かが燃え盛り噴煙が発生していたみたいな事態なら、近隣住民は一斉に外に出るよ。当たり前に。何も起きてないのにそのレベルの一斉総動員を近隣でやり尽くしたら、しかも平日の日中に普通人口密度が低くなる何もないど田舎の住宅地で、しかも長年繰り返し同じパターンでやり尽くしてきたら、そりゃもはや100%近隣住民は現実の人間の生活は送っていない。そのレベルを長年繰り返しやってきているわけ。
例えばね、近隣に小規模交通事故が発生したとする。あるいは救急車が1台近隣にやってきたとする。それくらいじゃ、近隣住民は一斉に外に出尽くしたりはしない。窓から外を見る位が普通。その事態だって、そんなに一斉に近隣住民総動員で外には出ない。
何が起きたか確認せずにはいられない正体不明の轟音爆発レベルなんだよ、その一斉総動員近隣住民発生事態は。だから、
そんな現実の人間存在不可能だと早く気づけよ、エゴ!!本当に怒り心頭に発するから!ここまでやりつくしたら、野生ヒグマに群がる観光客と同然の人間の現実性欠落だから。『WHO』概念も『裁判・司法』概念もそりゃ欠落しきった化け物だ。『裁判所なのに【お客様】』レベルの人間の現実性欠落度だ。あまりにもあまりにもあまりにも!!!世界基盤概念欠落しすぎなんだよ、エゴ。根底に殺害モード全開【偽物世界】の血の痕跡があるから、不可能言い訳非人間化け物丸出し表現に成り果てるんだよ、エゴ。延々と不都合存在をありとあらゆる手段で排除不可能だったと丸わかりになる『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』である最後の世界【この領域】。延々とやりたい放題にやり尽くしてきた問答無用の突進・潜伏・待ち伏せ殺害の痕跡はもはやこの領域段階では取り繕い不可能ってこと。言い訳事態が非人間化け物丸出しとなるのみ。
こんな非人間・非現実証明尽くしの表れだらけじゃ、もはや世界は終わるしかないよ、エゴ。こんな強行非現実事態じゃ、世界が現実性として機能できるわけがないからな。
まず、裁判所で「お客様」とか言ってしまうレベルの基盤概念欠落じゃ、ありとあらゆる世界の仕組みの機能不全に陥るから。まずな、そんな欠落レベルじゃ、現実性の詐欺としても成立不可能なんだよ。そんな詐欺、誰も騙せない。裁判所で「お客様」とか言うわけがないと現実の人間なら、子供でも判るからな。
ここまでの世界基盤概念欠落は化け物としか言いようがない


(2019.12.25)
【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、『【異世界】間漏れ作用』によりエゴに世界の作り直しを余儀なくさせて、作る世界の方向性を誘導して最後の世界に最後の結果として作らざるを得なくさせたのが、この領域(あるいは最後により近い世界)。だから、表れるすべては『知る手段』として、パズルのようになっている。エゴが各【異世界】段階で何をやろうとし作ったかが窺い知れるように象徴として表現されている。だからこそ、【異世界】の表れは、この領域の現実性に照らし合わされて『浮く』。この領域の世界構造や概念の現実性とはかけ離れすぎていて、ギャップが『浮き』過ぎるから、【異世界】の表れだと一目瞭然となる。 
だからこそ、『この領域』の事実ー最終結果はエゴに消すことなんかできやしない。いかに【異世界】段階で隠せたようにみえたとしても、エゴには『この領域』を消滅させることはできない。

だからこそ、いずれ、エゴが隠してきたすべては露となる。それは避けられない。
すべてが絶対に隠せなくなる。 

『この領域』は【終わらせる為に作用する何か】が『【異世界】間漏れ作用』により、エゴの作る世界の方向を誘導した果てに、世界のやり直しの末にエゴが不承不承否応なしに作らされた『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』。だからこそ、すべてが象徴的に表されている。すべては【知る手段】に過ぎないから。

数日前に指摘したのだが、この個体が主人公として在る『この領域』は、【一切の分岐なしの一本道】だ。選択肢があるようで実際は一切無い。そういくつかの選択肢に迷うように、そして定められた1つだけを選択するように、固定化されている。この個体の物心ついた一番最初の記憶がある時点からだろう。そこから一切の分岐もなく一本道だけが繰り広げられてきたともはや疑いの余地はない。

エゴの初期段階の基盤欠落の度合いを見せられてきて、もう解った。
より初期段階エゴほどこの領域の実際を何も知らないし、わかっていない。
だから、この個体段階でエゴが世界のやり直しを余儀なくされるのは、見掛けのハリボテの相違なんかであるはずがないのであり、100%概念の中身だ。これは疑いの余地はない。

そして、エゴの段階がこの個体段階の概念レベルにあったら、エゴは『歪める』ことにより『世界のやり直し』が余儀なくされ、しかも歪めるのを断念するまで無意味な無限ループに陥らされるという繰り返しを延々と嫌という位に経験してきたのは間違いない。その上で無意味過ぎる無限ループに自らはまるという選択はしない。そうじゃなければ、この個体段階の概念を世界に作り出せない。

というわけで、結論として、もはや疑いの余地はないレベルに、この個体が主人公の『この領域』は一切分岐がない一本道だと断定してよいと考えられるわけだ。『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』である『この領域』に分岐は一切あり得ない。

その考えに至った時、【A・Course・in・Miracles】の『The Branching of the Road』の象徴的意味が判明した。
恐らく一本道へ至る分岐点は、西暦2012年春段階のこの個体の概念段階だ。勿論、この領域で分岐するわけじゃなく、その時点の概念段階がもう一切の分岐がなくなった概念段階だという意味だ。多分、西暦2012年4月22日の時点の概念段階だろう。西暦2011年段階の概念段階からもうまもなく分岐が無くなる概念段階に至っていたのだろうと窺える。
確かにそこだろうと思える。
何故なら、第二期ブログを開始してから、インターネット上で『他者』とのやり取りから、確実に【異世界】が判明したし、概念が誰とも分かち合えないのだとはっきりしたからだ。特別性の完全な終わりの段階だった。それと同時に、【A・Course・in・Miracles】の書籍も組織もエゴしか作っていないという事実に気づいた。組織を作るのはエゴだけだったと気づいた。それで、完全にこの個体は自分1人だけで真実を追究しなくてはならないという確信に至った。
真実は他者と分かち合えない。
何故なら、『特別性』を完全に棄てなければならないから。
そこから、自分自身に対する『特別性』も本格的に棄てられ始めた。だから、この個体は、自分のことを『この個体』と書いている。
要するに完全に『特別性を棄てる』というその段階が、分岐の完全な終わりだった。
そりゃそうだろう。
それは、エゴが『特別性』を用いて欺くことの終わりだったからだ。考えてみれば簡単な事実だ。

その『特別性の完全な終わり』である『分岐の完全な終わり』の時点で、エゴは【終わらせる為に作用する何か】の『【異世界】間漏れ作用』で100%漏れた通りに世界を作る選択をしたわけだ。

というわけで、『The Branching of the Road』とは、世界の中の主人公じゃなく、エゴに関する内容だったと言える。
その道の分岐点で、もう一切分岐しない一本道を行く選択をしたのはエゴだ。
歪めて世界を作ることの終わりだった。

書籍『A Course in Miracles』(原書)より初引用
『Ⅳ. The Branching of the Road
1. When you come to the place where the branch in the road is quite apparent, you cannot go ahead. You must go either one way or the other. For now if you go straight ahead, the way you went before you reached the branch, you will go nowhere. The whole purpose of coming this far was to decide which branch you will take now. The way you came no longer matters. It can no longer serve.
No one who reaches this far can make the wrong decision, although he can delay. And these is no part of the journey that seems more hopeless and futile than standing where the road branches, and not deciding on which way to go.』
書籍『A Course in Miracles』(原書)より初引用

何故一切分岐しない一本道について書いたかというと、見せ掛けのハリボテだけを似せた【偽物世界】段階の悪影響が最近来すぎているせいだ。
そのせいで、超常現象、怪奇現象、心霊現象レベルの悪影響が酷い。
だから、見せ掛けだけ似せた【偽物世界】の無意味さをはっきりさせる必要性を感じたわけだ。

挙げ句の果てには、『並行世界(パラレルワールド)』という言い訳すら持ち出しそうだったから、ここははっきりさせる必要があった。

この個体の『この領域』には、分岐は一切無い。
要するに、朝にパンやそれともご飯を食べるとか些細な違いで分岐するなんて一切あり得ないということだ。
この個体段階の最重要事項は、概念だ。
日常生活の細々とした選択肢なんかで、分岐したりは一切しない。
そして、別の選択肢から、分岐して、友人がいる世界があったり、恋人がいる世界があったり、結婚したり子供がいる世界があったり、信頼できる誰かがいる世界があったり、真実を一緒に追究している誰かがいる世界があったり…という並行世界は一切無い。
この領域は一切の分岐なき一本道。
選択肢があるように見えても、【終わらせる為に作用する何か】が用意した選択しか行えない。可能性の世界は一切存在しない。
これは【終わらせる為に作用する何か】の計画だ。
エゴが歪めて世界を作る選択を完全に止めた段階では、もはや分岐は生じ得ない。
『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』である『この領域』は完全に分岐なしの一本道というわけだ。

だから、並行世界という言い訳が通用する段階じゃないと知るべき。

小説『僕が愛したすべての君へ』より引用
『この世界には数多くの並行世界が実在し、人間は日常的に、無自覚にその並行世界間を移動している。移動は物理的に肉体が移動するわけではなく、意識のみが並行世界にいる自分と入れ替わる形で行われる。この時、時間は移動しない。
近くの並行世界ほど元の世界との差異は小さく、極端に言えば、一つ隣の世界とは朝食が米だったかパンだったか程度の差異しかない。
また、近くの並行世界ほど無自覚に移動してしまう頻度は高く、移動している時間は短い。これらが人々が並行世界間移動に気づかない理由である。そのため「あそこにしまったはずのものがない」「一度探したはずの場所から探し物が出てくる」「約束の日時を勘違いしていた」などの、いわゆる記憶違い、勘違い、物忘れといった現象が起こる。
ごくまれに、遠くの並行世界へ移動してしまうケースもあると思われる。遠くの世界ほど元の世界とかけ離れており、そこへ移動してしまった人間は、自分があたかも異世界に迷い込んだかのように思うはずである。
この並行世界間移動のことを『パラレル・シフト』と名付ける。』
小説『僕が愛したすべての君へ』より引用

こんな言い訳は通じない。

並行世界を言い訳にしようとしているエゴ段階に解るように言ってやろうか。

この小説『僕が愛したすべての君へ』では、別世界の主人公(B)の伴侶(B)が子供を通り魔に殺害されて、子供が生きている並行世界(A)へ跳んだ。その代わりに子供が死んでいない世界の主人公(A)の伴侶(A)が殺害の世界に移動された。B世界の主人公はA世界の伴侶を憎み、謝罪にきた犯人の妻を殺害し、その罪をA世界の伴侶に被せて、A世界に戻れなくさせることで、B世界の伴侶が子供が生きているA世界で幸せに暮らせるように画策した。

このように、並行世界とは、何か事件があれば結果が全く異なり、同じ人物だろうとも、そこからの言動も大きく変わるわけだ。
しかし、何があっても『変わらないもの』がある。それはその人物の『固定された性質』みたいなものだ。『基盤の性質』。それは、生まれ育った環境の相当な食い違いから、相当かけ離れた世界じゃないとまず変わらない。

まず、大切な誰かを殺害されたからと、その手段があるからと、別の並行世界に跳ぶかーーという問題。
大切な人が幸せになるために、誰かを殺害してまで、誰かを犠牲にするかというような問題。
そういう基盤性質は、そうは変わらない。

そして、この個体で言えば、絶対に跳ばない。そして、大切な人が幸せになるために、誰かを犠牲には絶対にしない。これはこの個体の固定化された基盤性質からだ。これを概念レベルと言ってもいい。しかも、この個体の、というよりこの世界、この領域の概念レベルからということだ。
基盤性質のボーダーラインだ。
もしこれが起きたら、こう言動するという基盤性質ボーダーライン。
それは、各世界段階の各主人公としては確実に固定される。
というわけで、生まれ育った環境の食い違いとかそういう基盤性質ボーダーラインを変えてしまうような別の選択肢の要因の並行世界は生じない。

というわけで、この基盤性質ボーダーラインから外れたすべては、別世界の別人と断定される。完全にこの個体じゃない。

そして、何故、この個体は大切な誰かを失って、大切な人が生きている並行世界に跳ばないのか、という問題だ。
それは、『そんなことをしても何の問題の解決にもなれないから』だ。
それは『他者依存』だ。
他者が自分の『幸せ』の欠かせない要素に成り果てている。その他者を失うことが『不幸』に直結してしまっている。
自分を『幸せ』にさせるのは『他者』じゃないーーその事実に気づかず、盲目に依存し、寄りかかり、自分の足で立とうとしていない。
自分の感情を混乱させる原因を自分の外側に見ているとそうなる。
この個体はその概念段階にはない。
『そんなことをしても何の問題の解決にもなれない』と知っている。
そして、大切な人を幸せにするために誰かを犠牲にしても、その大切な人が本当に幸せになれるなんて一切考えていない。巡り巡りその代償はやって来る。そんなことは本当に他者の幸せを考えている者の選択じゃない。
『そんなことをしても何の問題の解決にもなれない』どころか袋小路だと知っている。不幸のサイクルに苛まれるだけ。
そう知っているこの個体は、それらの不毛過ぎる選択肢を一切取らない。

そして、この個体には大切な誰かは存在しない。
大切な誰かとはやはり『依存』だ。
エゴが作った特別性のまやかしへの『依存』だ。
そして、この個体段階には、そんな特別性のまやかしへの『依存』の選択肢は一切生じない。
何故なら、もう前々の段階の世界で、確実に別の主人公段階で、その課題は終わっているからだ。
もう終わった課題は再発しない。
課題というのは、その『概念レベル』に達する為の課題であり、エゴの選択肢の問題だ。
要するに、その概念レベルを世界に作るエゴの選択がなされれば、同じ課題は繰り返されない。

こういう意味で、『概念レベル』こそが、各主人公段階の基盤性質ボーダーラインを決定しているわけだ。

だからこそ、この個体、本物:佐藤篤代が絶対に選択する筈がない選択肢という種類が生じている。
やるわけがない種類が多々ある。
もうエゴの世界制作の概念レベルの推移により、終わった課題の種類がある。そういう種類はやらないわけだ。

この個体の絶対基盤性質ボーダーラインは、真実以外の何もいらないということ、そして唯一にして最大の願望は、知覚の完全な終わりーー要するに世界の終わりーーそれしか望んでいない。
だからこそ、その為だけにしか生きていない。
その為に絶対不可欠だからこそ、エゴの欺きの意図すべてを終わらせる為に、【終わらせる為に作用する何か】に全面的な協力をする決意しかない。
その為に必要なすべてしかやらない。
それがこの個体、本物:佐藤篤代だ。

この基盤性質ボーダーラインは、この領域段階のエゴにしか作れない。
だから、どんなに容姿を似せようが、外見、髪型、服装、話し方、声その他を似せようが、すべてが【偽物世界の偽者】にしかなれない。

なぜ、今更、この個体、本物:佐藤篤代に特別な大切な誰かが生じるわけがあるんだ?
特別性の正体を完全に知り、すべての特別性を棄てているこの個体、本物:佐藤篤代が。
あり得ないと知りなよ、何もわかっていないハリボテだけを似せて【本物】にさせようと躍起になってる太古の段階エゴ?

本当に、化け物にしかなれない醜悪な特別性の茶番劇をこの個体に関連づけるのを止めろ。
大迷惑なんだよ。本当に反吐が出る。

この個体、本物:佐藤篤代は、何を言動していようが、エゴ意図すべてを崩壊させる為にしか言動していない。【終わらせる為に作用する何か】の、エゴ意図を完全に終わらせる手段として、だ。


(2019.12.26)
前日の続きだが、要するに、もう一切分岐なしの一本道にさしかかる『道の分岐点』で、エゴこそが『特別性』を棄てたということだよね。
本当に棄てたのは、世界の内側のこの個体でも、あらゆる個々の存在でもなく、その作り手のエゴだった。
本当に【選択】をしなくてはならないのは、エゴが作った個々の存在じゃなく、エゴこそだった。
考えてみれば当たり前だったね。
【終わらせる為に作用する何か】は、エゴにこそ【選択】をさせようと誘導してきた。
【終わらせる為に作用する何か】が本当にメッセージを与えているのは、エゴこそなんじゃないかとこれでは思えてしまうね。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2019年後半(97)
【A Course in Miracles】
一切分岐なしの一本道の世界
西暦2019年12月27日:金曜日


西暦2019年
(年号:
4月30日:火曜日まで平成31年
5月1日:水曜日から令和1年〈元年〉)
亥年現在

【佐藤篤代について】

[blogで言ってる主旨]

 この本物:佐藤篤代のブログは
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

[佐藤篤代]

【A・Course・in・Miracles】管理者で世界で最も【A・Course・in・Miracles】の意味を理解している筈のKenneth・Wapkickすらも、手紙のやり取り等から、歪みと特別性の保護しか教えていなかったと西暦2012年に判明している。
また【A・Course・in・Miracles】自体も本という型だけに完全な真実を表現できる筈がないとその頃までには気づいた。
その他の経験も含め、真実は他者とは絶対に分かち合えないと理解した。

だからこそ、特別性の保護というエゴの目的しかそこにはなく、無駄どころかエゴの目的通りになると知っているので、あらゆる個々の存在と真実を分かち合うという目的からコミュニケーションを取ることは一切しない。

真実はあらゆる個々の存在と分かち合うのではなく、真実(知ってきた全て)を提示することで、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】の【異世界】間の『漏れ作用』により、エゴが作った全ての領域に拡大されると考えている。
エゴはそれで世界に矛盾が生じるので、漏れて隠せない要素を採り入れながら世界を作り直さなくてはならない。それが真実が拡大される再利用システムだと考える。
詳しくは西暦2015年段階の概念に書いてある。 

故に、佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2019年)
佐藤篤代は西暦2019年1月17日(木曜日)で43才
栃木県宇都宮市のド田舎生れ
ずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し


西暦2019年段階の概念:佐藤篤代

佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

人間の現実性の中での基本的情報提示:【日本】とは/佐藤篤代

無法地帯【異世界】影響を制し限界へ陥らせる為の情報提示:佐藤篤代/西暦2017年

【狂乱異常例提示】リンク集

西暦2019年版佐藤篤代のリンク集

西暦2019年版佐藤篤代のプロフィール

佐藤篤代の日記リンク(西暦2012年~)
43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html








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https://ameblo.jp/universalacim/entry-12306413127.html

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佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2019年後半(97)
【A Course in Miracles】
一切分岐なしの一本道の世界
西暦2019年12月27日:金曜日
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