概念:佐藤篤代/西暦2018年前半(55)
西暦2018年5月5日:土曜日

前半(55)
【『A・Course・in・Miracles』
日本国憲法構造がこの領域】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+前置き
②日本国憲法構造こそが『この領域』の世界構造と概念の現実性と言える。【異世界】だけがこの日本国憲法を破壊したがる。安倍晋三政権が「改憲・改憲」と狂ったように叫ぶのは、基本的人権その他基本的自由を保障し、平和主義の日本国憲法を破壊したいからだ。そういう戦前・戦中の権力集中を取り戻し国家を思いのままに操りたい破壊者の登場を予期して、日本国憲法は変えられ難くなっていた。ほとんどの国はこの国際社会で孤立したら著しい衰退を引き起こす。そして現実性の中では、世界は協調し、人の基本的人権その他基本的自由を保障し、世界平和へ推し進めようとする流れにある。そんな中で非武装の国を攻撃したら攻撃した国は孤立する。だからこそ、武力と戦力放棄した日本は戦後侵略されなかった。武力だけが力じゃないという証拠だ。力学的な問題は、確実に「無防備は力」であると証明している。更に、日本国憲法は「外部からの強制」だと全否定する『日本会議』などは、人間の本質を知らないと丸出しだ。人間は自分や身内に甘く、弱い。排他的利己主義思考の当時の政権が憲法や体制を作っていたら確実にまた侵略戦争に走った。「外部からの強制」故に、そしてその「外部」の観点が世界的なリベラル的流れから、より正常な方向へ縛られていた為に、日本は戦後、経済発展しより平和でよりまともな方向へ向かえたのだ。「外部からの強制」の日本国憲法と体制がなければすぐに日本は地獄に舞い戻っていた。要するに、日本国憲法を全否定する者は明らかに権力集中で国家を思いのままに操りたい危険思想者だということだ。もはや【異世界】しか否定しないくらいに、日本国憲法はより健全な思考システムだ。【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用はこの領域に照らし合わせて、対比思考システムを用いて、エゴのやりたい放題が、世界が現実ならばという観点から、どんなインチキ自白証拠状態をもたらすかを突き付ける

【①【A・Course・in・Miracles】原文等引用+前置き】

西暦2015年終わり頃から、去年西暦2017年に至るまで「特別性」に関する概念記事を書いてきた。
今年西暦2018年は、これまでに引き続くが、この本物:佐藤篤代が目の当たりにした、この領域(世界)に表された【異世界】段階の非現実・非人間性を徹底的にツッコミし、知覚ある世界全ては例外なくエゴが作ったインチキだと証明する。

本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と言われる、歪みとしか言いようがない作用を【終わらせる為に作用する何か】と呼んでいる。

[引用箇所]
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON132
6-(2~5)

▽以下引用

LESSON132

6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)

西暦2018年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

この本物:佐藤篤代の概念記事は
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を大前提に矛盾なく徹底的に追究し、以下の核心概念を元に書いている。

【A・Course・in・Miracles】の核心
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代は以上のこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。

【A・Course・in・Miracles】において「forgiveness(赦し)=知覚ある世界の全てをエゴが作った幻想と見ること」。



【②日本国憲法構造こそが『この領域』の世界構造と概念の現実性と言える。【異世界】だけがこの日本国憲法を破壊したがる。安倍晋三政権が「改憲・改憲」と狂ったように叫ぶのは、基本的人権その他基本的自由を保障し、平和主義の日本国憲法を破壊したいからだ。そういう戦前・戦中の権力集中を取り戻し国家を思いのままに操りたい破壊者の登場を予期して、日本国憲法は変えられ難くなっていた。ほとんどの国はこの国際社会で孤立したら著しい衰退を引き起こす。そして現実性の中では、世界は協調し、人の基本的人権その他基本的自由を保障し、世界平和へ推し進めようとする流れにある。そんな中で非武装の国を攻撃したら攻撃した国は孤立する。だからこそ、武力と戦力放棄した日本は戦後侵略されなかった。武力だけが力じゃないという証拠だ。力学的な問題は、確実に「無防備は力」であると証明している。更に、日本国憲法は「外部からの強制」だと全否定する『日本会議』などは、人間の本質を知らないと丸出しだ。人間は自分や身内に甘く、弱い。排他的利己主義思考の当時の政権が憲法や体制を作っていたら確実にまた侵略戦争に走った。「外部からの強制」故に、そしてその「外部」の観点が世界的なリベラル的流れから、より正常な方向へ縛られていた為に、日本は戦後、経済発展しより平和でよりまともな方向へ向かえたのだ。「外部からの強制」の日本国憲法と体制がなければすぐに日本は地獄に舞い戻っていた。要するに、日本国憲法を全否定する者は明らかに権力集中で国家を思いのままに操りたい危険思想者だということだ。もはや【異世界】しか否定しないくらいに、日本国憲法はより健全な思考システムだ。【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用はこの領域に照らし合わせて、対比思考システムを用いて、エゴのやりたい放題が、世界が現実ならばという観点から、どんなインチキ自白証拠状態をもたらすかを突き付ける】

ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達(リンクまとめ)

(2018.5.3)
以下書籍『国家の共謀』より引用
『●憲法学者も見逃す改正憲法の本当の意味は何か?
現在の憲法第九条をごく普通に読めば、だれでも自衛隊があることがおかしいと思う。
現に、自衛隊を持つことさえ違憲だという学説が通説だった時代もある。その後、いろいろな理論で自衛隊保持は合憲とされている。安倍首相の提案は、そのことを単に条文上、明確化しようというものだから問題はない……。
……と考えるのは、実は大変な間違いである。
これまでの憲法解釈として「自衛隊は合憲」という意味は、自衛隊があっても悪くはないが、決して「自衛隊がなければいけない」ということではない。「自衛隊を持たなくても合憲です」という意味を含んでいる。当たり前だとだれもが思うだろうが、意外とこの点が見過ごされている。
一方、「自衛隊を保持する」と書くと、これがまったく違った意味になる。それは、自衛隊の保持が「憲法上の義務」となるからだ。つまり、自衛隊を持たなければ憲法違反になってしまうのだ。「自衛のための軍隊なら持っても合憲、持たなくても合憲」という現状の合憲解釈とは、意味するところが百八十度違ってくるのである。
加えて、この条項に、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」というような修飾語が入ると、中国などから戦いを仕掛けられない程度の抑止力となる強力な自衛隊でなければ、憲法が定める「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保する」という目的を達成できないため、憲法違反という解釈が可能になる。
結果的に、強大な軍事力を持つことが、憲法の要請になってしまう。
この理屈が通ってしまうと、その後の日本はどうなるだろうか。
今の日本の軍事力では、増強を進める中国軍の脅威に対抗できない。こうした状況は憲法違反になるため、ほかの予算を削ったり、あるいは増税したりしてでも、軍備増強を図らなくてはならない。それが日本国憲法の要請なのだーということになる。
世界に列強国入りを目指し、軍備増強を図ろうとする安倍政権が、「憲法上の要請」という強力な後ろ楯を獲得するわけだ。
第九条の改正は、自衛隊の存在を追認することではなく、「世界トップレベルの軍事力を保持する義務がある」という意味を持つ規定を創設することになると考えたほうが良い。
残念なことに、「自衛隊保持」の深い意味を正しく理解している政治家はほとんどいない。正しく解説している新聞もない。憲法学者でさえ、これを強く指摘していないように見える。
九条3項追加は、「単なる現状追認の『加憲』」ではない。「日本国憲法の平和主義を否定する『壊憲』」である。そう考えれば、安倍首相が提案したことに納得がいくのである。安倍政権の狡猾な企みに、私たちは断固としつな「NO」と言わなくてはならない。』
以上書籍『国家の共謀』より引用

何度も言うように、だからこそ、安倍晋三政権に憲法改正をさせてはならないのだ。
安倍晋三政権は、憲法学者の90%が違憲と判断した、憲法解釈をごり押し変えて集団的自衛権の限定容認を閣議決定してしまい、挙げ句の果てには、「安保法制」を強行採決してしまった。
そんな、誰がどうみても無理がある強行状態で憲法解釈を無理矢理変えてしまうような政権に憲法改正なんかをさせたら、引用のようにやりたい放題に、ご都合主義に憲法を破壊されてしまう。それにより、ごり押し憲法解釈変更で、確実に、日本国民は、基本的人権と自由権その他の基本的な権利を安倍晋三政権に奪われる。これは絶対的な結論だ。
その安倍晋三政権の意図は憲法の前文をすべてなくそうとしていた事実により、一目瞭然だ。

以下書籍『憲法の無意識』より引用
『彼が提示したのは贈与です。しかし、それはお返しを迫るような贈与とは違います。たとえば、神に祈るとき、それはたんに祈るのであって、神に願いごとをかなえるよう迫ることではない。だから、私はこのような贈与を純粋贈与と呼びます。右の頬を打たれたとき、左の頬を出すのは、見たところ、無力の極みです。しかし、ここには、互酬交換の力を越えるような、純粋贈与と力があるのです。「愛の力」といてもいいのですが、それはたんなる観念ではなく、リアルで唯物論的な根拠をもつのです。
私はその例として、憲法九条における、戦争放棄、武力の行使の放棄を考えてみたいと思います。武力の行使の放棄は、敗戦・被占領の下では普通に生じる事態です。しかし、日本の戦後憲法における戦争放棄は、敗戦国が強制的に武力を放棄させられることとは違います。それは何というべきでしょうか。私は、贈与と呼ぶべきだと、と思います。
では、誰に贈与するのか。先に引用したように、憲法の前文にはこうあります。《われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ》。したがって、九条における戦争の放棄は、国際社会に向けられた「贈与」なのです。
このような贈与に対して、国際社会はどうするだろうか。これ幸いと、攻め込んだり領土を奪うことがありうるでしょうか。そんなことをすれば、まさに国際社会から糾弾されるでしょう。したがって、贈与によって無力になるわけではなない。その逆に、贈与の力というものを得るのです。それは、具体的には国際世論の圧力というかたちをとりますが、その圧力は軍事力や経済力とは別のものであり、また、それらを越えたものです。』
以上書籍『憲法の無意識』より引用

これまでずっとこの個体が言ってきたことが本に書かれていた。要するに、この概念、論理はこの領域の世界構造と概念の現実性の中の【人間レベル】の概念だと確実に言えるわけだ。
別に【A・Course・in・Miracles】段階の概念レベルになくとも、成功法則レベルの概念レベルで理解できる概念だからね。

この世界では、自給自足が可能な国などほとんどない。ほとんどの国が、自国以外の外国との交易(輸出入)により、足りないものは輸入して補い、過剰なものや得意分野は輸出して利益を生み出している。日本では食糧をほとんど外国からの輸出に頼っているし、ほとんどの国は燃料等は中東などの産地から輸出している。
だからこそ、国際社会で孤立してしまったら、確実にこれまで供給できていた種類が枯渇する。日本ではまず致命的レベルで食糧問題や燃料枯渇が起きる。輸出入に頼っていた産業は崩壊するから経済もガタガタとなる。まず、これまでの生活水準は確実に保てなくなり、水準は著しく低下する。少なくとも鎖国していた江戸時代レベルの水準まで生活水準を下げなくてはならないかもしれない。ガスコンロはもう使えないから火をおこしてかまどで飯炊きをしなくてはならないだろう。壮絶レベルで困窮するのは間違いない。
ほとんどの国がそうなるだろう。

故に、国際社会から孤立する事態は、国家としては何としても避けたい。だからこそ、国際協調が目指されている。
第二次世界大戦前みたいに他国に戦争をしかけて侵略して資源を奪う、だって?ーそんなことをしても、戦争はすべてを破壊し困窮させ飢えさせるという体験をし、すべてを貧しくさせると解りきっていることを繰り返すのか?しかも、国連など国際協調を維持する圧倒的大多数の他国から押さえ付けられるのは確実だ。
不毛としか言いようがない。歴史から学習できない者は愚者としか言いようがない。

要するに、武力だけが力じゃないという証拠だ。
力学的な問題は、確実に「無防備は力」であると証明している。

武力による抑止力は、地球を滅亡させる方向へ向かわせる武力の増強を止められないと核兵器で人類は解った筈なのだ。だからこそ、核兵器廃絶の動きが世界で重視されている。核兵器は地球を蝕み、数発も使用すれば地球が汚染され尽くし破壊されると誰もが知っている破壊力だからだ。
だからこそ、武力による抑止力じゃない方向性が人類には必要だと判明した。
それが、日本のような、『戦力・武力の放棄』だったのだ。

人類は互いに助け合わなければ生きていけない。『排除して得る』のでは人類はいずれ滅びる。『助け合いで得る』のであれば、人類は良い方向へ向かえる。少なくとも人類が原因で地球は滅亡する可能性はぐっと低くなる。

同じ『得る』為にならば、地球が滅亡する可能性が低くなる手段を選ぶのが、進化した人類の選択だ。
それが解らないから、安倍晋三政権主力【異世界】は、進化から取り残されたガラパゴスであり、学習能力が欠落した、進化不可能な未開の『何か』なんだよ。
原始的にも程がある、知能欠落の手段をそろそろ棄てたらどうだよ?
排他的利己主義の極み【異世界】?

それに、より長い繁栄をもたらしやすいのはどちらか一目瞭然だろ?「奪い戦い得る」は全体を見ても最終的にもマイナスしか生み出さないが、「助け合い分かち合い得る」のは全体をプラスへ持っていくんだからね。勿論、後者さ。

学習能力がなく進歩できないのは人類とは言えないよ?
人類の知能に達しない、『人類じゃない何か』だよ。
進歩しなよ、未開の『原始的な何か』。

後々のエゴの手段だからあまり書きたくはないが「愛の力」ってのを知れよ。
「心配ないからね、 君の想いが誰かにとどく明日がきっとある。どんなに困難でくじけそうでも信じることを決してやめないで」
「信じることさ、必ず最後に愛が勝つ」って歌手のKANも歌ってるようにね。
要するに、それが成功法則概念さ。

「破壊力な力」はすべてを滅びへ向かわせるだけ。

 【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、『【異世界】間漏れ作用』によりエゴに世界の作り直しを余儀なくさせて、作る世界の方向性を誘導して最後の世界に最後の結果として作らざるを得なくさせたのが、この領域(あるいは最後により近い世界)。だから、表れるすべては『知る手段』として、パズルのようになっている。エゴが各【異世界】段階で何をやろうとし作ったかが窺い知れるように象徴として表現されている。だからこそ、【異世界】の表れは、この領域の現実性に照らし合わされて『浮く』。この領域の世界構造や概念の現実性とはかけ離れすぎていて、ギャップが『浮き』過ぎるから、【異世界】の表れだと一目瞭然となる。 
だからこそ、『この領域』の事実ー最終結果はエゴに消すことなんかできやしない。いかに【異世界】段階で隠せたようにみえたとしても、エゴには『この領域』を消滅させることはできない。

だからこそ、いずれ、エゴが隠してきたすべては露となる。それは避けられない。
すべてが絶対に隠せなくなる。

大変な状況とかって、『ハイキュー!!』のケンマ見てて頷けたんだけど、『攻略モード』に入る時って多々ある。難度が高いゲーム攻略的な。逆に、その逆境がモチベーションになって、絶対攻略してやる、的な状態になる。
今日の夕方からがまさにそうだった。
絶対攻略(やり尽くしてやる)的なモチベーションが凄かった。
だからさ、エゴは妨害しても仕方ないと知るべき。


(2018.5.5)
以下書籍『憲法の無意識』より引用 
『憲法九条は、アメリカの占領軍によって強制された。この場合、日本のような、軍事的復活を抑えるという目的だけでなく、そこにカント以来の理念が入っていたことを否定できません。草案を作った人たち(すべてではないとしても)が自国の憲法にそう書き込みたかったものを、日本の憲法に書き込んだのです。これは日本人に対する強制です。日本人はそのような憲法が発布されるとは夢にも思わなかった。日本人が「自発的」に憲法を作っていたら、九条がないのみならず、多くの点で、明治憲法とあまり変わらないものとなっていたでしょう。ソ連を理想化していた社会主義者も、憲法九条のような途轍もないものを考えるわけがありません。それより日本に「赤軍」を作ろうとしたでしょう。
しかし、まさに当時の日本の権力にとって「強制」でしかなかったこの条項は、その後、日本が独立し簡単に変えることができたにもかかわず、変えられませんでした。それは大多数の国民に間にあの戦争体験が生きていたからです。しかし、死者たちは語りません。この条項が語るのです。それは死者や生き残った日本人の「意志」を超えています。もしそうでなければ、何度もいうように、こんな条項はとうに廃棄されているはずです。
これは外的強制によるものです。そして、強制した当のアメリカ国家は、まもなく当初の戦略を改めて日本に改憲を要求してきたのですが、日本人はそれに従いませんでした。そのため、当時の政権はあいまいなかたちで自衛隊をつくったわけです。ここで、内村のケースを考えてみて下さい。彼に入信を強制した先輩たちが棄教して、内村のところにあらわれ、あれはまちがっていた、君もやめたほうがいい、そんな非現実的な信仰などやめろ、といいにきたとしたら。
彼らにそんな権利があるでしょうか。彼らは、自分が内村を作ったと思うかも知れないが、内村の信仰は、もはや先輩たちには何の関係もないのです。橋川文三がいう、戦争体験から超越者を日本の思考にもちこむということは、実は、この九条というマテリアルな形態においてこそあるのです。死者たちが語るというなら、そこでのみ語っているのです。この九条は、あとから日本人によって「内発的」に選ばれたものです。「あとから」ということが、大切です。「最初から」であれば、それはとうに放棄されています。私が主体的とか自発的という言葉を信用しないのは、このためです。』
以上書籍『憲法の無意識』より引用

この当たり前の傾向に気づけないからこそ、【異世界】段階はバカだというのだ。だから知能欠落なんだよ。思考能力が欠落しきっているから、こんな当たり前の思考に至らない。

戦前・戦中の日本を動かした政府やその思想に洗脳レベルで染まりきった大多数の日本人に、戦前・戦中体制や思想から自力で脱するなど不可能に近いだろうが。「天皇陛下バンザイ」とか「お国の為に」と敵地に特攻隊として死にに突撃するような病んだ思想では、日本にまた天皇のため、お国のための侵略戦争を引き起こしてしまう。GHQはその病んだ思想こそを危惧していた。だからこそ、日本をまた侵略戦争に向かわせない為にはどうすべきかを考えに考え抜いたのだ。
それくらいに戦中思想は病んでいた。
カルト宗教が、救済の為と盲信してテロを起こしてしまう位に危ういどころじゃない危険思想だ。オウム真理教がやった事件を見ればわかるだろうに。
それくらいに病んだ思想では、内発的に改善していくというのはとてつもなく難しい。不可能に近い位だ。また同じことを繰り返すのがオチなのだ。考えが変えられなければ、行き着く先は同じ(ような)結果だ。
日本国憲法下変わった日本の現在の正常な観点から見たら、「天皇陛下バンザイ」と特攻する人々を今現在目の当たりにしたらその病的な盲信状態にゾッとする。歴史的な観点から見れば、「あんなに酷いことを強いられてきたのだ。さぞ地獄だっただろう。あんな地獄の時代を二度と繰り返させてはいけない」と同情が生じる。そのより正常な観点を日本人が得られたのは、日本国憲法下の戦後日本体制故だ。そして、その日本国憲法と戦後体制は、自発的なものじゃなく、外からの強制だ。外からの強制じゃなければ、このより正常な観点は戦後日本人に生じなかった。
ただ、外からの強制というのも、より正常な観点からの強制だから良かった。病んだ観点からの強制だったら新たな地獄の始まりだった。外からの強制がより正常な観点だったのは、世界の動きが、すべての人に基本的人権その他基本的な自由を保障し世界平和を目指すリベラルな方向に力強く進んでいたからだ。それゆえに、日本は侵略地獄じゃなく、より平和で自由な方向へ向かっていけたのだ。

「日本国憲法はGHQが押し付けた憲法だ。強制されたものじゃなく、自分たちによる憲法を!自分たちで憲法を作るのだ!」的な『日本会議』のような思考は、完全に戦前・戦中思想に染まりきった政府の考えだ。第二次世界大戦を起こした日本政府の思考だ。戦前・戦中の中央集権政権を取り戻し、国を思いのままに操りたい願望なくしては、そんな考えは生じない。そのくらいに、日本国憲法は『天皇象徴』とか時代故にもう無くしていいと思う位の矛盾は抱えるものの、『変えない方がいい』と感じる位により正常な憲法だ。その憲法故に、日本人はこれまで、平和と国民主権と基本的人権その他基本的自由の権利を戦前・戦中のようにあからさまに奪われることなく来られたのだと思えてならない。

国家が戦争へ著しく向かいにくく、人の基本的なあらゆる権利が守られる理想的な憲法である日本国憲法を、終戦時に日本人だけでは絶対に作れなかった。
いわば、『本当に良い憲法』を外部から与えられた幸運に感謝したい日本人も多い筈だ。
その理想的な憲法を全否定するのは、政府に国家を思いのままに操る権力を取り戻したい、戦時中思想から脱け出せない過去の遺物だけだ。

敗戦国なのに侵略の地獄を味わわなくて済んだどころかより良い国に向かわせる為の手段を与えられた戦後の日本体制は、人の基本的人権その他基本的自由を保障し世界平和へ推し進めようとする世界の流れこそが生み出した壮絶な幸運だったのだ。

人間は弱い。自分に対する甘えが酷い。常に自己弁護をし、自分の利己的思考を守り、自分だけがよければそれでいいという排他的利己主義に走りやすい誘惑に駆られる生き物だ。
だからこそ、人類は何度も何度も同じ過ちを繰り返してきた。
人間の本質は本当に弱い。
だからこそ、日々精神的に進歩、成長しなければならないのだ、と言われるのがこの世界だ。

だからこそ、人間の社会に法やルールやあらゆる決まり事がなければ、人間の社会は混沌に満ち、無秩序となり、誰もがやりたい放題に奪い合い、傷つけ合う社会となる。
外からの強制がなければ、人間の社会は地獄化する。
人間はこのように、自らの欲望のままに生きれば、最悪な無秩序と混沌の地獄を引き起こす。だからこそ、自らの欲望を律する必要がある。
人間は自分に甘い。だから、自己抑制だけでは、欲望を抑えきれず、排他的利己主義に走りがちになる。
だからこそ、外部からの強制というものが必要となってくる。ただし、その外部からの強制とは、人の基本的人権その他基本的自由を保障し世界平和へ推し進めようとする世界の流れの中じゃなければ、更なる地獄を引き起こす。
その「外部」が排他的利己主義ならば、その強制は地獄化する。
要するに強制を与えられる「外部」の性質いかんで、地獄にも、より幸福で平和にもなり得るわけだ。
「外部からの強制」が常に「良い」どころか、多々「悪い」という事実も忘れてはならない。
だから「外部からの強制」が「良い」性質であった戦後日本は大変な幸運だったと断言できる。

権力を思いのままに操りたい願望を持つ当時の日本政府なんかには、自分たちだけがよければそれでいいという排他的利己主義思考しかないのだから、到底「より良い戦後日本」など生じ得なかった。
最悪な位に排他的利己主義が罷り通れるような憲法がごり押しされていた。
故に、そんな戦後日本は地獄だった以外に言いようがない。

そして、この知覚ある世界すべてを作ったのは、エゴだ。
だから、何の外部からの強制もなければ、エゴに都合が良いすべてが作られていた。
エゴは世界を思いのままに操りたい。ならば、戦前・戦中日本政府みたいに国民を洗脳できる強権政府みたいな中央集権政権がエゴには都合がよい。
特別性というものの実態はここにある。
特別ならば、エゴが思いのままに操れるからだ。だからこそ、エゴは特別性が最大限大事だし、何としても死守する。
だからこそ、エゴは、すべての人々に基本的人権その他基本的自由が認められ平等な世界体制を嫌うのだ。皆が平等だと思いのままに操りにくくエゴには不都合だからだ。
特別性は、『操りやすさ』という強力手段を生み出す。だからこそ、特別性はエゴの最大の武器なのだ。

安倍晋三政権でエゴが『改憲・改憲』と狂ったように叫ばせている理由だ。
安倍晋三政権で『操りやすさ』が最大限制される『日本国憲法』を破壊し、『操りやすさ』を取り戻そうとしているのだ。

これで解るように、『日本国憲法』にしろ、それを可能にさせた、人の基本的人権その他基本的自由を保障し世界平和へ推し進めようとする世界の流れは、エゴ由来じゃない。明らかに「外部からの強制」だ。
エゴが如何にやりにくく成り果てているか、エゴの意図と目的と制作が如何に醜いものだとはっきり解ることか。
エゴとは正反対の作用、エゴの欺きの目的すべてを終わらせる作用、【終わらせる為に作用する何か】がエゴが作ったすべての外側から投入した、『照らし合わせる為の思考システム』が、『日本国憲法』にしろ、それを可能にさせた、人の基本的人権その他基本的自由を保障し世界平和へ推し進めようとする世界の流れにあると言わざるを得ない。
だからこそ、エゴはリベラルを全否定したくて仕方がなかった。

もう解りなよ、エゴ、そして安倍晋三政権主力【異世界】。この領域は紛れもなく、人の基本的人権その他基本的自由を保障し世界平和へ推し進めようとする世界の流れが主力なんだよ。
この領域は『リベラル世界』。
それに反するすべては、過去の遺物ーエゴが作った前々の【異世界】段階の表れなんだよ。
この領域では、もう終わっている。
人類の進化から取り残されたガラパゴスにまだなりたいわけ?
だから、『時代錯誤』とか『退化』ってツッコミされるんだよ。人類の進化を採用した世界段階からツッコミされてるのだと知れ。

【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、『【異世界】間漏れ作用』によりエゴに世界の作り直しを余儀なくさせて、作る世界の方向性を誘導して最後の世界に最後の結果として作らざるを得なくさせたのが、この領域(あるいは最後により近い世界)。だから、表れるすべては『知る手段』として、パズルのようになっている。エゴが各【異世界】段階で何をやろうとし作ったかが窺い知れるように象徴として表現されている。だからこそ、【異世界】の表れは、この領域の現実性に照らし合わされて『浮く』。この領域の世界構造や概念の現実性とはかけ離れすぎていて、ギャップが『浮き』過ぎるから、【異世界】の表れだと一目瞭然となる。 
だからこそ、『この領域』の事実ー最終結果はエゴに消すことなんかできやしない。いかに【異世界】段階で隠せたようにみえたとしても、エゴには『この領域』を消滅させることはできない。

だからこそ、いずれ、エゴが隠してきたすべては露となる。それは避けられない。
すべてが絶対に隠せなくなる。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2018年前半(55)
【A Course in Miracles】
日本国憲法構造がこの領域
西暦2018年5月5日:土曜日



西暦2018年(年号:平成30年)
戌(いぬ)年現在

【佐藤篤代について】

[blogで言ってる主旨]

 この本物:佐藤篤代のブログは
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

[本物:佐藤篤代がブログで言う核]
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界全てはエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。


[佐藤篤代]

【A・Course・in・Miracles】管理者で世界で最も【A・Course・in・Miracles】の意味を理解している筈のKenneth・Wapkickすらも、手紙のやり取り等から、歪みと特別性の保護しか教えていなかったと西暦2012年に判明している。
また【A・Course・in・Miracles】自体も本という型だけに完全な真実を表現できる筈がないとその頃までには気づいた。
その他の経験も含め、真実は他者とは絶対に分かち合えないと理解した。

だからこそ、特別性の保護というエゴの目的しかそこにはなく、無駄どころかエゴの目的通りになると知っているので、あらゆる個々の存在と真実を分かち合うという目的からコミュニケーションを取ることは一切しない。

真実はあらゆる個々の存在と分かち合うのではなく、真実(知ってきた全て)を提示することで、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】の【異世界】間の『漏れ作用』により、エゴが作った全ての領域に拡大されると考えている。
エゴはそれで世界に矛盾が生じるので、漏れて隠せない要素を採り入れながら世界を作り直さなくてはならない。それが真実が拡大される再利用システムだと考える。
詳しくは西暦2015年段階の概念に書いてある。 

故に、佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2018年)
佐藤篤代は西暦2018年1月17日(水曜日)で42才
栃木県宇都宮市のド田舎生れ
ずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し


パソコン持ってなく、自分用スマートフォンでブログ書いてる。完全ブログ等インターネット使用のもので通話他はやらない。だから西暦2014年位からは部屋からも持ち出さない。祖母の携帯電話を借りていたのはXPERIAの機種変更まで。西暦2015年12月から3つ目スマートフォンAQUOS。
西暦2017年7月18日:火曜日に4つ目スマートフォンQuaへ。
西暦2012年秋からずっと夜にはスマートフォン自体を100%近くいじらないし、インターネット自体やっていない。夜にはもうやらない。

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやショートパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。
42才になったら少しずつ変えていく。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。
インターネット上のブログやそれに似た全てのシステムにおける本物:佐藤篤代の活動はこれ以外に人生で一切ない。

西暦2012年段階概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/18819954/23

西暦2014年段階の佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/18717650/23
(1)『A・Course・in・Miracles』領域を超えた内容
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970066806.html
(2)自分発信・自分受信
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970068665.html
(3)特別性を完全に棄てる
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970070077.html
(4)他は無い・他は幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970071517.html
(5)ロボット概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970072646.html
(6)偽者概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970074185.html
(7)完全な終わり
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970077106.html
(8)芋づる式漏れ・芋づる式カバー
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970850551.html

西暦2015年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111785865.html

西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html

西暦2017年段階概念:佐藤篤代
http://ameblo.jp/universalacim/entry-12238000891.html

西暦2018年段階の概念:佐藤篤代
前半

佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

人間の現実性の中での基本的情報提示:【日本】とは/佐藤篤代

無法地帯【異世界】影響を制し限界へ陥らせる為の情報提示:佐藤篤代/西暦2017年

【狂乱異常例提示】リンク集

【狂乱近藤異世界】長年のストーカータイミング狙いパターン

西暦2018年版佐藤篤代のリンク集

西暦2018年版佐藤篤代のプロフィール

佐藤篤代の日記リンク(西暦2012年~)
43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

人間の現実性の中での基本的情報提示:リンク/佐藤篤代

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html










【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい例外は一切ありません
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。
【リブログ】は機能開始時から禁止しており、元から出来ないように設定してあります。これは似たようなあらゆる機能によるシェアを禁じるという意味です。

【例外なく皆このブログから立ち去って下さい。誰とも関わりません:佐藤篤代】
https://ameblo.jp/universalacim/entry-12306413127.html

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2018年前半(55)
【A Course in Miracles】
日本国憲法構造がこの領域
西暦2018年5月5日:土曜日
4つ目スマートフォンQuaから投稿