”「心が晴れる禅の言葉」より” リブログ記事 | 触媒【栃木市】宇宙因果の仕組み

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読んだ本の宣伝と転載

直感と妄想による推論が1%ほど含まれております。
個人的な解釈による思い込みなどを、
後にふり返って検証に使ったりしてます。

感想と推論はおおむね、
仮説立てと想像に基づいた個人的見解であります。
あまりペタしません。

 
 
 

 

 

はい、皆さまごきげんよう。

ご訪問くださり、ありがとうございます。

 

感謝、感謝、感謝、感謝

 

というわけでね、

最近アクセスが気になる記事を

リブログさせていただいてます。

 

過去記事なので、少し編集して

転載させていただきます。

 

━━ 転載 開始 ━━

 

 

 

「心が晴れる 禅の言葉」 

 

赤根 祥道 著  中経文庫

 

 

―― 転載 開始 ――

 

一片の好風光     

【槐安国語】

 

いま、

ここにあるものすべてがすばらしい

 

正しいとか正しくないとか、

相手をしきりに攻撃する

 

勝ったとか負けたとか、

しきりに優越感をひけらかす。

 

陰だとか、陽だとか、どうして

そんなに争うのかわからない。

 

そういう

相対的な水準のところで争って

一喜一憂していては、

とても自己実現など不可能だ。

 

「陰陽不倒の処、一片の好風光」 

【槐安国語】

 

陰とか陽とかの

相対の世界をつきぬけることだ。

 

つきぬけると、そこは、

絶対の世界が、光を放っている。

迷うことは少しもない。

 

いま、ここにあるものが、

すべて絶対の光を放つ存在だと

わかれば、

 

一つ一つが光明をもって、

天地万物を

照らしていることを知る。

 

どんなにつまらないと

人にいわれる存在でも

本当は、

仏光明を放つ絶対の存在なのだ。

 

          ※

 

花は無心にして蝶を招く  

 

大自然と一体になって

   【良寛詩集】

 

すべてにこだわりなくなれたら、

どんなに安楽だろう。

 

しかし、

言わなくてもよいのに、

つっかかっていく。

 

他人の心を

勝手に推し量って

攻撃してしまう。

 

自分自身がたまらなくみじめになる。

 

良寛禅師は

「花は無心にして蝶を招き、

蝶は無心にして花を尋ぬ」

 

        【良寛詩集】

 

といって、

自分の心を花にたとえ、

蝶になぞらえる。

 

夏の野に、野の花が咲いている。

 

良寛禅師は、じいっと、

虚心に自然を眺めて、

時の経つのも忘れてしまっている。

 

自分が花なのか、

自分が蝶なのか、

一切の差別を超えて、

万物と一体になって、

自己を現成しているのだ。

 

禅の世界に

生死しているのである。

 

人は、時には、

大自然の中に坐って、

花や蝶と

一如になってみるのもよいのではないか。

 

     ※

 

悟り了れば未悟に同じ

 

幼児のようにこだわりなく

  【永平知事清規】

 

悟り了った人は、

心に何一つとどめていないから、

まるで、幼児のようなすばらしさだ。

 

一切をそのまま受け入れる。

【悟了同未悟】である。

 

かつて良寛禅師は、

素寒貧のところ、

泥棒に入られた。

 

月が出ていて、

泥棒の顔が見える。

 

敷布団一枚に

くるまっていた良寛禅師は、

ぬすむもの一つない泥棒が

気の毒になった。

 

そこで「ううん」と

寝言を一つ言って、

ごろりと

 

せんべい布団の外に

ころがり出てやった。

 

泥棒はその布団を

背にかつぐと、

山を降りていった。

 

良寛禅師は、

泥棒の後ろ姿を見て、

「よいことをしたなあ」

と言って、にこにこしながら

月を眺めていたというではないか。

 

悟り了った人は、

幼児のように、

こだわりがない。

 

自分のことよりも、

他人のことのほうが大切なのだ。

 

こだわりのない心を

もてたらどんなに楽しいか。

 

 

―― 転載 終了 ――

 

以上であります。 ありがとうございました。