あくまで主張をゆずらないスタイルからの脱却 | 続・教育のとびら

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主宰 福島 毅(どんぐり)

昨年の年末も朝まで生テレビがありました。
番組の意図としては、司会の田原総一朗氏によって政治家や学者などの各コメンテーターから本音トークを引き出すというのが目的なのでしょう。挑発的な感じで意見を誘導するようななりゆきで番組は進んでいき、ほとんどの場合、出演者の間から新たな提案や合意などはなされません。議論は平行線でほとんど終わります。

実際に、小さな職場から国家間の単位にいたるまで、ほとんどのケースがこのような”朝まで生テレビ”方式の寄り合いが行われているようです。最近感じるのは、この段階のようなことを繰り返している時間はもはやないのではないかといったことです。

狩猟生活をしていた頃とは違い、今の人類の生活は細かなことまでがすべて世界の人の動きに連動しています。ある国や地域の経済危機などがあっという間に世界に伝染していく。そのような複雑に絡み合った世界において、問題解決の根本は何が問題になっているかという”構造をよく見極める”ということが基本だと思います。断片化されたミクロな部分だけをフォーカスしていても解決策は見えません。

そうした時に重要になるのが、自分が置かれている背景・前提をいちど手放してみるということではないでしょうか。相手はなぜその言い分を主張するのか、その根拠は何なのかという探求なしに、問題解決には進まないように思うのです。相手の前提や目指す方向や根拠および自分のそれを冷静にまずは土俵にのせて双方が眺めてみる。そして、そこにある構造をお互いが理解しようとする。それには対話という手段が不可欠のように思うわけです。

最近、対話にこだわるのは、こうしたことによっているのだと自己分析しています。そして、この対話型のコミュニケーションスタイルを、学校の授業でも取り入れていこうと授業デザインを考えています。