短気の人が増えているわけ | 続・教育のとびら

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主宰 福島 毅(どんぐり)

若者からお年寄りまで、短気な人が増えてきたように思います。あるいは、キレやすいといってもいいでしょう。この理由をいくつか考えてみました。

(1)世の中、サービスが過剰となって、やってもらって当たり前になった。
 世の中のあらゆるサービスが、それを使うユーザにとって心地よいもの、迅速であることが求められ続けてきました。例えば深夜まで空いているコンビニなどです。このことは生活の便利さを向上させてきたと言えますが、逆に現代社会のストレスを産む製造器になっていることも意識しなくてはなりません。
 サービスはつまるところ人が行うものですから、きめ細かい対応や迅速さが行き過ぎれば、それを提供する側は過度なストレス環境にさらされるというわけです。深夜や早朝などの勤務、多様な要求をつきつける消費者に対する対応などは相当なストレスを生み出しているように思います。
 消費者は普通のサービスに慣れてくると、もっとよいサービスを要求していきます。この場合、やはり「足るを知る」という考え方ができるように成熟していく必要を感じます。

(2)言語レベルでの説明ができなくなってきた
 これは(学校や家庭における)国語教育の低下というものに簡単にいってしまうことはできないのですが、自分の頭でもやもやしていることを言語レベルに落とすということが、現代人は苦手になってきているのではないでしょうか。特に若者にこの傾向が見られるように思います。
 イライラしたり、自分の要求が通らないとき、子どもはかんしゃくを起こしますね。これは、言語レベルで相手に対してきちんと説明する能力を持たないために起きていることだと思います。ですから、子どもが短気になってキレてしまうということへの対応は、もやもやイライラした気分をきちんと言語かさせるということが有効です。そのために、思っていることを紙に書かせる、それを見て大人が需要したり、他の言葉に置き換えるのを手伝ってあげたり、必要であれば人生をより経験している者としての大人の体験をアドバイスしてあげるといった支援が必要です。

(3)世の中の進歩・スピードに脳の情報処理がおいつかなくなっている
 これは鬱病にもつながっているのではないかと個人的に考えていますが、世の中の変化があまりにも早く、膨大な情報が日常生活に入り込んできており、仕事や家庭での対応も一筋縄ではいかないということが大きいのではないでしょうか。 人は自分のキャパシティを越えるものを受け入れなくてはならない状況になったとき、非常なストレスを感じるわけです。それが相手に対しての攻撃性や自分に向かったときは自傷的になったりするのではと思います。

ゆっくり、じっくり、ゆとりを持つ時間をつくる。 これはあえて工夫してつくらないとなかなか実現できないということになります。 テレビやゲームや新聞をみない、情報をあえて入れないといった日があってもいいのかもしれません。