先日、オイルリグの漏出問題を引き起こしたBPのCEOが退任するかどうかのコラムを書きました。とうとう辞任することになったんですね。


『ところが、ここでは、このCEOのもとに、この特定のリグの問題を指摘する電子メールがなかったことが非難されているのです。多数あるリグの一個一個について危険の報告をCEO個人がうけなくてはいけないのに、そうしなかったのがいけない、と言っているのです。集団での責任ではなく、あくまでCEO個人の責任です。リーダーは責任のすべてをこのように受けなくてはいけない、それが当然だ・・・それは和の世界とは正反対。』


私は書きましたがもっと深くつきつめてみると、どうなるかドンッ、というと・・・


リスクに対する見方が根本的に違う、と思いました。というより、日本人の見方は、最悪の事態の想定を避ける傾向があるという点です。これは深層文化(無意識下の)問題でしょう。Deep Cultureです。


リスク管理は、最悪事態を想定してそれをどう避けるか、どうすれば最小限の損害にできるか、ということです。それは多分に功利主義的なので、(ベンサム的なので)、日本人は、環境だとか戦争だとか、人の命などになるといきなり思考停止することになります。→スイス氷河特急事故


社内公用語英語化もこの文脈でとらえると、日本人に対して、みずからこのリスク管理つまり最悪事態の想定対応というアクション課題に回答を与えてくれます。


それは、'What if ・・・’ という問答です。これが英語文脈でのリスク管理です。


これって、翻訳しにくいですが、「もし、・・・・仮に・・・・なら、どうなるわけ?」という感じですね。ノッティングヒルの恋人で、最初にアナスコットと出会う本屋さんの場面で、万引きした学生が書店主のタッカーに問い詰められるシーンで、私はよく覚えているんですが。もし万引きしていたら、あなたはどうするわけ?と問いかえす場面ですね。


スッキリ解決!英語&文化のコミュニケーション・セミナー →これはそのシーンの後の場面ですね。


このwhat if?という英語は簡単なのですが、日本人はほとんど使わない・・・


私はこのwhat if...? をいつも使います。ロジックを確認できるし、相手の意図もわかるからです。


逆に、もしうまく事が運んだら、何が得られるのか、具体的に考えることをしない、一種の「美学」の領域があります。環境問題となると、いきなり15% 削減とか言い出すように。これは「目的」をいつも念頭におくかどうか、つまり得るべき果実が何かをハッキリ指し示すことです。つまり正義論におけるテロスですね。


日本人というのは得るべき果実や問題点、リスクの特定を本当に嫌がるようですね。現実を直視できないというのは、リスク評価ができないということとほとんど同義で、そうするとリスクの大きさが特定できないからリスクテイクもできないということになります。


そういう意味で、タイトルに掲げたフレーズは、自戒の意味を込めて、私がいつも反芻している言葉です。


My No.1 rule is (that) 'Hope for the best, prepare for the worst'.


これって、どの映画に出てくるセリフか、お分かりになりますか?



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