「事件はウルグアイが攻め込まれた延長後半ロスタイムに起こった。ゴールライン上まで戻っていたFWスアレスが、あろうことか、アディイアーのシュートを両手ではじき返したのだ。


一発レッドカードでPKが指示される。PKが決まる瞬間まで敗退が先延ばしにされただけのようだったが、運は残っていた。FWギャンのPKは、クロスバーをたたいて上空へ消えた。泣きながらロッカールームへ向かっていたスアレスはガッツポーズを繰り返し、喜びを爆発させたW杯初代王者のしたたかさが、アフリカの情熱をほんのわずか上回った。「努力している人間には、神様が加護を授けてくださる。それを喜んで受け取ろう」。PK戦5人目で登場し、つま先でちょんと蹴る「パネンカ」を決めたアブレウは、悪びれずに喜んだ「まるで何かが我々の背中を押しているようだ。もしかしたら、この選手たちの力だったのかもしれない」常に沈着冷静。“巨匠”の異名を持つタバレス監督ですら、興奮を隠さない。典型的な負けパターンを覆しての勝利に、“何か”を感じずにはいられなかった。」


これはルールを利用した最善の措置!!だったのかも。


ファウルをしてももうその後プレー時間はないのだから、実質的にファウルのネガティブな影響は全くない、それに、相手のPKが失敗する可能性がゼロではない以上(実際失敗した)ここでゴールが一点入ってしまうよりも、有利。メラメラ と考えたわけでしょう。


朝刊の記事では「世界中を敵に回した」との描写があったが、本人の談では

「今大会のベストセーブ

「仲間を救えてよかった」

最後はチームメイトに肩車されて退場したという(笑)。

ぼくの子供のころ「道徳 の時間」の教科書には、スポーツ のフェアプレーについての記事がいくつか載っていて「負けてもルールを守るのがフェアだ、スポーツマンシップ だ」という、そんな記事が多数載っていたな。

今回の題材を、小学校 あたりで討議したら面白いかと思う。」という問題提起がされています。

正義とは何か?不正義とは何かパンチ!


というブログ記事があったけれど、倫理的問題については、「 国際サッカー連盟(FIFA)は3日、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会準々決勝のウルグアイ-ガーナで、1-1の延長後半終了直前にゴールライン上でガーナのシュートを手ではね返して退場処分を受けたウルグアイのFWスアレスに1試合の出場停止処分を科した。FIFAの規律委員会はスアレスの反則が「決定的な得点機会の阻止」にあたるとした。スアレスは6日の準決勝、オランダ戦に出場できないが」


というわけで、協会レベルのコミュニティとしての評価としては、普通のファウルとして扱い、別に正義には反していない、という印象ですね。


スッキリ解決!英語&文化のコミュニケーション・セミナー ホント、ハンドですよね。最後の瞬間でのハンドでの防衛、あり。頭脳プレーですね。ファウルをして時間が伸びただけ、というのではないのです。結果としてゴールはとにかくはいらなかったのですから。これはメリットです。点を入れさせないという目的のためにディフェンスしているという目的論テロスからすれば全く正義にかなっている。


テロスからすると、これは正義の問題ではない、と思いますが。


しかし、他方では日本チームの反則ファウルの数が最も少ないという統計値が強調されています。日本という社会や報道コミュニティからすると反則なしそれ自体が(結果よりも)評価される土壌がある、ということであり、このハンドには単なる反則を超えて道徳的非難がされて、日本では心情的な反発が強いのでしょう。それがまた日本人の弱いところ、つけこまれるところなのでしょう。結果テロスに日本人は弱いんですね。結果でなくいつもプロセス評価なんですね。日本の企業社会も同じです。日本人はグローバル化するならこのテロスの違い、つまりゲームのルールが違う、ということに早く気付かないと・・・・いけないと、私は思うんですが。

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