スッキリ解決!英語&文化のコミュニケーション・セミナー Criminal Mind クリミナルマインド 

アメリカ・バージニア州クワンティコにあるFBI(米国連邦捜査局)の中でも、小人数の限られたエリートだけが所属する先鋭チーム“行動分析課(BAU)”。超一流のプロファイラー集団として知られる彼らは、事件の捜査要請がかかると全米各地に飛び、あらゆる捜査方法を駆使して犯人像を的確にプロファイリングしていく。並外れた洞察力で犯罪者の心を読み解き、難事件の解明や犯行の阻止に挑んでいく!


という内容で、今回は死刑へのカウントダウン


1990年に12人の少女の誘拐・殺害と、息子ライリー殺害の容疑で逮捕されたジェーコブとサラ・ジーン夫婦は死刑執行が迫っていた。ところが13人目の被害者がサラ・ジーンの母親の自宅下から発見された。新たな犯行の有無を調べるためBAUはフロリダ州に向かう。サラ・ジーンは息子の殺害だけを認めていた。話を聞くうちにギデオンは、サラ・ジーンがジェーコブに支配された犠牲者であり、無実ではないかと思い始める。

★★★


これを放映するというのはかなり凄い場面が公開される、ということ、つまり電気椅子での処刑シーン、正確に言うとその準備シーンを細かく見せる部分。電極を頭に付ける、顔面カバーをかぶせるなど。興味深いのはそれをガラス越しに10名以上の人が、おそらく被害者家族を含むのだろう、全く隠すことなく、処刑全部のシーンを公開している、アメリカの電気椅子処刑場面ですね。


最後に死刑犯の妻つまりサラ・ジーンから、依頼を受けて、ジェーソンが彼女の死刑台のガラスの反対側で処刑を見守る。ということは誰でも見れる、ということなのでしょう。


★★

死刑を公開することの意味は?


死刑とはこのようにサラ・ジーンの意図のように、社会からの隔離、永久的隔離。


そして、公開する意味は、応報でしょう。


この二つの意味があるのでしょうが、究極の隔離が死刑であることは異議ないと思います。問題はこの公開=応報という部分。これはキリスト教の世界では、応報の意味は否定されているのじゃないかと思うので(違っていたらごめんなさい)、むしろgo gutsの世界観つまり「ならず者の同士間のやってやれ意識」じゃないか、と思います。銃で自己防衛するのと同じ平面です。電気椅子で社会防衛している。それが、社会の掟つまりコミュニティの正義。しかし、死刑反対論者はこの正義を認めないわけですね。正義は相対的です。しかし、今の日本では死刑を法で認めている、それは数10人も殺した人間は死刑による社会隔離をすることで社会的な否定評価を確認する、という意味を与えているということでしょう。


ところで、キリスト教の世界でも自分の中にいる神がこの世界にいるのを許さない、というロジックはあるのでしょうか。もしそうなら、死刑も自分の中の神の命じていること、キリスト教とは矛盾しないとも理解できるのですが。