「クリミナル・マインド」という米TVドラマが金曜深夜枠で放送されていて、非常に興味深いものがありますね。
FBIのプロファイラーの物語なんですが。サイコスリラーの感じ。CSI NYなどと同じ視線ではあるが、科学分析を物対象ではなく、心を対象としているところが違うだけ、ではあります。
とくに昨日(今朝の深夜枠)は途中視聴でしたが、非常に面白い。
子供連続殺人事件の主犯として夫が死刑になった妻も同罪として死刑となった事件。
妻は自分の息子も殺したことになっているが、死体が発見できない。
FBIは妻は殺していないのではないか、無罪つまり誤審ではないかと立証しようとする。
しかし妻は容易に真実を言わない。なぜか?夫をかばっているのではない。それは自分の息子が生きていて殺人鬼の夫の目の届かないところに追いやった、夫の魔の手からのがれさせたのだ。夫が死刑になるまでは危ない。
つまりまだ息子は生きている!ことにたどりつく。生きている息子は姿を消してすぐに養子にだされていた。もう16歳になっておりチェロで奨学金も得ているいい子に育って地元新聞にも載っているくらい。とうとうその家に捜査官が出向く。果たして真実はそこで明らかになるはずだった。
問いただしの許可を現場の捜査官が求める瞬間に、死刑囚の妻は死刑室にいく直前だったため、養子先で本人確認ができれば無実が立証できる、死刑誤審が判明し、死刑室にいかないですむ、その真実追究という正義のために、捜査官は本人に真実をいうことを求める。もう夫は直前に電気椅子で死刑になっているのだから、もう息子に危害は及ばない。
しかし、妻はいう。
「もし息子が両親の素性をしったとしたら、どんなに思うでしょう。永久に知らないほうがいいのです。だから死刑になりに行きます。止めないで。」
捜査官は、激しいジレンマに悩む。捜査官として真実を明らかにし死刑誤審を避け生かすか、嘘の死刑であっても本人の意思と息子の将来を大事にして嘘を認めるか。
死刑執行まであと数分。時間がない。捜査官は、養子先現場にいて許可を求める捜査官に人違いであることを告げさせる。そして執行現場を窓越しに観察する。
★★★
真実を明らかにすること、誤審を避けること、そういう正義と、子供をより良い環境下で将来生き延びさせる人間としての価値との相克。
同じ正義でも個人の正義を優先させたのか。
社会やコミュニティにとってもこの場合は嘘の死刑をみとめたかもしれない。そしてそちらの価値を優先させたかもしれない。この捜査官のように。しかし、それは手続きには反映されない水面下の誰も知らない真実なのだ。それでいいのだろうか。いいのだろう。それは正義といえるのだろうか。いえるのだろう。そのロジックが何なのか、正義は善であるとしても手続きの問題は最後に残ってしまう。同性婚の場合との違いだ。