木曜日の英語セミナー、卒業記念ディナーで、参加者のお一人から、こんな質問がでました。
「英語や外国語、っていうのは、自分から進んで勉強するものなんですか、それで、そんなに英語上手くなります? それとも、環境から強制されて、そうなるんですか?」![]()
私の答えは、
「どっちですか?と聞かれたら、私は、後者つまり環境や状況から強制されて上手くなるんじゃないでしょうか。」
私の個人的体験からすると、ホントにギリギリで、切り抜けなければならない難所や危機のさなかには、外国語なんていってられないときがあります。自国語が全て。でも我に返って、コミュニケーションとらなければならない相手が外国人であれば、いやがおうでも、その外国語を使わなくてはならない、のです。そのコミュニケーションがとれなければ、一切終わり、とか非常に危険とか、言う状況です。![]()
で、外国人同士の場合も、同じです。
あるとき、ドイツ人との屋外チームアップトレーニングの最中のことです。
全員英語が公用語であっても、そういう約束事は、危機の時には突然忘れ去られ、ドイツ人同士ドイツ語での会話や掛け声が始まり、私は右往左往。英語が公用語のはず、と後で抗議したら、そうだったな、なんて軽くあしらわれました。私も、英語で最後まで突っ張っていました。開き直りです。英語を話さない方がいけないんだと。私は悪くないんだと
。
でも、それは私にとっては、ミステイクだったんですね。それで、むざむざドイツ語やフランス語に親しむきっかけを無視してしまったことになります。拒絶からはpersonal growth and extentionは、生まれないのです![]()
異文化コミュニケーションにおいて、人の共通(無)意識は、ディープカルチュアと言います。
英語や外国語も、深い異文化への入口です。
その入口は何であれ、閉ざしては、その先の、奥に或る、もの、それは、みえてこないんですね。異文化への入口にたったら、さらに深くいかざるをえません。それが大切ですね
。
その障壁は、西欧の人たちは低いみたいです![]()
そういえば、あのときのドイツ人たちに交じっていたフランス人は、とくに私のように立て付いていなかったですね。普段は絶対口にしないくせに、ドイツ語理解できていたんですよ。単純に。要は、2ヶ国語や3ヶ国語は西欧人には普通の素養なんですね。小さな時から、フランス人はドイツ人やチェコ人やルーマニア人やトルコ人とおつきあいしたこと、多分、あるんですよ。
そして、誰だって、「アイツラ、ヘンな奴!」っていう反応は必ずあるんです。それが文化的ハードルの低さのおかげで、こう
ならなくてすんでしまう。それが「異文化コミュニケーション力」ですね。
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個人向けセミナーというかワークショップをやってます。
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