「豊田社長謝罪会見」とコミュニケーションの「戦略」☆☆■▼
豊田社長謝罪会見について、さらに引き続いて私の意見を書いておきます。
それは個人と組織の問題です![]()
豊田社長個人がご自分の名前がトヨタ車には全車両ついているので、個人としても安全なクルマを作るのは自分の身体を傷つけないようにするのと同じくらい真剣なんだ、とおっしゃっています。![]()
これはownershipが豊田社長ご自分で文字通りお持ちだ、ということで、西欧的見方からは好意的に受け取られると思います。Hands-onであって、だれかに任せるなんてことはしていない、その意味で、キチンとmanageしますよ、というaffirmationになります。素晴らしい表現だと思いました。このような言い方ができるというのは創業家に大政奉還されたことのメリットでしたね。
他方、この動画のように
、1人で発言を求められる「場」では、トヨタの誰も助けてくれません。隣に座っている佐々木さんも助けてくれません。![]()
Publicな場では、組織の支援は、無い、のです。個人が前面に出る、というより、個人しか相手にされていない場面なのです![]()
これは公聴会の場だけではありません。私たちもグローバルな場面たとえば、各国の課長さんたちの集まるワークショップや、コンフェレンスでも同じことが起こります。いくら会社を代表して出席していても、そのブランドや各国内でのシェアだとか関係ないのです。その出席者個人の振舞い、attitude,言葉が全てです。たいへん孤独ですね。でも逆に、個人の力量でどうにでもなります。失敗すると、まあ、まずいことはまずいですが、なーに気にすることはありません。誰も日本の同僚や上司なんかその場にいないんですから。
失敗を気にせず、うまく感情をコントロールして、ここでなんか言わなくては、という時に、言いたいことをまとめ上げて、十分マインドセットして話し始めること、これですね。みんなある方向に結論が動きそうな時に、いや、それじゃまずいでしょ、こういうデータもあるんだから、とか、交渉やミーティングの結論がほぼ出そうな時に、いや、それはやはりマズイでしょうと掉さすようなことを言う時とか、それはまさに、リーダーシップの見せ場です。
そこで、組織の看板を背負ってそのサポートが常にある組織人として、ではなく、個人としての力量が問われるとき、たとえば、ワークショップで発言するとき、何が必要なのでしょうか?
第1に、とっさの機転が必要ですね
。
第2に、基本的な業務知識は、質量ともに、必要ですね
。いうまでもなく。
いい加減な、あるいは間違った業務知識は論外ですが、程度の低い提案も論外ですね。人よりもあるいは普通よりも何倍も私はよく知っている、という圧倒的な知識と経験値がモノを言います。アクセルの細かい知識やブレーキの効きについて、も、同様です。豊田社長がニュース番組で古舘氏にポンピングブレーキはABSでは不要になったことぐらい説明されなくても今や誰でも知っています。
豊田社長としては、ABSを効かせる場面を表現する数値的領域と回生ブレーキで電力を起こすタイミングを占める数値領域を示して、それがどういうオーバーラップをしなかったがゆえに、感覚的におかしな違和感を引き起こしたのか、あるいは、「80センチほどのブレーキの伸びしろがしょうじてしまった」のか、説明が必要だったのではないか(そこまで細かく数値の差を結果としてコメントするなら、原因についても数値で説明すべきでしたね。)詳しいことは、専門の詳しい人間に説明させますから・・・というのは、社長として簡明に第3者に説明できるだけの原理的な知識を有していない、ということの表白です。技術にブラックボックスがある、ということをいうべきではない、のです。「いや、細かすぎてわかりにくかったかもしれませんね、説明の上手い人に説明させましょう。」というのならわかります。
そして、第3に経営リテラシーとしての説明義務です
。
どういう意味かというと、経営目標や顧客目線、製造ラインという3つのバランストスコアカードの下には、失敗に学び意欲満々の従業員群、つまりヒトの要素があります。それについて「人材育成が間にあわなかった」という発言をしていました。各地にQuality Officerを置く、ということです。
これは、西欧的経営リテラシーからすると、よく理解できる発想の組織形態です。責任ある地位を作って、ownershipを持たせる、ということです。しかし、そのすぐ後に、豊田社長に言った言葉は、なんと、「技術的な問題はなんといっても日本で解決するしかないので、日本でやります」と言っていました。それではownershipをquality officerにもたせることにはならないのに、そのことに気づいていない、という問題点ですね。その意味で、経営リテラシーとしての説明義務は中途半端というよりも、西欧的洋服を着せた古い体質そのものであることを自白しているようなものです。たくさんの時間を使ってニュースステーションを占拠したのに、残念でした。
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